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第44話

暫くすると、蹴人の声が聞こえなくなった。 その代わりに静かな寝息だけが聞こえた。 汗で濡れた前髪が挙げて額にキスを落とした。 その後、蹴人の身体を綺麗に拭いた。 そして、元旦にシャワーを浴びた。 肩にヒリヒリとした痛みがまだ残っている。 噛み跡… このまま噛み癖でもついてしまえばよい… 一生消える事のない傷になってしまえばよい… 傷に触れながら目を細める日が訪れるだなんて… 洗面所を後にした。 可愛らしい寝顔を見たいとは思ったけれど暫く疲れ身体を休めてほしい。 気配で起こしてしまうのも可哀想だ。 俺は寝室へは寄らずにリビングへと向かった。 蹴人が目覚めるまでゆっくりとした時間を過ごした。 部屋が橙に染まっても蹴人が起きて来る気配はない。 蹴人が目覚めた時に何か食事を摂らせてあげたい。 冷蔵庫を確認するも何もない事は分かっている。 俺は買い物に行く事を決め、静かなに寝室に入った。 そして着替えを済ませ、買い物へと向かった。 数日分の食料を購入し家に戻るも、蹴人はまだ起きてはいないようだ。 購入した物を冷蔵庫へ入れながら買いすぎてしまった事に気付いた。 二人分の食材… このまま蹴人が居続けるかは分からない。 それなのにも関わらず… 思わず苦笑した。 いつものような食事を作ってあげたいところだが、簡単に済ませたいという気持ちが勝っていた。 俺も俺で、疲労感がある。 年齢を感じざるを得ない。 簡単かつお腹に溜まる物… 思い浮かんだものは炒飯だった。 確かまだ昨日出したレトルトライスが残っていた筈だ。 どこまでも手抜き… とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 だが、疲れが一気に襲ってきた今、とても手の込んだ物を作ろうとは思えない。 俺はキッチンに立ち調理を始めた。 油を引いて食材を炒め始めると足音が聞こえた。 その足音は紛れもなく蹴人のものだ。 この家に俺と蹴人しか居ないという事もあるけれど、俺は例えこの足音が雑踏に紛れていてもきっと気付く事が出来る。 人は歩き方に癖がある。 足音や歩き方… 俺の耳はそれを覚えている。 ここまで来ると何かの病だと折戸は呆れたように言う。 しかし、仕方のない事だ。 俺は蹴人の全てに敏感なのだから… リビングにやって来た蹴人と目が合った。 「蹴人、身体の具合はどうだい?歩いたりして、辛くはないかい?」 「…あぁ、大分楽だ。」 その言葉を聞いて安心した。 明日は週始めだ。 学業やアルバイトに支障が出てはいけない。 その事を理解しておきながら無理をさせた。 「良かった。」 「今日が休みで良かった。あんなじゃとても大学に行けないからな。」 「明日は行けそうかい?」 「あぁ、颯斗をとっちめてやらねぇと。」 新見君が少し不憫だと感じた。

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