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鳥籠 31

昼休み。 隣のクラスの宮原を訪ねて、春の後輩の連絡先を手に入れた。 名前は青木紫音。 そうだ。春が確かそう呼んでいた。 人気のない空き教室に移動して、早速電話をかけてみた。 中学校も昼休み一緒だよな?と考えながら通話を押した。 『もしもし?』 知らない番号だから取らないかもと思ったが、意外にもすぐに繋がって、言葉を探すのに少し間が空いた。 『…もしかして、ハル先輩ですか?』 相手の声は期待に弾んでいる。 何言ってんだこいつ。春をお前が振ったくせに。 「ちげーよ」 『…誰だよ』 「春の友達。お前とは一度顔合わせてるよ。5月に、校門で」 『…あぁ。で、何の用?もしかして、ハル先輩に何かあった…とか?』 「何かあった…じゃねーよ!春があんな風になったの、お前が原因だろ?お前、何で春を振ったの?」 『俺が、ハル先輩を振った?そんなこと…。ハル先輩が、そう言ったのか!?』 「春は何も言わないけど、あの様子見れば、春が振られたとしか思えねーだろ」 『あの様子って、何だよ…?』 「1ヶ月前の校門で、春泣き崩れてたじゃねーか!」 電話口で青木が息を飲んだのが分かった。 もしかして、春が泣いてたの知らなかったのか? 『ハル先輩が…』 混乱して考え込んでいるらしい青木に畳み掛ける。 「どういうこと?あの時、お前ら何話したんだよ?もしかしてお前振ってないの?」 『…俺が、ハル先輩に振られたんだ。俺の事、少しも好きじゃないって…。俺は、ハル先輩の事今でも忘れられないのに、俺が振る筈ねぇだろ!』 つまり、どういうことだ…? 春がああなったのは、青木が原因じゃない? …てことは、他に黒幕がいるということだ。 そいつは恐らく、春の身体に異常な数のキスマークをつけた相手だ。 青木がしたものと思っていたが、こいつはどうもそういうタイプじゃない様だ。 ああいうことをしそうなのは…入学式に来ていた、あのスーツの男だ。 多分、間違いないだろう。 あいつ…! *** 俺がハル先輩を振るなんて、あり得ない。こんなに好きなのに。 ハル先輩に少しも好きじゃないと、二度と顔を見せるなとまで言われたって、諦めきれずに毎日毎日ハル先輩の事ばかりを考えては鬱積しているというのに。 『お前さ、その春の言葉信じたの?』 ハル先輩の友達と言うこの男は気に食わない。人を小バカにしたようなしゃべり方をしていて腹が立つが、ハル先輩の事を知る手がかりは今のところこいつだけだ。 「あの状況では信じるしかないだろ!電話で他の男を愛してるってまで言われたんだから…」 思い出すだけで胸に黒い霧がかかる。あの向田を愛してるなんて…。 『で、それも信じた訳?』 「だから、信じるしかねぇだろ!」 『お前さ、あんまり頭働かないタイプだろ?』 「あ?」 『はぁ…。なんで春はお前みたいな単純なバカが好きなんだろ』 「んだと!?」 『だからさぁ、そうやってすぐ感情的になるから、肝心なこと見逃しちゃうんじゃねーの?』 肝心なこと…。 そうだ!ハル先輩は俺にああ言った後泣いていたって…。 つまり、ハル先輩も、別れたくなかったってこと…? じゃあ、なんであんなこと? それに、向田を愛してるっていうのも、もしかして嘘? でも、あの写真のスーツが向田だとしたら。 好きじゃないのにあんな風に寄り添っていたとしたなら、もしや、そうさせられていた…? そういえば…! ホテルでハル先輩が真っ青になったのは、向田の話を出してからだった。 なぜ俺はそのことに気づかなかったんだ…。 いや、自分の嫉妬心が暴走するのが怖くて、敢えてあの写真の事を考えないようにしていた。それが間違いだったんだ。 ちゃんと考えれば、ハル先輩の心の闇の原因はすぐに見つかった筈なのに…! あの男が…向田が全ての元凶だったんだ! あの変態、ハル先輩に何を…!! 「切るぞ!」 全身の血が沸騰したように熱い。 こんなに強い怒りを感じたのは、生まれて初めてだ。 心臓がバクバクして、呼吸も荒い。 目がギラギラと吊り上がり、口の中がカラカラに干上がった。 あの男、絶対に許さない! 「お、おい紫音、どうした!?」 教室に戻るなり鞄を掴んで、建志に、早退すると告げて学校を飛び出した。 さっきから携帯が煩いくらいに震動していたが、構ってられるか。 全速力で駅まで走り、千葉方面の電車に乗り込む。 ハル先輩、待っててください! 俺が、 今すぐ助け出しますから! *** 走って学校の前に着いた時、まだ下校時間じゃないのに、校門にこの高校の制服を着た背の高い男が立っているのが視界に入ったが、どうでもいい。 電車に揺られている内に少しだけ気持ちは落ち着いたが、それでも一刻も早くハル先輩に会いたい。 授業中に乗り込んだらさすがにまずいよな…等と考えながら校門を潜ろうとした。 「やっぱり来た」 突然声を掛けられ、初めて男に視線を向けた。 あ。こいつは会ったことがある。 ついさっきまで電話で話してた奴じゃないか。 「何してんだ、こんなとこで」 「何してんだじゃねーよ。お前が暴走すると思ったから、止める為に待ってたんだよ」 「止める?俺の邪魔をするつもりか?お前なんかに止められねぇよ」 いけ好かないこの男は、上背だけはあるが、細身だ。運動部の俺の方が体力も筋力も上の筈。 「はぁー。お前ってホントに単純バカだな。ちょっと落ち着けよ」 「んだとこの野郎!さっきから人のことバカにしやがって!」 「だって本当のことだろ。お前、自分の感情だけで動いてるみたいだけど、ちゃんと春のこと考えたか?」 「考えてるに決まってるだろ!だからここに来たんだ!」 「お前さぁ、もっと深く考えろよ。何で春があんな思いまでしてお前を遠ざけようとしたか、ちゃんと考えたか?」 何を悠長な。 今重要なことはそんな事じゃない。 間延びしたしゃべり方のこいつと話していると、ペースを乱されてイライラする。 「そんな事は後で考える!今、ハル先輩が苦しんでるんだ。まずそこから救い出すことが先決だろ!」 「あのなあ。よく考えろよ。勢いでここまで突っ走ってきたみたいだけど、春がお前に会うと思う?お前に助けてって言えると思う?言えるなら、とっくに言ってたし、お前を遠ざけたりしなかったんじゃねーの?」 「それは…。そうかもしれねぇけど、でも、原因が分かった以上、放っておけねぇだろ!お前はハル先輩がどんな目に遭ってるか知らないから…」 「まあ待て。春が何でお前を遠ざけたかよく考えろ。お前が傍にいることが、春にとって不都合だからじゃねーのか?例えば、原因の黒幕に『青木に近付いたら、もっと酷いことをする』とか脅されてたとしたら?そういうこと、ちゃんと考えたか?」 男のその言葉に、怒りに煮えたぎっていた頭が一瞬冷めた。 *** そうだ…。 向田がハル先輩にああいう行動を強制できるのは、きっとハル先輩が何か弱味を握られているからなんだ。 向田に俺とのことがバレて、怒りを買って、そういう脅され方をしている可能性だって、十分ある。でも…。 「そうかも知れないけど、俺が今日からハル先輩を匿う!もうあいつには指一本触れさせねぇよ!」 「それが出来れば春だってとっくに逃げてるだろうし、俺だってそうしてやりたい。でも、春は見えない鎖で繋がれてんだよ。その鎖を断ち切らない限り、春は自由になれないよ」 …悔しいけれど、こいつの言う通りだ。 ハル先輩の弱味を解決しない限り、ハル先輩は俺に着いて来てはくれないだろう。 本当は…嫉妬に狂いそうな俺は、ハル先輩の意思すら無視して、ハル先輩を連れ去りたいと思っている。 ハル先輩に触れていいのは、俺だけだ。あんな変態には、髪の毛一本たりとも触らせたくない。そう思っている。 多分こいつが止めなかったら、俺は嫌がるハル先輩を力ずくにでも連れ去っただろう。 今だって本当はそうしたい。 でも、それは俺の気持ちだけを満たす事であって、真にハル先輩を守り、救い出すことじゃない。 冷静に考えれば分かることなのに…こいつの言う通りだ。俺はまた暴走してハル先輩を傷つける所だった。 こいつはいけ好かないが、俺より冷静で、頭もいい。ちゃんとハル先輩のことを考えて行動できる奴だ。 それに引き換え俺は……。 「ようやく理解した?お前は春に会っちゃだめだって。分かったら帰って、お前はお前の出来ることをしろ」 「…分かった」 向田への怒りは未だメラメラと燻っているし、ハル先輩の事が心配で堪らないが、ここは一旦身を引くしかない。 そうすることが、今一番ハル先輩にとってマシだろうから。 俺に今出来ることは…ハル先輩の見えない鎖の鍵を見つけ出すことだ。 そしてそれが、ハル先輩を助け出す唯一の方法だ。 モタモタなんてしていられない。 そうしている間も、ハル先輩はあの変態に…! そう思うと遣りきれない怒りで目の前が真っ赤になる。 俺が絶対に、すぐに、救い出す! 「ハル先輩を、頼む。…あと、お前には一応感謝してる。俺、また大事なこと見落とす所だった」 「やっと自覚したみたいでよかったよ。春の事は任せろ。…もし、春が俺の事好きになったとしても、不可抗力だから。その時は諦めてな」 「は!?ふざけんな!諦める訳ねぇだろ!そんな暇ないぐらい、すぐ解決してやる!」 「期待してるよ」 奴が初めてニヤッと笑った。 こいつもしかして、俺の尻を叩く為にわざと…。 この野郎。やっぱりいけ好かない。 いけ好かないけど…たぶんいい奴だ。 頼んだぞともう一度言って、駅に向かって走り出した。 歩いてなどいられない。 一刻すら無駄に出来ないのだから。

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