201 / 270

第33話

ーー その時は素直にならなくちゃダメよ?そうすれば、きっと幸せになれるから。ーー そうか… 小咲の言葉が俺の背中を押す。 それは簡単なようで難しい言葉だ。 でも、今なら言える気がした。 「なぁ…」 「うん?」 「…」 「どうしたのだい?蹴人。」 「…」 心臓が飛び出しそうだ。 緊張で気持ち悪い… 「…蹴人?」 「…………きだ…」 「え?」 「……………。」 掛け布団を剥いで勢いよく八神が起きあがった。 言った俺でさえ聞き取れなかった。 でも、言ったという実感はある。 そんな言葉を、八神は聞き取ったらしい。 背中を向けているわけだから、読唇術は使えない。 恐ろしいヤツ… 「ちょっと、待って、え?それは、俺に背中向けて言う事なのかい!?」 後ろから聞こえた声は動揺していて、なんか可愛い。 「顔なんか見られるわけないだろ…」 掛け布団を引いてそれを被って丸まった。 心臓がうるさい… 全身が熱い… 呼吸が荒い… 多分、一番熱くなった顔は赤くなっているだろう。 そんな姿は、見られたくなかった。 「駄目だよ、とても大切な事なのだから。きちんと向き合って目を見て言ってくれないと…」 抵抗も虚しく簡単に掛け布団が剥がされた。 俺は、どうしても見られたくなくて、この期に及んで、うつ伏せになる。 「…嫌だ…」 「蹴人、恥ずかしがる事ではないよ。俺も、正直なところ今の顔を見られたくはない。」 「…」 「嬉しくて…どうにかなってしまいそうだ…。大の大人のそのような顔を見られたいわけがないでしょう?…」 その言葉にゆっくり顔を上げた。 八神と目が合って、恥ずかしさが倍増した。 あまりにも八神が恥ずかしい顔をしていたせいだ。 それは俺と同じ、ダサくてカッコ悪い顔だった。 「お前、なんて顔して…」 「…かっこ悪いかい?…けれど、聞きたかった言葉だ…ずっと…」 「そんな顔、他で晒すな…」 「…蹴人、君は意外と嫉妬深いのかい?」 「ッ…知るか!」 「大丈夫、安心してよいよ。俺がこのような顔を見せるのは蹴人だけだよ。それにね、俺をこのような顔にさせるのは、君だけだ…」 「こっ恥ずかしいヤツだな、お前は。」 「蹴人、もう一度聞かせてくれるかい?」 「…嫌だ。」 「今度は、俺の目を見て、きちんと聞きたい。」 その声は今まで聞いてきたどの声よりも甘くて困った。 気怠い身体を起こして、八神を見た。 「…………」 脳天から煙でも出そうなくらい恥ずかしい。 八神の顔があまりに真剣で、それがまた恥ずかしさに拍車をかけた。 「蹴人…」 「……ッ…」 「好きだよ、蹴人。」 「…………俺も…」 「…俺も?」 「…………好きだ…」 無縁だと思っていた言葉。 言われる事はあっても、言う事はない。 小咲が亡くなてからは、ずっとそう思って生きてきた。 言いたくて、でも伝えられずにさ迷っていた言葉が、何年も経って、相手を変えて、ようやく解放された。 俺に重くの伸し掛かっていた何かが無くなった気がした。

ともだちにシェアしよう!