223 / 270

第8話

小さな呻きと共にジワッと胸元が熱くなった。 音羽社長が達したのと理解した。 「…満足…しましたか?…」 「まさか。本番はこれからだ。…次は…その口を汚してやるよ。」 グリグリと唇に先端を押し付けられた。 達したばかりの為か青臭さが鼻をつく。 俺は唇をギュッと閉ざした。 いつまでも受け入れない俺に痺れを切らしたのか、キツく鼻を摘まれた。 徐々に苦しくなり、唇を開いてしまった。 しかし、それが俺の口内に侵入する事はなかった。 なぜならば、激しく扉が叩かれたからだ。 助かった… 音羽社長が顔を歪めながら舌打ちした。 なんとも醜い表情だ。 暫くするとピピッという音と共に、扉が開く音と足音を聞いた。 そして、姿を現したのは三枝さんと音羽社長の秘書… 誰でもいいとは思ったものの、このような姿を部下に見られてしまった事に大きなダメージを受けた。 三枝さんは俺に駆け寄り、拘束を解いた。 全てを解き終わると、この汚れた身体を強く抱き寄せた。 「なんておかわいそうに…大丈夫ですよ、この三枝が助けに参りました。ご無事ですね?…万が一があったのであれば、私は殺人を犯さねばなりません。」 「だ、大丈夫だよ。だから怖い事を言わないで。」 「腐女子なめんなっ!この方はお前みたいなヤツが触れていい方じゃねぇんだよ!!」 三枝さんは音羽社長に中指を立てた。 音羽社長は三枝さんの迫力に後ずさり尻餅をついた。 「三枝さん、もう大丈夫だから…この場所から出たい。」 このままでは本当に三枝さんは犯罪を犯し兼ねない。 彼女の形相は凄まじいものがあった。 まずは一刻も早くこの場所を出ようと提案した。 俺としてもこの場所に長居をしたくはない。 三枝さんが床に散らばった俺のシャツやジャケットなどを拾い集め、俺に羽織らせ、引かれるように部屋を出た。 「…間に合ってよかったです…」 ホッと三枝さんが安堵の息を吐き出した。 結局三枝さんに心配をかけてしまった。 このような事が折戸に知られてはまた怒られてしまう。 想像すると帰国が恐ろしくなった。 「心配をかけてしまったね…」 「本当ですよ…。明日の予定がキャンセルになり、連絡を差し上げたのですが電話にお出にならないのでお部屋にも伺って…」 俺よりも、三枝さんの方が動揺していた。 先程までの迫力はもう無い… 今にも泣き出してしまいそうな印象だ。 俺が彼女にこのような顔をさせた。 強そうに見えるけれど、彼女も女性なのだ。 共に来ていたのが折戸であれば俺は取り乱していたかもしれない。 三枝さんであれば、こうして平常心を保っていられる。 いつまでも折戸に甘えてばかりいるわけにもいかない。 三枝さんは部屋まで付き添ってくれた。 このまま三枝さんを帰すのは心配だ。 せめて落ち着くまでは…と部屋に招き入れた。 「何か飲むかい?」 「あ、いえ、結構です…」 「先程は助かったよ。改めてお礼を言うよ、ありがとう。」 「あの、社長はシャワーを…」 「…そうだね、そうさせてもらうよ。一人になっても大丈夫かい?」 「はい、大丈夫です。…あの…」 「うん?」 「やっぱり何か飲み物をいただいても良いでしょうか?」 「もちろんだよ。好きなものを飲んで待っていて?すぐに戻るよ。」 三枝さんを一人にしておく事は心配ではあったけれど、俺は洗面所へ向かった。 一人になって、鏡に映る自分の姿を見ると酷い有様だった。 乱れた前髪に音羽社長の白濁が乾き、カピカピになった胸元… 縛られていたものがネクタイであった事もあり、激しい抵抗もしなかった為か痕は薄い。 その事が唯一の救いだ。 縛られた痕など、蹴人に見られたくはない。 洗面台からカタカタと音が聞こえ下を見ると音の正体を理解した。 俺の爪が音を立てていた。 手が震えていた。 次第にその震えは全身に広がっていった。 両手で身体を包むようにして浴室に入った。 熱いシャワーで身体を落ち着けて、汚れた身体を念入りに洗う。 浴室を出て、身体を拭き、バスローブを羽織る。 数回ゆっくりと深呼吸をして部屋に戻った。 三枝さんはソファに身を沈めていた。 「三枝さん、待たせたね。」 「あぁ、社長。…すみません、私が至らないばかりに…」 「違う。悪いのは君ではないよ。…ところで、明日の予定はキャンセルになったのだよね?」 「…はい。」 「それならばもうこの場所に居る必要はない。明日の便で帰ろう。」 「よろしいのですか?」 「…俺も、あまりこの場所に長く滞在していたくないからね。」 「では、チケットを手配致します。」 「いや、俺がしておくよ。」 「しかし…」 「チケットの手配くらい俺にも出来るよ。俺に任せておきなさい。」 「申し訳ございません。」 俺は震えた三枝さんの手に自分の手を添えた。 「もう少し落ち着いたら部屋に戻って荷物をまとめておいで?ね?」 「はい…。本当にすみません。私よりも社長の方がお辛い筈なのに…」 「確かにそうかもしれないけれどね、これしきの事で俺はめげてはいられないのだよ。」 そうだ。 このような事は大した事ではない。 いや、そう言ってしまえば嘘になる。 けれど、蹴人を失う事を考えれば大した事ではない。 蹴人を失う… 今の俺にとって一番恐ろしい事だ。 「…社長はお強いですね。」 「伊達に会社一つ背負ってはいないよ。」 精一杯の強がりだ。 三枝さんの前で弱気になるわけにはいかない。 暫くして三枝さんは部屋に戻り、俺はエアチケットを手配し、荷物をまとめた。 三枝さんには偉そうな事を言ったけれど、本当は一日も早く蹴人に会いたいだけだ。 早く触れ合いたい。 そして、この身体に残った気持ちの悪い感覚を消し去ってほしい… それが出来るのは… 蹴人だけだ… 早く… 会いたい… ベッドには入ったものの、今夜は眠れそうになかった。 二週間だと伝えていた出張は伸び、その間連絡は取っていないに等しい。 そのような俺を許してはくれるだろうか… それとも、なにも感じていないのだろうか… 少しでも… ほんの少しで構わない… 俺を感じていてくれたら… 俺はそれだけで幸せだ。 眠れない事を分かっていながらも、早く会いたいと逸る気持ちを抑えながら目を瞑った。

ともだちにシェアしよう!