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第9話

そもそも、俺はなにをこんなにも狼狽えているのだろう。 会話など慣れている。 なにも臆する事はない筈だ。 「そうだね。では、新見君の言う通り彼に会ってみる事にしようか。」 正直なところ不安だ。 心の準備もできていない。 しかし、何事も踏み出さない事には始まらない。 「仕方がありませんね。私もお供しますよ。」 「折戸が居てくれるのならば、心強いね。」 「病的な貴方が実物の黒木君を目にして欲情しては困りますからね。」 「…折戸、君は俺のイメージを壊したいのかい?」 「まさか。貴方は会社の顔ですからね。」 「よーし、じゃーさ、明日の昼にでも来れば?俺もシュートも昼入りだし。」 「では、きっちりと仕事をしなければいけませんね、総一郎。」 「俺が仕事をしていないような言い方は止めてほしいな、折戸。」 与えられた仕事以上の事をこなして、初めてできる人間になれるのだと折戸は言う。 折戸の言う通りだ。 折戸の存在がなければ、俺は今のポジションに居る事はなかっただろう。 俺は野心家ではない。 折戸の良い意味での強かさが少しでも俺にあったのならば… しかし、それを持ち合わせていない俺には折戸が必要だったのだ。 野心の一つや二つ持ち合わせていなければ、到底勤まる仕事ではないという事は理解している。 折戸が野心を持っているのかと問われたら、そうだと言える程の絶対的な確信はない。 折戸は、俺に恐怖心を与えた人物だ。 そのような人物は、俺の人生においてあの人を…父を別として、後にも先にも折戸だけである。 会長の座さえも争える程の実力の持ち主である事を認めていた。 生徒会選挙は、本当の意味での一騎討ちの勝負であると感じていた。 しかし、蓋を開けてみると不戦勝という結果であった。 選挙を辞退し、副会長を志願した事を聞いた時には落胆したものだ。 俺には、その意図が理解できなかった。 今思えば、折戸は気づいていたのかもしれない。 俺の欠点に… 完璧である事は長所であり、また短所でもあるという事に… 何事においても完璧を求められながら生きてきた。 完璧である事が当たりだった。 完璧であるが故の孤独… 俺など、一度完璧の甲冑を剥げば、欠陥だらけのただの無力で脆い人間にすぎない。 俺を貶める為に近づいて来る者は少なくはない。 しかし、折戸という人物にそのような姑息な手段は必要ないのだ。 なぜならば、俺が唯一ライバルであると認めているからである。 俺と折戸は、小細工など無くとも競う事ができる。 そのような人物が、見返りをなしにサポートをしてくれると言うのだから頼もしい限りだ。 そして、その関係は現在も変わる事なく続いている。 優秀な秘書として… 遠慮などなく叱りつけてくれる友として… あの人からこの会社を継いだのは五年前の事だ。 その頃には、会社は既に傾いていた。 ここまで立て直す事は容易ではなかった。 折戸の支えがあってこその今なのである。 折戸には、感謝をしてもし足らない。 しかし、俺は気付いている。 あの人の会社が傾く筈がないのだ。 完璧である為には手段を選ばないあの人が、そのようなミスを冒すだろうか。 あの人への不信感が、気づかせたのかもしれない。 一体、あの人は会社が傾いたように見せかける為にどのようなカラクリを仕組んだのか… その偽造は確かに完璧なものであった。 俺も、甘く見られたものだ。 あえて気づかないフリをした理由は、折戸への絶対的な信頼があるからだ。 折戸が言うのだから、会社は傾いている。 そのように自分を納得させ、険しい道を選んだのだ。 「八神さん、どうすんだ?明日来るのか?」 「行きますよね、男に二言はありませんよね?総一郎。」 折戸の圧力に俺が逆らえるわけもなく頷いた。 二人と別れて帰宅した俺は、その夜なかなか寝つく事ができなかった。

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