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鳥籠 33

未成年とは契約を結べないため、正式な依頼を受けることはできない。 しかし、あの青木君の話を聞き流すことはできなかった。 青木君はなかなか口が固く、探偵としては無理だが、個人的に出来る限り協力すると約束するまで個人名その他を聞き出せなかったが、話としては簡単だった。 向田という男が、椎名春という少年を何らかの方法で脅して縛り付けているので助け出したいという物だ。 放っておかなかったのは…思い当たる節がありすぎたからだ。 そして、偶然にも向田の妻から、夫の浮気調査を引き受けた所だったのだ。 ついでだと思って調べてやればいい。 そう自分に言い聞かせた。 浮気調査はその日から始めた。 19時過ぎに会社から出てきた向田は、自宅とは逆の方角へと車を走らせた。 千葉方面だ。 青木くんが言っていた現在の椎名春の所在を思いだし、嫌な予感がした。 高速を降りた向田の車は、高そうなマンションの前で止まり、向田はその中に入っていった。本来の目的は浮気調査なので、入り口を潜る向田の写真を撮った。 こんな所で高校生が一人暮らしをしているとはとても思えなかったが、金持ちが愛人を囲うにはおあつらえ向きの場所だ。 23時に再び向田がマンションから姿を表した為、カメラを構える。 3時間か…。 あとは相手の女が確認できれば、浮気調査としては完了となる。 相手が女なら。 再び向田の車をつけて自宅に帰ったのを見届けると、先程のマンションへととんぼ返りした。 相手を確かめる為に。 次の日の朝、その人物がマンションから出てきた。 以前の調査で見たときとは印象が大分違ったが、その特徴を知っていた為、すぐに解った。 あの銀髪に青い目の少年は、椎名春だ。 青木君の懸念は、当たっていたのだ。 *** 次の日も、向田は千葉のマンションを訪れた。 そして、早くも相手が椎名春である証拠も手に入ってしまった。 向田がマンションに入ってすぐ、今度は椎名春と2人でマンションから出てきたのだ。 そのまま車に乗り込み、料亭で1時間ほど過ごした後は、また2人でマンションに戻って、3時間後の深夜0時過ぎに一人で出てきた向田が自宅へと帰った。 青木君の言っていた事は正しかった。 少なくとも一部は。 向田は、椎名春を囲っている。 脅されているのかどうかまでは確証を得なかったが、喜んで一緒にいる様には決して見えなかった。 去年、向田の会社が、椎名春の親の会社を買収した。 そのニュースを見たとき、向田は椎名の会社を手に入れるために、椎名春を調べさせたのだと思った。 性格の悪い向田は、時に人を試す様なやり方をする。 椎名春の依頼も、力量を測られていると思い、かなり深くまで調査してしまった。 向田は金払いのいい上客だ。 他と比べられて、贔屓を変えられては困ると思ったのだ。 だが、向田の目的が、椎名春だったなんて。そんな趣味があったとは夢にも思わなかった。向田はプレイボーイとして有名だったから。 もしも青木君の言うように、椎名春が脅されて向田に囲われているのであれば、全くの他人事ではない。 あんないたいけな少年を、悪魔に捧げる手助けをしたようなものとも言える。 しかも、青木君によると今は向田春になっているという話だ。 わざわざ戸籍までいじるなんて、相当の執着だ。 これを知って放っておくなんて、とてもできそうになかったが、仕事でないのに、探偵のノウハウや技を使うのは、ポリシーに反する。 人のプライバシーを覗き見ることに、いつかは慣れて抵抗を感じなくなるかと思っていたが、そんなことはない。 仕事だと割りきるからこそ、罪悪感を感じずに済むのだ。 探偵として培ったあらゆるコネや、手段を使えば、大抵のことは調べがつくが、だからこそ、モラルや信念が何より大事だ。 「できること」を自らの選択で「やらない」のには、強い意思が必要なのだ。 仕事以外では、探偵の能力は使わない。それは崩してはならない確固たる信念だ。 でも、どうにか椎名春を救う手助けをしてやりたい…。 *** 次の日の夕方、向田夫人を事務所に呼び出した。 時間差で、青木君も呼び出してある。 いつもは奥の応接間を使用して調査報告を行うが、今日は奥には通さず、入り口を抜けたらすぐのソファに掛けてもらった。 これは賭けだ。 上手くいくかは、運とタイミング次第。 「こちらが報告書になります」 向田夫人に書類の束を渡す。 中には、椎名春のマンションを出入りする向田一人の日付と時間入りの写真と、向田と椎名春のツーショットの写真も入っている。 向田夫人は、初めは気丈に振る舞っていたが、報告書を読み進めると同時に、顔を青ざめさせていった。 「どういうことですか?」 向田夫人が、口を開いた所で、入り口のドアが開く微かな音が耳に入った。 いいタイミングだ。 「報告書の通りです。ご主人の向田孝市さんは、その写真の向田春という少年のマンションを2日連続で訪れていました」 「ですから、それがどういうことですか?主人が…主人がなんで男の子と…」 「それについては私にも何とも申し上げられませんが…」 「それに、この子と養子縁組してるって、どういうことなの…?私は何も聞いてないわ!」 「養子縁組については、入籍する直前だった様ですので、奥様の承諾が必要なかったのでしょう」 「…でも、じゃあ、主人のこれは、浮気でも逢い引きでもないんじゃないかしら?主人は、自分の義理の息子に会いに行ってるだけよね?」 「…調査結果をどう判断するかは、依頼者の方にお任せしていますので。…ご主人が2日連続でこの少年のマンションを訪れて、3時間ほど籠っていたということと、写真の二人の距離感をどう捉えるかは、奥様次第だと思います」 「……あなたは、どう見ましたか?」 「これまでの経験から言わせて頂くと、愛人の扱いの様に感じました」 「そう…ですか…」 向田夫人には同情する。 自分の愛する夫が、まさか男の愛人を囲っていたなんて、思いたくないだろう。 しかし、夫人には知ってもらう必要があったのだ。 後は、パーテーションの向こう側でこの会話を聞いていたであろう青木君が、上手くやってくれるのを祈るしかない。

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