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第43話
その後、折戸が作り置きをしておいてくれていたお粥を、蹴人が焦がしてしまったりなどの小さな事件はあったけれど、幸せな時間を過ごした。
キッチン周りでの蹴人のミスは、怪我に繋がるようなあまりに危険なものばかりであった為、今後一切のキッチンへの立ち入りを禁止した事は言うまでもない。
折戸が食べる筈だったと蹴人が差し出した炒飯を2人で分け合って食べた。
本来ならば、俺が作った料理を食べさせてあげたいところだけれど、流石にその気力は残ってはいなかった。
片付けを済ませた後、折戸が貰ってきた薬を蹴人に手渡されて、調子に乗って口移しで飲ませてほしいと頼んでみると、それを真に受けた蹴人に思い切り蹴られてしまった。
お互いに疲れはピークだったらしく、身支度を整えて早々に眠りについた。
翌朝、目を覚ますと隣で小さな寝息を立てて蹴人が寝ていて、思わず口元が緩んだ。
起こさないようにゆっくりと起き上がった。
風邪…というよりは、疲れがピークに達していたのだろう、ゆっくりと眠ったせいか体調は悪くはない。
シャワーを浴びる為に洗面所へと向かった。
衣服を脱いで昨夜の事を思い出す。
一体俺のどこにあのような体力が残っていたのだろうか…
思わず一人で笑ってしまった。
昨夜洗濯をしておいたものを、乾燥機に移し入れてスイッチを押した。
乾燥機が特有の音を出して回り始めた。
浴室に入ると、少し熱めのシャワーで汗を流し、気持ちのよさに溜息が漏れた。
浴室から出ると、タオルで身体を拭き、バスローブを羽織った。
髪を拭きながら寝室に戻ると蹴人が目を覚ましていた。
俺が起こしてしまったのかもしれない。
「蹴人おはよう。ごめんね、起こしちゃったかな。」
「ん、今起きた…」
「顔を洗っておいで。その間に朝食を用意しておくよ。」
「ん…」
もう少しゆっくりと過ごしたいけれど、会社へ行かなくてはならない。
蹴人が身支度を整えている間に、着替えを済ませて朝食を用意した。
食べ盛りの蹴人を満足させられる料理を作りたい気持ちはあるが、材料が少ない。
パン、野菜、フルーツ、ヨーグルト…
朝食に相応しい食材はこれくらいしかない。
俺がする事といえば、野菜とフルーツをカットしてパンを焼くくらいだ。
用意したものをダイニングテーブルにセットし、新聞を読みながら蹴人を待った。
裸眼でも見えないわけではないが、すぐに文字が霞んでしまったり、目が疲れてしまう事から眼鏡が欠かせない。
こうしてどんどん老いていくのだろう。
蹴人が俺の年齢になる頃には…
怖くなって新聞の記事に集中した。
暫くすると蹴人が戻った気配を感じ、顔を上げた。
「すっきりとしたかい?さぁ、食べようか。」
「あぁ。」
蹴人が椅子に座った事を確認し、読んでいた新聞を畳んで眼鏡と共に横に置いた。
いただきますと手を合わせている蹴人はとても可愛らしい。
思わず表情が緩んでしまう。
「もういいのか、その、体調は…」
「おかげさまでね。君が献身的な看病をしてくれたからかな。」
「…嫌味か。」
俺の体調を気遣ってくれた。
それだけの事が嬉しい。
その後、蹴人は昨夜お腹いっぱいに食べられなかったせいか、食事に夢中になっていた。
「蹴人、誰も取ったりなどしないのでね、ゆっくりとよく噛んで食べなさい。」
蹴人はコーヒーを一口飲むと顔を顰めた。
「だから、甘すぎるって言ってるだろ、コーヒー。」
「空腹なのではないかと思ってね。蹴人、今日の予定は?」
「午前中は大学で、昼からバイト。…つか、このオレンジ超美味い。」
「そうかい?俺の分も食べてよいよ。」
「マジか?」
「前から思っていたのだけれど、君はとても美味しそうに食べるよね。見ていて気持ちがいいよ。」
「そうか?」
あまりに美味しそうに食べるものだからついつい見入ってしまった。
「大学には直接行くのかい?」
「いや、一度帰る。」
「それならば、少し早めに出ようか。家まで送るよ。」
「…あー…駅まででいい。」
蹴人を家まで送り届けた事はない。
決まって駅までだ。
迎えに行く時も…
送り届けるの時も…
蹴人が俺を家に招いてくれる日は来るのだろうか…
調べようと思えばいくらでも調べられるけれど、強引にではなく、蹴人の意思で誘って欲しいと思っている。
「そうかい?」
「あぁ。」
食べ終えて、後片付けをした。
蹴人には食器を下げてもらい、洗い物は俺が済ませた。
「蹴人、乾燥機に服が入っているから着替えを済ませておいで?」
今朝洗濯を済ませ、乾燥機にかけた洗濯物が乾いている筈だ。
勝手に洗ってしまった事を、今更ながら一声かけておくべきであったと少し後悔した。
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