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第7話

冷たい雨は霧雨にかわり、薄い靄のようなベールを林全体に落としていた。雨は最後の抵抗をする木の葉に重さという負荷をかけ地面に落とす。葉は腐り、腐葉土となって来春には木々と草の栄養になるのだ。 「最後の一葉」だったか・・・老いた男が壁に描いた葉も少女の役にたったが、この林の膨大な葉も確実に次につながる働きをしている。 随分寂しくなった林を見ながら黒田は少しほっとしていた。 実は今日の対面を思うと憂鬱だったのだ。吹田は先月よりも多く口をひらき、少しだけ気持ちを滲ませるだろうと予想していたからだ。やんわりと諭す自信はあるが、相手にとってマイナスの事を言わなければならないのは、どうしたってストレスを生む。 いつものようにパイをすすめてみたが、いつものように断られた。鳥籠に群がる野鳥を眺め、優等生すぎる日本の車は面白くありませんね、と不満をもらして微笑んだ。 ただそれだけだった。面食らっている自分を表にださないようにするため、いつもより余計にコーヒーを飲んだことに吹田は気が付いただろか? 気が付いていないと結論付ける。 やはり身の丈にあった恋をするべきだという正しい判断をした、そう思いたい。 prururururu----pururururu めったに鳴らない電話の音に、黒田は眉をひそめた。 開店前にかかってくることはほとんどない。夕方になって「パイは残っていますか?」そんな電話はたまにくるが、開店前にパイを予約する客はいない。 放っておこうかとも考えたが、客だったなら勿体ないから出ることにした黒田は、出てしまった自分に舌うちをした。 『御無沙汰しております。』 「ちっ。」 『舌打ちとは随分な返事ですね。』 「用向きは何だ。」 『パイを3ついただきに15:00、そちらに伺います。』 電話をかけてきた主は断りも都合も聞かず唐突に電話を切った。「パイを3つ」これは男が食べる数のことではない。様子を伺う時は1つ、仕事があります、が2つ。3つは厄介事。 黒田には確かめる術がない。今は「1つ」しか受付けない権利があり、「2つ」は断って当然。しかし「3つ」となれば話は別で、かけてきた男が誰であるかが重要だった。どうして16年の間自分を避け続けてきた人間が、わざわざ「3つ」を告げてきたのか。 何れにしても15:00まで待てば事情は分かるのだろうから、それまで待つしかない。 黒田はため息を一つついたあと一晩寝かせたカレーのなべを作業台にあげる。 相変わらず不愉快だと文句を言いながら読み進めた本はもう残すところ1/3だというのに、暴かれたことは衝撃をあたえるほどではなかった。このままダラダラと終焉をむかえるのかもしれない。 自分が結婚することはないだろうが、あれはあまりにひどすぎる。そしてどんな育て方をしたらあの姉妹が出来上がるのだろう。 そこまで考えて今日はもうこれ以上本の内容に引きずられる必要はないと読書を切り上げ、カレーに取り組んだのだ。 美味しそうに色を変えた鍋の中に、ルーの箱の表示にある半分の量のカレールーを入れた後、大量のカレー粉で調整する。 黒田のカレーは最初口にした時は甘くフルーティーだ。そしてあとからガツンと辛みが顔をだす。でも次の一口が甘いので食べ続けるのは容易だ。(結構な汗をかくことになるが。) 一晩寝かせるとスパイスが馴染み統制がとれた特製カレーができあがる。それを今度は一番小さなジップロックに一人前ずつ詰めて冷凍庫へ。3日に一度本を片手に玉ねぎ炒めをするのは面倒すぎるから、一度に大量に仕込むことにしている。 15:00にはまだまだ遠い。 時計に目をやった黒田は、また一つため息をこぼした。

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