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及川 1

今日は珍しくよっしーの隣に及川がいなかった。 風邪でも引いたのかと思って軽い気持ちでよっしーに尋ねたら、不安そうな顔で「わからない」と言われた。及川と連絡が取れないのだと言う。昨夜送ったLINEにも既読がつかないと。「そういう事は早く言え」とよっしーを叱って俺も及川に電話をかけたけど、応答がない。 寝坊か?でも、及川はこれまでそんな事で大学をサボった事はなかったんだけど……。 「なあ、及川見てねえ?」 そういう訳でちょっと心配な俺は、講義室にいる奴に片っ端から聞いて回る事にした。 「及川?さあ?見てないけど」 「そっか」 「おい、」 また違うやつに聞きに行こうとした腕を取られる。 「なに?」 俺、急いでるんだけど。 「お前、まだ及川と付き合ってんの?やめろよ」 「あいつはお前達の思ってる様なやつじゃねーよ」 「……どうだか」 「悪い、急いでんだ」 俺はまた別の奴を捕まえて及川の事を尋ねる。そうこうしている内に、短いスマホの着信音が鳴った。 『風邪引いたから暫く休む』 愛想もそっけもない及川からのそのメッセージを見て、ほっとした。まあ半分以上はそんな所だろうなとは思ってたけど、よっしーには連絡しろよな。でも、思った。ちょっと意外だな。及川がわざわざ俺にLINEしてくるなんて。いつもこういうの、よっしーにしか出さないのに。 「土佐ー!」 よっしーが向こうから走ってくる。あんまり慌てるなよ。あ!ほら案の定躓いた。転ばないで耐えただけ今日は偉い。 「あゆ君からLINE、来た。風邪だって」 「俺も来た」 答えながら何の気なしによっしーが差し出した画面を見る。おや?と思った。俺に届いたのと全く同じ文面だったからだ。及川が俺にそっけないのはいつもの事だけど、よっしーには甘々だ。『連絡遅くなってごめん』ぐらい入っててもおかしくないと思ったのだが。そんな気も遣えないくらいぐったりしてんのか……? 「あ」 よっしーのスマホに立て続けに新しくメッセージが届いた。 『大丈夫』『自分で行ける』『感染すと悪いし』 その上には、よっしーが送った『何か買ってく?』のメッセージがある。 なんか違和感があった。普通の及川が、3連続でLINEを送ってる姿が想像できないから。でも、それは俺に対してだけであって、よっしーにはいつもこんな感じなのかもしれないけど。 「まあでもよかったな、大したことなさそうで」 「え、あゆ君平気かな……」 「だって自分でコンビニとか行けるっぽいし」 本当にぐったりしてたら、返信も『大丈夫』だけで終わりそうだし。 「そうだね、よかった」とほっとした様子のよっしーが自分の席を探して座るのを見送って、俺も後ろの方に陣取る。すぐにいつもの仲間が集まって来た。 よっしーと及川はべったりだけど、俺はいつも2人と一緒にいる訳じゃない。でも、それはよっしー達よりもこいつらが好きだからとか言う訳じゃなく、寧ろ親友というカテゴリーがあるなら俺はよっしーと及川をその位置に置きたい。それは、俺が例えば死にそうな程悩む様な事がある時に話を聞いて欲しいのは、絶対によっしーと及川だからだ。 「及川見つかったの?」 「ああ、風邪だって」 「ふーん。ただのサボりじゃねーの?」 「だからあいつそんな奴じゃねーって」 俺はいつも否定しているけど、誰に聞いても及川の評判はすこぶる悪い。及川は大学をサボった事も、寝坊で遅刻したことすらないのに、誰も及川のそんな真面目な面には目を向けようとしないのだ。 それは、初めて会った高校生の頃からずっとだった。 いや、初めの頃はそうでもなかったか……。 高校1年が始まってすぐに編入してきた及川の第一印象は、「すっげーキレイな奴」だった。あと、本当に男か?ってのも、あった。女みたいな名前だと思ったから。 多分、俺以外の多くの奴が俺と同じ印象を持ったと思う。実際、編入したての時その美少年ぶりはクラス中の注目を集めたし、廊下に人だかりまでできるくらいだった。 でも、及川はただの美少年じゃなかった。これは美少年に対する勝手な偏見かもしれないけど、及川はかなり無愛想だった。それに、なんというか、普通の目付きじゃない気がした。能天気に生きてきた高校生がしない様な目付きだ。冷めているというのか、据わっているというのか。 それに、いつも気だるそうで、誘われても皆の輪の中に入ろうとはせず、一人でいたがった。及川は独りが様になる人間だった。 女子にキャーキャー騒がれても、それで男子にやっかまれても、全部がどうでも良さそうで、くだらないと思っていそうだった。 美形がそんな風だとかなり話しかけづらい雰囲気だけど、それでもその頃はまだ悪い見方はされていなかった。どちらかというと高嶺の花的な扱いを受けていた様に思う。 それが、いつからかどこからか分からないけど、変な噂が囁かれる様になった。 及川は少年院上がりだの、暴力団と付き合いがあるだの、シャブをやってるだの。 証拠があるわけでもないそんなバカみたいな噂に信憑性を感じてしまったのは、及川の持つ普通じゃない雰囲気のせいだ。美少年なのに無愛想なの然り。違う世界を見てきたみたいな暗い目付き然り。そして、地毛が茶髪気味なのも不良疑惑に拍車をかける。 能天気な俺達は、そういう及川に感じる「違和感」を、「そういう事」だったのかと結びつけて、勝手に納得したのだ。 周りの奴等が及川を遠巻きに噂しつつ避ける様になっても、当の及川はこれまたどうでもよさそうだった。 俺も、無茶苦茶美人なのに地雷って勿体ないなってぐらいしか思ってなかった。 そんな及川への印象をガラリと変えられた出来事があった。それは、登校拒否だったよっしーが、久々に学校に来た時の事だった。 「なんだまだいたんだ」 「お前の席なんかもうないんじゃね?」 恐る恐るといった調子で教室に入ってきたよっしーは、来て早々所謂いじめっ子にからかわれて泣きそうになっていた。 俺も、せっかく登校できたんだから放っといてやれよくらいは思ったけど、面倒事に首を突っ込むつもりもなく傍観していた。 「謝れ」 それは、初めて聞く声色だった。 よっしーをからかったいじめっ子を睨み付けていたのは、後から教室に入ってきた及川だった。 え、と思った。及川は、ずっと学校を休んでいたよっしーと初対面の筈だし、正義感を振りかざすタイプでもなかったからだ。 「う、うるせーお前には関係ねーだろ」 いじめっ子は、それだけで結構ビビっていた様に思う。何せ、暴力団と繋がりのある少年院上がりの及川だ。これまで学校で問題を起こすどころか、何を言われても不満を示す所すら見せたことのない及川が、初めて感情的になったのだ。 「由信に謝れって言ってんだ」 淡々とした中に強い怒りの感情が見え隠れしていた。それを正面から向けられた奴等は、ついに及川に言われた通りよっしーに謝罪した。 この日からよっしーは不登校じゃなくなって、いつも一人だった及川の傍に、いつもよっしーがいる様になった。 この事件は、尾ひれをつけて噂された。あの時の目付きは確実にクスリをやっているそれだったとか、及川を怒らせた二人は裏でヤクザにシメられたとか。 及川の黒い噂は、更なる裏付けを得て羽が生えた様に高校中を駆け巡った。もうこの時点で、殆どの人間が、それを噂ではなく真実だと思う様になっていた。 でも、俺は知っている。その裏付けは真実ではない事を。 俺だけじゃない。あれを実際目にした多くの者が知っている筈なのに、それは違うと声高に言う奴は俺以外にいなかった。 あの二人は制裁なんて受けていないし、及川はあの時間違いなく正気だった。寧ろ、いつも何を見てもどうでもいいと思っていそうな及川の感情の宿った眼差しは、とても綺麗だった。

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