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鳥籠 38
紫音は車の中でずっとその時を待っていた。 向田が春のマンションから出てくるその時を。
だが、21時前にマンションに入っていった向田は、0時を過ぎても出て来なかった。
最近では朝帰りも増えたと言う情報も得ている。だからこそ望月に頼んで部屋の鍵を複製してもらったのだが…できれば、それは使いたくなかった。
でも、ようやく今日役者が揃ったのだ。一日でも早く助けたい。明日まで待つなんてそんなこと出来ない。
今だって、中でハル先輩がどんな目に遭っているか、想像することすらおぞましい。
長谷川を経由して正式に依頼を受けて貰った運転席の坂田と目配せをする。
その目は、行けと言っていた。
頷いて車を降りて、望月の用意した鍵を使ってオートロックを抜け、12階まで上がる。
予め調べておいた部屋番号を確認すると、胸ポケットの中の小さな機械の電源をONにする。
受信機は坂田の車にある。これから起こること全てを車内の全員に聞いてもらうのだ。
絶対にしくじれない。
深呼吸をして、部屋のドアにカードキーをかざした。
***
そっとドアを開けて中に入った。廊下の先のリビングに通じるであろうドアから光が漏れていたが、声や物音は聞こえてこなかった。その事に少しほっとする。もしも目の前でハル先輩が凌辱されていたとしたら、とても冷静になんて話せない。
リビングに繋がるドアに手をかけて引こうとした時、人影に光が遮られたかと思ったら、向こう側からドアを開けられた。
目の前にいるのは、憎くて堪らない相手。
「お前…。何してる」
上半身裸の向田は、剣呑な視線を真っ直ぐこちらに向けて、冷たく言い放った。
奥には間違いなくハル先輩がいる。
今すぐ春の元に駆け寄りたい気持ちが突き上げてくるが、その思いは抑えて、向田を睨み付けた。
「お前こそ、ハル先輩の部屋で何してんだよ!」
「愛し合っている恋人同士がすることなんて、一つだろう?それにしても、春はお前にこの部屋の合鍵まで渡していたのか?これはまたお仕置きが必要だな…」
クスクスと笑いながらそんなことを言う向田を、今にも殴り倒したくなるくらいに憎い。
絶対に、今日で終わりにしてやる。
「…ハル先輩はどこだ?」
「俺にたっぷり可愛がられて、気持ちよくなって眠ってるよ。お前みたいなガキのテクじゃ、失神する程の快楽なんて与えられなかっただろ?」
「てめぇ、ハル先輩に何をしやがった!!」
「それはこっちのセリフだ。俺の春を傷物にしたことを、俺が許したとでも思ってるのか?春がどうしてもお前にだけは手を出すなと言うから今まで放っておいてやったのに、お前はそんな春の気持ちを踏みにじって未練がましくノコノコこんな所までやってきた。もう遠慮はいらないな。お前に未来はない。春を汚した罪を償わせてやる。お前を破滅させてやるよ」
向田は思わず寒気がするほど不気味な笑みを浮かべた。
ハル先輩は、俺を守る為に…。
許せない!
でもまだ駄目だ。決定的な言葉をこいつの口から聞き出せていない。
「俺はハル先輩を汚してなんかない!例えお前が何をしたとしても、ハル先輩は穢れたりしない!」
「ふん、おめでたいガキめ。春は喜んで俺に抱かれているよ。春がどれだけ淫乱になったか、最後に見せてやろうか。ついてこい」
もうこれ以上ハル先輩に手出しされて堪るか!
向田がリビングの奥に消えて行くのを見て、すぐに後を追った。
***
家具が何もないリビングには、黒い革張りの一人掛け用ソファが一つ置かれていたが、そのソファは異様だった。
前の足の部分に、鎖が填められ、鎖のその先は赤い革の太くて短いベルトの様な物がついていた。――足枷だ。
クラスメイトから回って来たいかがわしいビデオで、女優をこういうのに拘束して虐めるというのを見たことがある。フィクションだと思うからそれなりに興奮もしたが、実際に、ハル先輩がそうされたと思うと、おぞましさしか感じない。
しかも、ソファの座面や床はローションか何かでヌラヌラと濡れていた。
まるでついさっきまで、使われていたみたいに…。
想像以上にえげつない向田の行為に強い衝撃を受けながら、向田の後を追ってリビングの奥の部屋に足を向けた。
もっとおぞましい光景が広がっていたら…と思うと歩みは自然と慎重になってしまう。
早くハル先輩の所在を確認したいのに。
恐る恐る踏み入れたそこには、見たことないくらい大きなベッドが置かれていて、その中心に、ハル先輩が横たわって目を瞑っていた。
その白くて、同じ男とは思えないくらいに細い首に真っ赤な首輪が巻かれているのを見て、わなわなと込み上げる怒りに我を忘れそうになる。
薄いシルクみたいな光沢のある素材のシーツをかけられていたが、そこから覗く肩は剥き出しで、少なくとも上半身は何も身に付けていないことがわかった。
「ハル先輩!」
一瞬自分の使命も忘れて無我夢中で駆け出そうとした肩を向田に掴まれた。細身に見える身体のどこにそんな力があるのかと思わせるような怪力で、寝室のドアの方に突き飛ばされる。
尻餅をついた身体をすぐに起こして、勢いで向田に飛びかかろうとした時、動くな!と向田が大きな声を出した。
「それ以上春に近づくことは許さない」
「黙れ変態!お前こそ、ハル先輩に近づくな!」
「春は俺の物だ。どんなことだってする権利がある。例えば、これ…」
向田がズボンのポケットから小さなリモコンを取り出した。
「それは…」
「春のナカに入ってる玩具だよ。3時間玩具と俺のモノで可愛がって、ようやくさっき休むのを許してあげたが、これを動かしたら、また気持ちよくなって覚醒するだろうな。お前がそこから一歩も動かないなら、玩具も動かさないでやるけど、どうする?」
「てめぇ!」
強い怒りにギリッと歯噛みしたが、そこから動けなかった。
ハル先輩に苦痛を味合わせる訳にはいかない。
向田はこちらを見て愉快そうに笑って、見てろと言うと、固く目を閉じたまま微動だにしないハル先輩の上に覆い被さって、ほんのり赤い唇にキスをした。
向田は目線だけはしっかりこちらに向けていて、その視線からは優越感が滲み出ていた。
目の前が赤黒く染まった様な強い嫉妬と怒りが瞬時にこみ上げた。
歯が砕けそうな程強く歯を食い縛っていないと、自分のやるべき事も全て忘れて向田に殴りかかってしまいそうだった。
くそっ!
坂田さん達はまだ来ないのか?もう十分証拠は押さえられたんじゃないのか?さっきの言葉だけではまだ足りないのか?
「てめぇ、今すぐハル先輩から離れろ!!」
「くく…。お前の執念に敬意を評して、最後に可愛い春が乱れる姿を見せてやる。もう二度とお前は春に会えない。お前をこの日本にいられない様にしてやるよ。せいぜい今日の春の姿を目に焼き付けるんだな!それをオカズに、異国で一生マスをかいていればいい!」
「やめろ!!俺のことはどうしたっていいから、それ以上ハル先輩に触るな!!」
向田はその叫びに全く聞く耳を持たずに、ハル先輩の身体をシーツ越しにねっとりと触り始めた。
足を撫でていた手が、シーツの中に潜り込み、一気にシーツが取り払われる。
最初に目に入ったのは、ハル先輩の腰に巻かれた赤い紐だ。ピンと張ったその紐の先は下半身に伸びていて…。
「ここがどうなってるか知りたいか?」
向田は言うなりハル先輩の両足の膝を立てた。
股の間が、剥き出しになる。
そこには、向田のおぞましい所業が顕著に表されていた。
後ろの孔に、黒くて禍々しいディルドが突き刺され、それが簡単に抜けないように腰から紐で固定されている。
そして、縮こまったペニスの先からも、シルバーの細い棒が突き出ていて、一瞬目を疑う。
それが何なのかを理解したら、すぐに見ていられなくなって目を逸らした。
向田を睨み付ける。視線だけで相手を殺せるなら、既に殺しているくらいに、鋭い目付きをしているだろう。
向田は、そんな視線をものともせずにニヤけた顔で続けた。
「どうだ?卑猥だろ?こんな玩具でアンアンよがる春は、それでも穢れてないのか?」
「お前が無理矢理したんだろうが!!今すぐ外せ!!」
「あぁそのつもりだよ。これから春のかわいいお尻に俺のモノを入れて、セックスする所を、冥土の土産にお前に見せてやるからな!」
言った…!
ようやくこいつから、決定的な言葉を聞き出せた!俺がここでしなければならないことはもう達成した!
ハル先輩!!
日頃鍛えていた脚に全ての力を込めて駆け出すと、ベッドに乗り上がっていた向田に飛びかかった。
二人でベッドの下に倒れて、縺れ合って転がった。
向田の右手に握られた小さなリモコンを必死に奪い取ると、遠くに投げた。
それに気をとられて一瞬隙を見せた向田に馬乗りになってその頬を殴る。
肉と骨を打つ耳障りな音がして、右の拳も痛んだが、積もり積もった向田への怒りが、痛みや、人を殴ることの恐れを忘れさせた。
2発殴った所で向田が反撃してきて、左の頬を打たれた。口の中が切れたのか、チリっと鋭い痛みと鉄の味を感じた後にジンジンと頬が痺れたが、お構い無しに手加減なく殴り返した。
もうこいつを殺してもいいとすら思った。
真っ赤に染まる視界は、憎い向田の顔と己の拳だけを映していた。
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