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第23話
一方的な気持ちのままホテルを出て、タクシーに乗り込み帰宅した。
早々にシャワーを浴び、身支度を済ませた。
本来ならば帰宅をする必要はない。
けれど、今回に限ってはホテルの部屋に置いてある服で…というわけにはいかないのだ。
先方にお詫びに行くのだから、相応しい服装というものがある。
このような立場にある以上、服装にも気を回さなければならない。
例えば今日のような状況の場合…
黒のスーツは避けたい。
威圧的な印象を与えるからだ。
ネクタイは派手な柄物や色味の物、ブランド物は避け、落ち着いた色味の物を選び、Yシャツは当然の事ながら、皺一つない糊の利いた物を着るべきだろう。
ただし、靴だけは例外である。
威圧感を与えない物を選ぶのだから、靴も合わるべきであると考えがちだけれど、俺ならば黒を選ぶ。
締めるところは締めるべきだ。
身だしなみは人間性を現す。
何時足元をすくわれるか分からない。
隙を見せてはいけない。
完璧でなくてはならない。
八神の家に生まれた以上…
俺は早々に出勤し、折戸が運転する車の中で資料に目を通しながら彼方の会社に向かった。
和解に至ったのはお昼を過ぎた頃だ。
和解…
いや、和解の必要もなかったのだ。
嫌がらせといってもよいだろう。
アポを取っていたにせよ、待たされる事を覚悟していたのだけれど、すぐに通された社長室では、とても上機嫌な先方の社長が待っていた。
俺は、父が偉大な事から七光りだのと甘く見られる事も少なくはない。
20代で起業して社長の座に就くという事も珍しくはないこの時代に、古い考え方は根強いのだ。
今回もそのような扱いを受けるのだろうと思っていた。
けれど、実際はそうではなかった。
机に並んだ豪華な食事にお酒…
ふざけている。
思い出すだけでも腹立たしい…
俺は怒りを鎮めるように、小さく溜息をついた。
「まさか、貴方が目当てだったとは…。立場を利用して口説こうとするなんて、タチが悪い…」
折戸だったの声は明らかに苛立っていた。
心なしか、運転も荒い。
目当て…
口説く…
俺は、折戸の言っている意味がいまいち理解できなかった。
「とても馬鹿にされた気分だよ。君は見たかい?俺を見た瞬間の先方の社長の満足げな表情を。八神の息子に頭を下げられて、さぞ気分が良かったに違いない。」
「まったく、貴方という人は…。鈍感にも程があります。しかし、貴方が出向いたのは正解でした。先方のやり方には納得できませんが、出向かなければ、本当に機嫌を損ねていたかもしれません。」
折戸が運転しながら言った。
鈍感…
先程から折戸の口から漏れる言葉は少々おかしい。
けれど、折戸が言葉の選択を誤るとも思えない。
「そうだね。君の言う通りにしておいて正解だった事は確かだよ。…けれどね…」
「はい?」
俺が腹立たしく感じているのは、馬鹿にされた事だけではない。
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