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第27話
暫くすると扉を叩く音が聞こえた。
そして、三枝さんに連れられ由莉亜が入ってきた。
その表情は明らかに不機嫌といったものだった。
「…総一郎、私は怒っているのよ。」
「由莉亜、連絡をすると言っておきながら出来なかった事は申し訳ないと思っているよ。」
「違うわよ。その事ではなくて。貴方って本当に鈍感だわ、総一郎。」
変な気を回した三枝さんは頭を下げて出て行ってしまった。
俺としては三枝さんが居てくれた方が助かる。
由莉亜の小言を聞かずに済むからだ。
「鈍感とは酷いね。」
「この間貴方の家に居た、確か…そう、黒木さんという方の話をしているの。」
「由莉亜は、蹴人の事で怒っているのかい?」
「そうよ。それにしても可愛らしくなったものね、総一郎。壱矢さんでさえも折戸とよぶ貴方が、彼を名前で呼ぶだなんて。彼とはお付き合いをしているのでしょう?」
「…お付き合い…それはどうだろうね。少なくとも俺はそのつもりなのだけれど、君が余計な事を言ってくれたものでね、あの日以来彼とは会えていないよ…」
「あらあら、婚約者という言葉が響きすぎてしまったのかしら。彼の私への反応があまりにも可愛らしくてついついからかい過ぎてしまったのよ。」
「蹴人の反応?」
「貴方、気が付いていなかったの?…本当に鈍感だわ。」
「警戒心剥き出しだったわよ。そうね、例えるなら突然やって来た訪問者にテリトリーを侵された挙句にご主人様を奪われたペット…と言ったところかしら。」
「彼をペットに例えるだなんて酷いな、由莉亜。」
「貴方も例えてあげましょうか?初めて飼うペットに振り回されているご主人様。早いところ飼い慣らさないと逃げられてしまうわよ。」
「…もう逃してしまったのかもしれないよ。」
「待っている可能性もあるのではないかしら?」
「彼はそういうタイプではないと思うけれど…」
「ねぇ、総一郎。彼がそういうタイプでないと誰が言ったの?」
由莉亜の言葉に衝撃を覚えた。
俺は蹴人の態度や言葉から勝手にそういうタイプの人間ではないと決め付けていたのかもしれない。
蹴人はあまり感情を出さない子であるし、口から出た言葉は驚く程に素直ではない。
その事を分かっていながら…
俺は何をしているんだ…
明らかに俺は間違えたのだと気付いた。
突き放すべきではなかった。
閉じ込めてでも側に置いておくべきだった。
「どうやら俺が勝手に決め付けていたようだね。」
「あらあら、いつからお利口さんになったのかしら、総一郎は。」
「由莉亜、君、俺で楽しんでいるね?」
「そうね。楽しいのもあるけれど、嬉しいのよ。この歳にして、ようやく人間らしくなった貴方が見られて。」
「酷い言い草だね。折戸も君も俺に対して容赦がない。」
由莉亜の言葉に思わず苦笑した。
「さて、総一郎、本題だけれど、約束を覚えていて?」
「覚えているけれど、心が痛むね。」
「貴方、偶にはヒールになるべきだわ。優しすぎるもの。この先、優しいだけでは生きてはいけないわよ。」
「…分かってはいるのだけれどね…」
「今晩…」
「分かったよ。君のお宅にお邪魔したら良いのかな?」
「えぇ、待っているわ。私の自由は全て貴方の手にかかっているのだから、頼んだわよ、総一郎。」
「分かっているよ。君の為に最悪のヒールになろうじゃないか。」
由莉亜がそう言い帰ろうとした時扉が叩かれた。
三枝さんがお茶を煎れて戻ってきた。
「由莉亜。折角だ、一杯だけ飲んでいったらどうだい?」
「そうね、いただいていくわ。」
由莉亜はソファーに落ち着くとお茶を飲んで帰って行った。
暫くして折戸が戻ってきた。
「折戸、悪かったね。ありがとう。それにしても遅かったね。」
新品のワイシャツに袖を通し、ボタンをとめた。
「少し野暮用がありまして…。しかし、まさか由莉亜さんがいらしていたとは…」
「折戸に会いたがっていたよ。」
「冗談を。」
「なぜ俺の周りは折戸と仲が悪いのだろうね。」
「それは、貴方が鈍感だからですよ。けれど、それも今や必要のない事だと気付けば仲も良くなるというものです。」
「確かに。啓がその一例だね。あんなにも不仲であったにも関わらず、すっかり懐いてしまったのだからね。」
「それよりも、今晩決行なのですね。」
「俺に出来るだろうか…」
「大丈夫ですよ。何年も貴方の側に居る私が言うのですから。黒木君が絡んでいる事以外で貴方がヘマをするところなど、私は見た事がありませんから。」
「君と由莉亜には敵わないな。」
そう言って折戸は苦笑した。
俺の鬱々とした気持ちが晴れていった。
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