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夢なら醒めて
突き落とされた先は暗い谷底だった。
俺はやってない!
何度訴えても、誰ひとり俺の言葉に耳を傾けてはくれなかった。
不憫な子供。性格まで歪んでしまって。
向けられるのはよくて憐れみ。悪くて汚物を見るような蔑み。
誰の助けもなければ自力で這い上がる為の梯子すら外され、俺は認めるしかなかった。人は、人の価値は平等ではない。この世の中はとても理不尽なのだ………。
―――――嫌な夢を見た。
寝覚めは最悪。頭が痛いのも気分の悪さに拍車をかける。風邪でも引いたかな……。そう思いながら目を開けたら、目の前に広がるのは知らない景色だった。
ここ、どこ……?
まだ寝惚けているのかもと思って目を擦ろうとしたけど、できない。手が、動かない。
「あ……」
手が動かないのは、頭上で固定されているからだ。それを認識した途端、意識を失う前の記憶が雪崩の様に押し寄せてきた。こんなの、嘘だ。嫌だ。夢なら醒めてくれ……。
手首には太い革紐の様なものが巻き付いていて、その輪から伸びる鎖はベッド柵へと伸びていた。足首も、右足首だけに腕と同じものが巻き付いていて、多分ベッドの脚の部分に固定されている。どうにか鎖を外そうと手足を思いっきり引っ張ってみても、手首と足首が痛いだけで一向に外れる気配はない。
初めはなるべく音を立てない様に脱出することを試みていたけれど、思いの外頑丈なそれに、気付けば形振り構わず暴れていた。ガチャガチャと、鎖とベッド柵がぶつかる音を派手に鳴らしながら。
「愛由、騒がしいぞ」
唐突に扉が開いて現れたのは天城だ。俺の記憶通り。ああやっぱりあれは夢でも何でもない。そして、腕も足もこんなに痛いのだから、今も現実だ。
「どういうつもりだ!」
俺はベッドに近づいてくる天城を思いっきり睨み付けた。はっきり言って虚勢だ。何をしでかすかわからないこいつが本当は怖い。そんな奴を前に身動きが取れないのだから、尚更だ。
「どうしても欲しいんだ」
「は?」
「愛由の処女」
「……ッざけんな!頭おかしーんじゃねーの!?」
ゾッとした。俺は無垢じゃないから、天城の言わんとしている事はわかってしまう。でも、まともに取り合いたくなかった。天城が俺をベッドに縛り上げている目的を、自覚したくない。
「おかしくなんかないよ。答えて。処女だよね?」
「うるさいイカれてんのかこの変態!」
「俺聞いてるんだけど。下の穴は、まだ誰にも使わせてない?」
「黙れ黙れ黙れ!」
こんな状況じゃ逃げられない。このあとの行く末を否応なしに自覚させられて、しかも絶望しかなくて、耳を塞ぐ代わりに大声で喚いた。
「煩い。今すぐその口閉じないと酷いぞ」
「うるさい黙……っ!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。気付けば俺の頭は天城がいるのと逆側を向いていて、右の頬はジンジン痛む。
―――叩かれたのだ。その事に怯んでいる内に、天城が俺の上に跨がり覆い被さってきた。
「い……イヤだっ!触るなッ!」
天城の手が、叩いた頬を今度は何度も撫で擦る。
「ごめんね痛かった?でも、愛由が悪いんだよ」
どんなに頭を振っても、追い付いてくる手から逃げられない。やがて天城は両手を俺の頬に置いて頭を固定した。そうして、正面からまじまじと顔を眺められる。
「可愛い愛由はもう俺のもの……」
歌うように呟いた天城の顔が近づいてくる。
いやだ……いやッ!!
大した抵抗もできず唇を柔らかいものに覆われ、やがて濡れたものに唇をつつかれる。頑なにそこを閉じていると徐に鼻を摘ままれた。息が出来ず否応なしに緩めた口の中に、生暖かい舌が入り込んでくる。それが舌の根から歯の裏まで這い回る。気持ち悪さに、もう我慢できなかった。
「ッ!!」
弾かれた様に頭を上げた天城が、自分の口元を押さえて顔をしかめている。
「お前……!」
低い声で唸られたと思ったら、左頬に強い衝撃があった。さっきよりも思いっきりビンタされた。直後、じんじんと燃えるような痛みに襲われる。
「とんだじゃじゃ馬だな!」
怒鳴られ、また右手が振り上げられたのを見た。また殴られる……!俺は頭を竦めて目を瞑ってその衝撃を待つしかなかった。
左右の頬を連続で叩かれ、俺の顔もそれに従い右、左に向いた。
痛くて鼻の奥がツーンとする。何でこんな目に……。
「痛い思いをしたくなかったら、俺に逆わない事だ」
勝ち誇った様に言われた一言にカッとなった。
ふざけんな、誰がお前なんか!
激情のまま天城を睨み付けて、唾を吐きかけた。
天城の顔が憤怒の形相になり、今度はグーパンチが飛んできた。右、左、右。また左右に激しく頭が振られる。口の中が切れて鉄の味がする。鼻血も出てきた。
―――こんなに殴られたのはいつぶりだろう。顔がパンパンに腫れて、家から一歩も出られなくなる。俺は殴られる事よりも、寧ろその方が嫌だった……。
今の俺の顔も酷い事になっていると思う。直後よりも、時間が経ってからの方がもっと酷くなるけど。滅茶苦茶になった俺を見て、天城がもう血迷った事を言わなくなればいいのに。
何発喰らっただろうか。暫く衝撃がやってこないのでうっすら目を開けてみると、天城は腕を下ろして肩で息をしていた。その顔からはまだ怒りの色は消えていないけれど。
殴るのも体力を使うんだぞ!
―――戯れに人の事を殴りつけておいて、勝手に不機嫌になって当たり散らしてきた人がいた。
でも、そういう事だ。怒りが冷める前に体力が尽きたのだ。多分もう殴られない。今は。
「ひでー顔だな。少しはお利口になったか?」
「……死ね、ヘンタイ」
顔が横を向く。失敗したと思った。まだ殴る体力あったんだ。
でも、1発だった。天城は忌々しそうに俺を睨みつけると、俺の上からようやく退いた。
「いい子になるまで食事は抜きだからな」
「……いらねえ」
「いつまでそう言ってられるだろうな」
天城はそう言い残すと、ドアの向こうに消えた。
その後も暫くは身構えていたけれど、天城が再びやってくる気配は今のところなかった。
ほっとして気を緩めた途端、物凄い痛みに襲われた。多分、さっきまでアドレナリンが出ていたんだと思う。痛いなんて言葉じゃ言い表せないくらいだけど、これを表現する言葉を他に知らない。
痛い……。
ジンジンなんてもう通り越してガンガンする。
少しでも痛みを和らげるためにせめて頬を擦ったり、身体を丸めたり、汗とか血のせいで額や頬に張りついた髪をよけたりしたいのに、手を拘束されていてそれすら叶わない。
「痛い……痛い………」
気付けば啜り泣いていた。
段々と腫れが酷くなってきているのか、瞼が半分も開かない。
「痛い………」
目を閉じても眠気なんてやってくる筈もなく、俺はのたうち回る事すら出来ずにただ啜り泣きながら1日目の夜を明かした。
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