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食べたい
「昼ごはんができたよ」
こちらに近づいてきていた天城が、俺の前に屈んだ。
もしかして………。
期待に天城の顔色を確認する前に身体を抱え上げられる。
「座ってられる?」
天城が指差すのはダイニングテーブルだ。俺は意地でも座っていようと決意し、頷いた。と言うのも、テーブルの上に並んでいるものが、俺の想像通りだったからだ。黒い鉄板皿の上にステーキ肉と、付け合わせにマッシュポテトとニンジン。隣の白い皿にはご飯が平らに盛ってある。更にはスープとサラダまで並んでいる。
ごくりと無意識に喉が鳴る。
テーブルに上半身を凭れさせながら辛うじて椅子にかけると、俺が待ちに待っていた甘い言葉を天城は囁いた。
「食べたい?」
俺は直ぐに頷いた。食べたい。食べたいに決まっている。
「そう。愛由が俺の恋人になるって約束するなら、食べさせてあげてもいいよ」
そんな………。
俺は、ずっと見つめていた皿の上から目を引き剥がして天城を見た。その口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「言っておくけど、ここからは出られないよ。愛由の体力は点滴で生きていける最低限しか回復させないし、第一、この家のドアは全部俺の指紋がないと開かないから。万が一逃げ出せたとしても、ここは人里離れた森の中。遭難するのがオチさ……」
「でも、恋人なら話は別だ。美味しいご飯を食べさせてあげるし、トイレも使わせてあげる。もうペットボトルでしろなんて言わない。お風呂も毎日入っていいよ。お風呂上がりには、愛由の為に新品のパジャマも用意しよう」
何も言えない俺に、天城は捲し立てる様に言う。
一番は逃げ出したい。でも、それが無理ならご飯が食べたい。トイレも使いたい。お風呂に入りたい…………。
――――ひもじくて心細くて、泣きながら夜を明かした日々。
寒くて凍えそうな時も、暑くて干からびそうな日もあった。
動けなくて色んなものを垂れ流して、怒られて吐くほど殴られて、臭くて堪らなくて。それでも俺は与えられたおにぎりやパンを必死に食べた。血と涙と鼻水と吐瀉物と色んなものにまみれたそれを貪るように。あの頃俺には正真正銘何もなかったのに、それでも俺は死ねなかった。死にたい程苦しくても、結局最後には諦めきれなかった。生きたくて、ひもじいのは嫌で、生きる為なら、ご飯を食べさせて貰える為なら、何だってやった。何だって………。
「食べたい……」
ポツリと呟いた俺の一言を、天城は聞き逃さなかった。キッチンに立って持ってきたものは、茶碗に入った白いどろどろの液体だ。
「重湯だよ。いきなり固形物とか食べちゃうと、胃によくないから」
重湯?お粥のことかな……。ステーキがよかった。でも、我が儘は言わない。食べられるなら何でもいい。食べたい。
「食べる前に聞かせてね。愛由は、俺の何?」
「………こい、びと」
「そう、いい子。もう俺に逆らっちゃいけないよ」
天城から頭を撫でられて、はい、とスプーンを渡された。我慢できずに迷いなく重湯を掬ったスプーンを口に運ぶ。
「おいし……」
俺は気づけば泣いていた。米ってこんなに甘かったんだ。ただの水じゃないとろりとした食感も美味しい。あまりに美味しすぎて涙が止まらない。
「そんなに慌てるな」
天城が向かいでクスクス笑う。本当に恋人同士みたいな優しい雰囲気で。
俺、何であんなに反抗してたんだろう。ご飯食べないと死んじゃうんだから。死んだら全部終わりなんだから。その為に言いなりになって何が悪い。何が、悪い…………。
大きめのお椀一杯分のお粥はすぐになくなった。こんなんじゃ足りない。全然お腹一杯になってない。欲しい。まだ欲しい。
「デザートも欲しい?」
おかわりと言い出せずに、空になったお椀と天城が美味しそうに食べるステーキを交互に見ていたら、天城からそんな最高の提案があった。俺は勿論コクコク頷く。デザートと聞いただけで口の中は涎で溢れている。
「じゃあまずお風呂に入っておいで」
「え……」
デザートは……?
「デザートは、愛由がいい子にしていられたらあげるよ」
いい子にって、どうしたらいいんだ。わからない。けど、絶対デザートが欲しい。
俺は促されるがままノロノロと天城についていく。脱衣所を抜けて、曇って白くなっているガラス戸を開けると、そこは広々としたバスルームだ。
ゆったりと大きい浴槽には、もくもくと湯気を上げるたっぷりのお湯が張ってあって、思わず喚声を上げそうになった。
デザートも欲しいけど、お風呂もいい。シャワーで汗やら血液やらでベタついた髪や肌を流したら、それだけできっと生き返るような爽快感を味わえるだろう。そして、あの温かそうな浴槽に足を伸ばして入れば、きっと天にも昇る心地よさに違いない。
「自力で洗えるかな?」
俺はさっきと同じようにコクコク頷いて、天城が脱衣所から出ていくのを待った。
「ああ失礼」
少しの間の後、天城は苦笑してあっちに行った。
俺は、ずっと肌蹴ない様に胸の前で握っていたシーツを落とし、湯気の中へと足を進めた。
何日ぶりかの入浴は、想像以上に気持ちがよかった。こんな思いが毎日できるなら、いい子にするくらい雑作もないと思った。
ゆっくりとお湯の心地よい温もりと柔らかさを味わってから浴室を出ると、タオルと共に白い前ボタンのシャツが用意されていた。探したけど、ズボンはない。下着も。でもまあシーツよりかはマシか。
羽織ったシャツは長めで、足は剥き出しでも下腹部は十分に隠れる。生地もスーツの下に着る様なかっちりしたYシャツよりも柔らかくて突っ張らなくて着心地がいい。ツルンとしているのに伸縮性があって、なんとなく高級そうな感じがした。
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