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第19話

エレベーターの前に三枝さんが立っていて、俺と目が合うと小さく頭を下げた。 「三枝さんおはよう。今日は急にごめんね。」 「いえ、仕事ですので。」 三枝さんは見た目からして仕事ができそうな女性だ。 見かけ倒しなわけではなく、実際に仕事もキビキビとこなしてくれている。 女性という事もあり、俺や折戸の目が届かない範囲にまで目が行き届き、細やかな配慮ができる女性だ。 「助かるよ、いつも。」 「私はいかがすればよろしいでしょうか?」 「弟が初めての一人旅で少しホームシック気味になってしまっていて…。申し訳ないのだけれど、会食の間、面倒を頼みたいのだけれど…」 「承知致しました。」 少し素っ気ないところもあるけれど、折戸が右腕ならば、彼女は左腕だと思えるくらいに頼りにしているし、信頼している。 彼女だからこそ啓を任せられるのだ。 「啓、彼女は秘書の三枝さんだよ。きちんとご挨拶をしなさい。」 俺の後ろに隠れていた啓が顔を出して恥ずかしげに頭を下げた。 「えと…や、八神啓一郎です。よろしくお願いします。」 啓は人見知りをする。 ぎこちない挨拶だけれど、彼なりの精一杯なのだろう。 「……か、可愛い…やだやだ、ちょー可愛いッ!!社長はイケメンで、その弟が可愛いだなんて、なんて萌な兄弟なのッ!このネタ使えるわッ!今までは"秘書×社長"で活動してたけど、"イケメン兄×可愛い系弟"もいけるわッ!今年のネタに使えるわッ!ハァハァするッ!!でも社長は受けよね!それは譲れないわ!という事は弟攻め?」 三枝さんの闇に触れてしまったような気分だ。 俺の中の三枝さん像がみるみると崩れていった。 三枝さんはといえば、啓に頬ずりをしていて、啓は震えながらされるがままになっていた。 三枝さんの口からはおかしな言葉の数々が飛び出し、俺を混乱させた。 ふと俺と目が合った三枝さんが一瞬固まり、咳払いを一つすると俺に今日使う資料を手渡し、俺はそれを受け取った。 「…ありがとう、三枝さん。」 「社長、弟さんの事は私にお任せてください!」 俺は不安を残しつつ、折戸の運転する車に乗り込んで会社を後にした。 「…なんかすごいものを見たね。」 「そうですね。もうこの件に関しては触れないでおいた方がよさそうです。」 「…俺は啓が心配だよ。」 「大丈夫ですよ。彼女は人に危害を与えるような人間ではありませんから。」 「そうだね、それは理解しているのだけれど…」 大切な資料に目を通しながらする会話でもないけれど、今の俺には車に揺られている少しの時間すらも惜しい。 やらなくてはならない事が多すぎる。 まずは今日の仕事だ。 なんとしてもこの話は通さなければならない。 けれど、メンタルは最悪な状態だ。 悪い事が重るものだ。 啓の事、蹴人の事… できるだけ考えないようにしていたけれど、一度考え出してしまうとグルグルと頭を巡った。

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