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愛しいひと
皿を片付けにキッチンに行き、目についた洗い物を簡単に済ませてからソファに戻ると、愛由は眠っていた。
前髪を撫でてもピクリともしない。電池が切れた子供みたいだ。
スヤスヤ眠る愛らしい姿は微笑ましいが、残念にも思う。少し休憩したら、もう一度あの可愛い身体を堪能したかったのに。
でも、まあいい。もう恋人なんだから……。
念願の愛由をこの手にした充足感は俺の全身を満たし、自然と頬を緩ませる。今にも大声で笑いだしたくなる程に今俺は最高に愉快な気分だ。
それにしても………。
「くくく………」
10日間も我慢を強いられたのは辛かったが、飢餓状態にして従順にさせるという降って湧いた様な作戦は、驚くほどにうまくいった。愛由には昔のトラウマもあったから、より効果的だったのかもしれない。
あの人が得られなかったものを、初めて俺が手に入れた。
愛しい愛由。俺が初めて心から欲した相手。
もう離さない。もう絶対にヘマはしない。愛由は俺のものだ。俺だけのものだ。
愛由の反応は予想以上だった。身体が敏感なのは知っていたけど、こんなに早く快楽に陥落するとは思わなかった。する前にお茶に混ぜた興奮剤の賜物か、元々の素質なのか……。
どっちにしろ、あれだけヨがっていれば、もう俺と恋人同士であることは否定できまい。忘れたとは言わせない。証拠は握っている……。
全く目覚める気配のない愛由の端正な貌を眺める。自然とため息が漏れる程に、相変わらず美しい。全てが完璧なパーツで、完璧なバランスの配置にある。元々色素が薄いのか、染めなくても茶色い髪は柔らかくて手触りがいい。
全てが完璧な中異質なのは、白い頬に大きく広がる黄色い痣だ。
ここまで来ればあと数日で元通りになるだろうが、さすがにやり過ぎた……。
立場を弁えさせて黙らせる軽いお仕置きのつもりが、余りに愛由が生意気だったせいでいつの間にか我を忘れていた。それにしても、この可愛い顔が見るも無惨に腫れ上がる程殴り付けてしまうなんて。
そして、怪我による消耗のせいか、普通なら死なない10日間の絶食で死なせかけてしまった。もう少し発見が遅かったら、取り返しがつかなかったかもしれない。改めてあの時の事を思い出して身震いする。愛由を失ったら、俺は生きていけない。
俺が愛由を想う気持ちはそれ程に強い。
愛しているのだ。この身が張り裂けそうな程に、強く。
愛由がまだあどけなかったあの頃。勉強を教えていたあの日も、過去を打ち明けあったあの日も、やむを得ず離れて過ごした数年間も。出会った時から、いや、実際に会う前からずっとずっと愛由と結ばれる事だけを夢見ていた。
だからさっき抱いたばかりだというのに。美しい寝顔を眺めているだけで、ほらまた。俺はまた愛由を欲している。
抱いている最中の舌ったらずで蕩ける程甘い声は最高に可愛かった………。あれがまた聞きたい。ねっとりと絡み付く愛由の中に入りながら……。
RRRR……。
顔を屈めてキスをしようとしていたのを、無粋な着信音に邪魔される。
嫌な予感がした。
発信元を見て、その予感が的中した事にがっくりと肩を落とす。
面倒な事になりそうだ……。
一言二言で済む話ではないから、リビングを出て書斎へと向かった。
『宗佑、どういう事だ?』
通話ボタンを押した途端、威圧的な声色が耳に届いた。
「お父様……」
『聞いたぞ。お前まだ体調不良だそうだな』
「お耳が早いですね。予定が少し狂ってしまって……」
『私が今回の事を許可してやったのは、お前が変わると言ったからだ。覚えているな』
「覚えています。お父様の息子として相応しい人間になると……」
『ならば話は早い。もう遊びは終わりだ。明日からきちんと仕事に出なさい』
「ですがお父様、もう少しで愛由は完全に……」
『言っただろう、遊びは終わりだ。10日もあったんだ、もう想いは充分遂げただろう?アレの事はもう忘れなさい』
「………嫌です」
『なに……?』
「嫌です。愛由を手放せと仰るなら、僕は天城家に相応しい息子にはなれません」
『いい加減にしなさい。約束を反故にするつもりか?』
「そんなつもりはありませんよ。でも僕は言いました。愛由を僕の恋人にするって。その為にはもう少し躾に時間がかかるんです」
『……お前は、アレの事となると人が変わったようになるな。その情熱をもっと他の事に費やせたなら、お前は私の後継者に相応しかったのに……』
「お忘れですかお父様。僕が外科医にならなかったのは、お父様が僕から愛由を遠ざけたせいです。僕は愛由さえいれば何にだってなれますよ。お父様の望むものにだって……」
『……その言葉を信じていいんだな?』
「はい」
『………仕方ない。だが、もう警察沙汰だけは起こすな。例えお祖父様の力とて、傷害事件を操作するのは簡単じゃなかったぞ』
「今回は上手くやっていますよ。ただ、ここだと色々不便過ぎるのが難点です。躾と仕事を兼ねられればいいのですが、流石にここは通勤するには遠すぎます」
『お前もおねだりの仕方を覚えたな。いいだろう、用意させよう』
「助かります。僕も、お父様の期待に応えられる様精進致します」
スマホを握る手が、微かに震えている。
我ながら上手くいったと思う。あの父を黙らせるどころか、協力までさせる事に成功したのだから。
今感じているのは、微かな優越感だ。愛由を手に入れた事が、俺の自信に繋がっている。
愛由が俺に力を与えてくれる。愛由がいれば、俺はあの人さえ怖くはないのだ………。
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