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第22話

困り果てた俺を他所に、向井君は由莉亜の脱ぎ散らかしたヒールを丁寧に揃えていた。 「由莉亜、待って。」 そのように声を掛けた時には、もう由莉亜はリビングのドアを開いていた。 一応俺の言葉は届いていたらしく、由莉亜が振り返り言った。 「今日一日部屋に置いてくれるわよね、総一郎。」 「由莉亜 、いきなり上がり込んできて、何を言い出すのかと思えば…」 「総一郎、彼は貴方の新しい使用人かしら?」 どうやら由莉亜は蹴人を使用人だと勘違いをしているようだ。 「由莉亜、彼は…」 「彼は随分と壱矢さんとは違うタイプね。」 「由莉亜、折戸は使用人ではないよ。」 「そうは変わらないじゃないの。壱矢さんは貴方のお世話係のようなものだもの。」 「由莉亜、彼も使用人ではないよ。そもそも俺がそのような人を雇うと思っているのかい?」 「…そうね、あり得ない話よね。ところで貴方、総一郎とはどのような関係なのかしら?」 由莉亜が蹴人を覗き込む。 苛立ちが増すばかりだ。 今にも爆発してしまいそうな己を押さえ込んだ。 「…友人です。」 え?… 目眩でも起こしたように思考が停止する。 友人… 「…」 友人の二言が何度もリフレインする。 身体中を駆け巡り、そのような感覚に吐き気さえも覚えた。 「お名前はなんと仰るのかしら?」 「黒木蹴人です…」 蹴人はソファーから立ち上がり由莉亜に頭を提げている。 普段ならば、礼儀の行き届いた子だと感心する余裕くらいはあるだろう。 「黒木さんと仰るのね。私は君島由莉亜と言うの。総一郎の…」 必死で押さえ込んていたものがとうとう爆発した。 「由莉亜ッ!!」 俺の声に、目を見開いた由莉亜の肩が揺れた。 今の俺に、他者を気遣う余裕などなかった。 「驚くじゃないの。どうしたというの?そんなにも大きな声を出して。」 「…今からでもホテルを手配するよ。申し訳ないけれど、泊める事は出来ない。」 「私を泊める事に不都合があって?」 「このような言い方をしたくはないけれど、迷惑だ…」 言葉遣いが荒くなっている。 これ以上はいけない… 自分でも理解していた。 「先程こちらに着いたばかりなのよ。泊まらせてもらうというお話は一度置いておくとして、少し休ませていただけるかしら?それくらいならば、構わないでしょう?」 いい加減にしろよ… そのような気持ちを再度押さえつけた。 「少しくらいならば、構わないけれど…」 これでよい。 普段の俺ならば、突然の来客にもお茶を振る舞う事くらいはするだろう。 「そう?では、そうさせていただくわ。向井、お茶の支度をなさい。」 由莉亜が向井君を呼び、向井君がリビングに入ってきた。 「総一郎様、お久しぶりでございます。」 向井君が改めて頭を下げた。 「久しぶりだね、向井くん。元気だったかい?」 「はい。総一郎様も息災のご様子で…」 「由莉亜が我が儘を言ってはいないかい?彼女の世話は大変でしょう?」 「とんでもございません。お嬢様はとても良くしてくださいますよ。」 きちんと会話もできている。 問題はない。 俺は俺を保てている。 「由莉亜にそのように言いなさいと念を押されているのではないかい?」 「それよりもキッチンをお借りしてもよろしいでしょうか?」 「構わないけれど。」 端から見ればごく普通の会話なのだろうけれど、ごく普通を保てているのは、俺が我慢をしているからだ。 我慢などという言葉はあまり使いたくない。 けれど、仕方がない。 本当に我慢しているのだから… 帰れと怒鳴り散らす事ができるとしたならばどんなに楽なのだろう。

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