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及川 2

それから俺は及川に興味を持った。及川の外見だけでなく、中身にも。 距離を縮めようと異常な程話しかけ捲る様になった俺を、及川はあからさまに警戒した。 初めの頃は邪険にしかされなかったし、俺が傍に寄るだけで睨み付けてこっち来んなみたいな態度を取られてたけど、それでもなんか嬉しかった。クラスメイトの名前すら覚えていないであろう及川が、俺の存在をその他大勢から切り離してくれたって事だから。 及川に初めて「土佐」って名前で呼ばれた時は、嬉しさのあまりニヤけてしまって、及川に「気持ち悪ぃな」って苦い顔されたけど、それも含めて俺は嬉しかった。 こうして、及川が表情を変える相手に、俺も追加された。よっしーに対する態度と俺に対する態度は殆ど正反対だったけど。 及川は猫っぽい。猫と言っても飼い慣らされてるのでなく、野良猫の方だ。飄々としていて警戒心が強くて、仲良くなるには根気が必要。 小学生の頃、可愛くて手懐けようと思って挫折した野良猫のクロにそっくりだ。あの時は餌をあげようとしたのに引っ掻かれて、失望してもう可愛いと思えなくて諦めた。でも、及川には何度引っ掻かれても失望することはなかったし、そんな所も可愛かった。 周りの奴等からの「及川にちょっかいかけるのやめた方がいい」って小言は、何度聞いたか忘れるくらい言われた。「怖くないの?」とも。俺は決まってこう答えていた。「全然怖くないし、あいつ意外といいやつだと思う」 及川に近づく事は、イコールよっしーに近づく事でもあって、俺は警戒心バリバリな及川よりも先によっしーと仲良くなった。 小柄で華奢で自信なさげでいかにもいじめられっ子なよっしーと俺は元々接点も共通点もなかったけど、一緒にいると妙に居心地がよかった。 俺はバカ騒ぎしたいときはこれまでの友達と、まったりのんびり過ごしたいなって時はよっしー達と過ごす様になっていった。 よっしー「達」と言うからには、そこには及川もいて……というか、よっしーの傍には常に及川がいたからなんだけど、それでも、よっしーと、自宅に招かれるくらい仲良くなっていた頃には、及川も俺に対する態度を大分軟化させていた。 初めてよっしーの家に遊びに行った時、そこに自然な様子で、何なら部屋着の及川がいて、俺は驚いた。 よっしーが『よっしー』と呼ばれる様になった由縁は、及川だった。 よっしーと及川は苗字が同じなのだ。本当は元祖『及川』はよっしーだった筈なのに、不登校の内に及川に『及川』の座を奪われた。 そう。二人は苗字が同じなのだ。でも俺はそれを偶然だと思っていた。けど、実際は偶然なんかじゃなかったのだ。 え、まさか双子?全然似てないけど? 混乱する俺に、よっしーが教えてくれた。 及川は元々施設にいたのだが、最近になってよっしーの家に引き取られたそうだ。よっしーと及川は遠い親戚にあたるらしい。 なんだそうだったんだ。及川にも会えるなんてラッキー。その話をそんな風に軽く受け止めた俺は、度々よっしーの家に遊びに行くようになった。 「みんな酷いよね、あゆ君はそんな悪い子じゃないのに……」 3人で菓子を囲んでまったりしてる時や宿題をやっている時、よっしーはよくその不満を口にした。 及川の噂に本気で心を痛めていたのは、よっしーだけだったのかもしれない。当の本人はどうでもよさそうだったし、俺は、別にもし及川が噂通りでも、及川は及川じゃんって思ってたし、俺だけ(よっしーは別格として)が及川の本当の顔を知ってるって事に少しだけ優越感を抱いていたから。 高1の2学期の終わり頃だったと思う。よっしーに彼女ができた。 当時はかなり驚いたが、なんと4個も歳上の彼女だ。ネットで出会った、元登校拒否の人らしい。一度会わせて貰ったけど、何でこの人が登校拒否してたんだろうってぐらい綺麗な人だった。 この頃には及川は俺にかなり気を許していて、よっしーがお家デートする週末には、及川は俺の家に遊びに来る様になっていた。 よっしーと及川の部屋は別だから、普通に考えればそこまで気を遣わなくてもいいとは思うが、及川はなぜかあの美人の彼女が苦手だと言っていたから、多分家にいたくないのはその為だ。 苦手な理由は聞いても教えてくれなかったけど、俺は深く追求しない。だってそんな事して「じゃあやっぱいい」なんて言われてみろ。俺はせっかく及川と仲良くなるチャンスを棒に振ったりはしなかった。 今でも昨日の事のように鮮明なのは、及川が俺の家に来るようになって何ヵ月か経ったある日の記憶だ。 「なあここ、ムズすぎんだけど」 及川は俺のベッドに俯せに寝っ転がってDSをしていた。マリオだ。 誰にも懐かない野良猫みたいな及川が俺を当たり前の様に傍に置く様になった事実は、こういう時特に実感する。俺に気安い及川には、当然の事ながら悪い気どころかいい気しかしなくて、俺は胸の奥をムズ痒くさせながらも平然を装って及川の手元を覗き込んだ。 「やって」と言いながらも俺にDSを渡さない及川は、多分俺が操作するのを見たかったのだろう。俺は及川の身体に半分覆い被さる様にして、及川の眼前でDSをやってみせた。 「ここはBでダッシュしてたらそのまま行けるんだぜ。最後はジャンプな」 「あそっか!サンキュ」 及川はまたマリオに没頭し出した。早く進めたいのか、俺が完全にDSを離す前に手を出すもんだから、俺の手の甲を、男にしては細くスラッとした及川の指が掠めた。 途端、俺の周りだけ空気が濃密になる。 及川のパーソナルスペースとやらはどうなっているのか、及川はスキンシップをあまり気にしない。だから、及川といるとこの手の触れ合いはよくあるのだ。俺は馴れないけど、及川は特に何という事はなさそうだ。 ていうか、手が触れたのもだけど、この体勢は流石におかしかった。俺の鼻先には、及川の頭。息を吸ったら、シャンプーの香りに混じって殆ど無臭の及川のにおいを、鼻の奥で感じた気がした。 「重い」 及川が、DSから顔も上げずに片手間に文句を言った。俺は、ちょっとクラクラしながらもごめんと身体を起こす。 そして、及川が背中を向けてるのをいい事に、及川の形のいい頭を、ボタンを操作する指を、肩から腰のラインを、尻のなだらかな膨らみを、細身のパンツに覆われた細い足を見た。膝を曲げてブラブラさせてる脹ら脛も、一生懸命過ぎて力が入るのか、時折親指を曲げる足の爪先までも、じっくりと。 ―――ヤバイな、こいつ。 男で友達の及川がもの凄くいやらしい存在に思えて、俺は自分の頭をわしゃわしゃとかき回した。 何考えてんだ、俺。何でドキドキしてんだよ、もう! 「なあここは?」 俺の動揺を知らない及川が、能天気にまた俺にヘルプを頼む。 「さっきと同じじゃねえの?」 「ちげーよ。ダッシュじゃ行けなかった」 「てきとーにAとかBとか押してみれば?」 またさっきの体勢になったらヤバイと思った俺は、ベッドを下りて床に胡座をかくと、漫画本を開いた。さっき読み終わったばかりのやつだ。 「んだよケチ」 俺のそのポーズを見て、教えて貰えない事を悟った及川はそう言うとまた直ぐにマリオに没頭した。 俺が漫画のページを10回くらい捲った後に、及川が「あ、行けた」と呟いた。 暫く、ゲームの軽快なBGMと、カチカチ忙しなくボタンを押す音だけが部屋に響いていた。俺は、本日2回目になる漫画を読み終えた。 「よっしゃ、クリア!」 及川が嬉しそうに言った。 その頃には、流石に俺の気持ちも落ち着いてきていた。さっきは、ちょっと傍に寄り過ぎたし、身体が密着したのがよくなかった。及川相手にあんな気分になるなんて、俺少し溜まってんのかも。うん、そうだ。絶対そうだ。 「そんなに楽しい?」 「あ?」 「マリオ」 「……悪いか」 及川はむすっとした。子供っぽく熱中していた事を揶揄されたと思ったのかもしれない。けど、俺はそういうつもりじゃない。 「熱中できていいなって思っただけ。俺もうその面とか目瞑っててもできそうなくらいやり過ぎて飽きてるし」 及川がやっていたのは最初の方のステージだし、このマリオはかなり古い。確か小学生ぐらいの頃に買って貰った奴で、だからこそそこまでやり尽くしたのだけど。 そこまで考えて俺はようやく「あ」と思った。 「施設にはなかったんだ?マリオ」 「………知らね」 「ん?」 「うるせー。別に、熱中してねーし」 及川はDSの電源を切って起き上がると、俺から漫画を引ったくった。そしてそのまままたごろんとベッドに俯せになって表紙を開く。子供っぽい及川の態度が可愛いくて微笑ましい。 「なあそれ34巻。1巻から読む?」 聞くと、及川が手を出した。多分、「寄越せ」って意味だ。 及川は、ゲームもだけど、漫画にも没頭する。年頃の男ならみんな知っているであろう人気の漫画なのに、俺がさっきした流し読みなんかじゃなく真剣だ。 そう言えば及川は、トランプのババ抜きのルールも、ウノも知らなかったらしい。オセロも、将棋も、ドンジャラも、人生ゲームも、桃鉄も、知らなかった。 そんな及川がマリオだけ知ってる方がなんかチグハグだし、この漫画も初めて読むに違いない。 ゲームも、漫画も、及川にとって俺の部屋にあるものは殆ど全部新鮮なのだろう。よっしーの家は、ボードゲーム系は一通り揃ってるけど、漫画やこういう単純なゲームはあまりない。よっしーはネットゲーム派なのだ。 施設ってそういうの全部禁止されてんのかな。それにしてもトランプくらいあってもよさそうなのに。 でも、俺が選んだゲームや俺の集めた漫画で「初体験」する及川ってのは、悪い気がしない。真っ白いキャンバスに、俺の趣味で色がついていく様で。こういうのを、俺色に染めるっていうのかな………。 ハッと目が覚めたらもう外は薄暗かった。 いつの間にか寝てたみたいで、畳の上とはいえ硬い所で寝てたから身体が痛い。 起き上がってベッドの上を見ると、及川も眠っているみたいだった。顔の横には漫画本が開いたまま伏せてある。8巻まで読んだんだ。 あんなに警戒心丸出しだったのに。あんなに感情がなさそうだったのに。……思い出したら微笑ましく思えてくる。 及川は知れば知るほどに可愛い奴だった。気を許した相手の前では驚く程に無防備で警戒心の欠片もないし、表情だってコロコロ変わる。それに、スキンシップだって……。さっきみたいに手が触れあっても、覆い被さってもその事自体に不快感はないらしく、文句を言われたり拒絶されたりしたこともない。 あんなだったのになあ……。またさっきと同じことを考えながらすやすや眠る及川を見てたら、俺も再び眠くなってきてしまった。また下で寝るのは勘弁、と思って、及川の身体を壁際に押し退けた。 ……てか軽っ。元カノより軽いっておかしくね? 考えてたら身動ぎしたので、一瞬、起こしたか?と思ったけど、相当熟睡しているらしく、目を開けることなくすやすや眠り続けていた。 直前まで及川がいた所は、触ると及川の身体の温もりが残っている。普通こういうのって、嫌悪感があったりすんのかな。俺は全然だ、及川だし。でも、別の野郎だったら嫌だな。よっしーはちっちゃくて小動物みたいだからまだいいけど、でもやっぱり同じベッドに寝るのはちょっと………。及川だからだよなあ、こんなことできるのは。及川でよかった。 そこまで考えてあれ?と思った。何で及川ならいいんだ……?よっしーよりは少しでかいぞ。細さは同じ様なもんだけど。でもやっぱすげー綺麗だし可愛いし……って、は?いくら美人で可愛くても、及川は男。男なんだぞ。 必死で否定してんのに、「さっき、すげーいい匂いしたよなあ」って事を勝手に思い出す。しかも、「また嗅ぎたいなあ」とまで思う。 いや、だめだろ。おかしいだろ。 次の週末は及川には申し訳ないけど元カノにでも会おう。ここ最近毎週の様に及川と会ってるから、俺ちょっと変になったんだ。 てか、俺は眠いんだから! 本当言うと眠気なんかなくなっているのに、俺は無理矢理及川の隣に寝そべった。 ほら何ともない。何とかある訳がない。 ドキドキしている癖にそれを誤魔化す様にわざと及川の方に身体を向けた。多分俺は、俺が「何ともない」事を身をもって確かめたかったんだと思う。 それなのに―――。 吸い寄せられた。小造りで綺麗な顔。長いまつ毛。目を瞑っていても大きいのが分かる目。そして、桜色の唇―――。 ――――俺、今何しようとした……? 及川に顔を近づけて、何を―――。 弾かれた様に及川から離れた俺は派手にベッドから転んで、その騒がしさに及川が目を覚ました。 「んー……」 寝惚けて目を擦っていた及川は、自分が眠っていたのが俺のベッドだと気づいてはっとしていた。 「俺、いつの間に……」 「お、俺も寝ちゃってたんだ。今起きた」 及川は、自分が俺の目の前で眠った事が信じられないといった様子だった。そこまで驚くなよ。お前、自分が思ってるよりずっと俺の前で無防備だぞ。 「なんか混ぜたりしてないよな……?」 及川は真剣な顔をして自分のウーロン茶を指差してそんな失礼な事を言った。んな事する訳ねーだろと怒る所だが、俺はさっきの自分の行動に後ろめたさがあったから、そんなに怒る気にもなれずに、でもしっかりと否定だけはして、もう遅いからと及川を家に返した。 それから俺は彼女を途切れさせた事がない。 まずすぐ次の週に元カノとヨリを戻して、それからその子と別れてからもまたすぐ別の子と付き合った。 週末全部彼女との予定で埋めてしまおうかとも思ったけど、よっしーが彼女とお家デートする時に及川が気まずい思いをしていたり、行くところがなくて困っていたりしたら可哀想だと思うとそんなことは出来ず、彼女と会うのは土日のどっちかにした。 そんな訳で結構な頻度で会ってたのに、一人の子と長続きしたことはこれまでない。大抵俺が振られる方だ。曰く、あたしの事そんなに好きじゃないんでしょう?って。そんなこと、ないんだけどなあ。

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