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懲罰房

「誰だお前」 視界がかなり悪い。左目は殆ど開かないし、右目も同じようなものだ。ドアの前に立つ人の輪郭が辛うじて見える程度だ。馬鹿にした様な声は天城のもの。 「昨日よりひでー面。そんなんじゃ抱く気も起きないな」 ああそうか。それは結構だ。これで興味を無くされて解放されるなら、現在進行形で痛い思いをしている意味が少しはある。 流石にもう殴られたくはないから、今日は心の中で思うだけだ。 天城が近づいてくる。身構えたが、俺が口答えしなかったからか、天城は殴る素振りは見せない。 「俺がいいと言うまで動くな」 逆らったらまた昨日と同じだけ殴ってやるからな。 物騒な事を付け加えた天城は、俺の腕を持ち上げ手首の拘束具を触った。 少しして、手首にかかる抵抗がなくなった。1日ぶりに腕が解放されたのだ。そしてすぐに足首も。 解放される。『ひでー面』のお陰で、天城から。 俺は待った。もう拘束されていないけれど、大人しく両手を万歳の形にして。「もうお前に用はない」とか、「早く消えろ」とか言われるのを、心待ちにしていた。 「その顔面が見れる面になるまで、ここで反省していろ」 …………え? 「なん……で………?」 俺の呟きは空虚を彷徨った。天城は部屋から出て行った。そして外から「もう動いていいぞ」と言われる。そんな言葉じゃない、俺が欲しかったのは。 みれるつらになるまで―――――。 俺は飛び起きた。痛いのも忘れてベッドから駆け出すと、天城が出て行ったドアに飛び付いた。 開かない……!開けろ!開けろ! 「開けろ!ここから出せ!」 頑丈で重厚なドアは、押しても引いても叩いても殴ってもビクともしない。普通の部屋の仕切りに使われる薄い木製のドアではなく、玄関のドアに使われているみたいなスチール製っぽいドアだ。目線の高さには、おおよそ20センチ四方の透明なアクリルが填まっている。そして、膝の少し下には郵便受けを少し大きくした様な覗き穴がついている。 思い出したのは、由信と土佐と3人で一時期はまっていた刑務所が舞台の海外ドラマだ。それに出てきた刑務所の懲罰房のドアにも、こんな風に食事を受け渡す為の覗き穴……というか小窓と、中を監視するための蓋付きの小窓があった。 アクリルは分厚くて何度叩いても割れそうにないし、割れた所で小さすぎる。下の小窓からも腕を出すだけで精一杯だ。とても脱走できる大きさではない。 ドアからの脱走は取り敢えず一旦あきらめて、他のルートを探ることにした。 きっと天城は今油断している。俺は痛めつけられてこんなだし、口答えだってしなかった。逃げ出すチャンスは、今しかないかもしれない。相変わらず顔面は酷く痛むが、そんなこと言っていられない。だってあいつは何て言った?顔の腫れが治まったら、きっとあいつはまた……。 外に繋がる窓は、端っこに小さな天窓がひとつのみ。そこからはどんよりと曇った空が見える。手を伸ばすが、俺の身長では背伸びしても指の先さえも届かない。ベッドを窓の真下までずらして乗りあがってみても届かない。この部屋の天井は、多分普通の家よりも高い。 何か硬い棒状のものがあれば、割れるかもしれない。あの小さな窓を割ったところで脱出できるわけではないけれど、窓が割れたら、外と繋がれば、助けを求められるかも……。 俺は部屋中を探し回った。だが、4畳半程の四角い部屋にあるのは、簡素なパイプベッドのみ。他には何にもなかった。ベッドのシーツを剥いでまで探しても、本当に何もない。こうなったら、パイプベッドを分解しよう。ドライバーもレンチもないけど、ベルトの金具とかを駆使して何とかできるかもしかない。そう考えてつなぎ目を探すが、見つからない。どこを探しても。ベッドの裏側に目を凝らしてみても見つからない。あるのは、俺を拘束していた忌々しい黒い革のベルトとそれをベッドに繋ぐ鎖だけ。ベッドのパイプは金属で頑丈だ。とても破壊することなんてできやしない。 絶望感に天を仰ぐと、天窓に水滴がついていた。雨が降ってきたのだ。やがてその雨粒は水溜りになって、窓全体に広がっていく。強い雨が、煩い位に天窓を叩く。それでも、あの窓を割ってくれる訳ではない。 「クソっ!!」 縛られているわけでもないのに、俺はここから出られないのか?そんなバカな。俺は監禁されてるのか?懲罰房でもない、こんなただの部屋で?何も悪いこともしていないのに……。 「くそ!くそっ!出せ!!ここから出せ!!クソ野郎聞いてんのか!?出せって言ってんだよ!!!!」 俺は再びドアを叩いて叫んだ。唯一この部屋の外と繋がる下の小窓を開けて、俺をこんなところに閉じ込めて、こんな風にボコボコにした男に向かって叫んだ。何度も何度も、叫んだ。 けど、どれだけ待ってみても、向こう側からは何の物音もしなかった。あいつからの応答もない。 もうこの家にいないのかもしれない。それは俺にとって都合がいい筈なのに、ぞっとした。 俺はここから出られないのに。ここには何も無いのに。あいつはいつ戻るんだ。もしも、もう戻らなかったら―――。 『すぐ帰るから』 面倒くさそうに告げられるその言葉が本当だったことは、ほとんど……いや、一度も無かった。でも、俺にはあの人しかいなかった。あの人を、その言葉を信じるしかなかった。泣きたくても我慢して、暗い夜を何日も何日も一人で明かしても、その言葉だけを心の支えにして……。 身体が勝手に震える。 あいつはいつ戻ってくるんだ。あの頃何度も繰り返されたみたいに、俺が死ぬ直前か、それとも………。 酷く喉が渇いている。 自覚したら、そのことが頭から離れなくなった。一昨日の昼から、水を飲んでいない。食べ物だって食べていない。まだ、食べなくても死なない。けど、水を飲まなければ死んでしまう。 喉が渇いた。水が欲しい。水が飲みたい。外は雨なのに。窓にはたくさんの水が張り付いているのに。こんなに欲しがっている俺の元には一滴の雨粒すら落ちてこない。 やがて、照明のない部屋に無情な夜の闇が降りた。雨はまだ降っていて、月の光は雲に追いやられている。 暗い。暗いのは怖い。怖い……。

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