20 / 185

解放

車に乗せられ、山道を下る。小さな町に入って、また山道を上って、下って。 知っている街並みに辿り着くまでに要した時間は約3時間。車が揺れる度に、昨晩のこれまで以上に激しかったセックスで痛めた身体中がギシギシ痛んだ。 昨晩の食事は豪華だった。 これまで食べたことのないくらい柔らかくて甘いステーキに、ふわふわのパン。コーンスープに、サラダまで。 何杯でもおかわりしていいって言われてたのに、始めに用意された分を食べたらもうお腹いっぱいになってしまって、食べたい気持ちと胃袋の大きさがチグハグで悲しくなった。でも、食後のデザートはお腹いっぱいでも無理矢理詰め込んだ。俺の好きな、マシュマロとチョコのアイスクリームだったからだ。 「嬉しい。ありがとう。これ大好き」 宗ちゃんに沢山感謝して食べた念願のアイスクリームは、 また泣きそうな程甘くて美味しかった。 「それじゃあ愛由、また連絡するね」 俺の住んでたアパートの前に車を停めて、キスされる。 降りていいのかな、本当に……? シートベルトを外す。ドアに手を伸ばす。 何一つ咎められない。本当に降りていいんだ。 ドアを開けて、アスファルトに足を降ろす。ちゃんとした服を着たのも、靴を履いたのも、久しぶりだった。当然、アスファルトの上を歩くのも。 宗ちゃんの車は、俺がアパートのドアの前まで辿り着いてもまだ動かない。ドアを開ける前に振り返ると、宗ちゃんが優しい顔して手を振った。思わず振り返す。こんなの、本当に恋人同士みたいじゃないか………。 ドアの内側に入ってすぐ、鍵をかけた。錆びたネジ2本で止まってるだけの今にも外れそうなチェーンも。 安アパートのドアは心許ない程にペラペラだ。あの家の牢獄のドアは、軽くこの倍の厚さはあったと思う。 牢獄―――――。 拐われた。縛られた。殴られた。閉じ込められた。犯された。監禁された。脅された。 一人になった途端、これまで見ようとしなかった客観的な事実が襲いかかってきた。色々された。酷いこと、沢山。 ボロボロボロボロ涙が溢れては零れて、古ぼけたフローリングを濡らしていく。 俺、まだこんなに自分の為に泣けたんだ……。 失うものなんて、何もない癖に。そう自嘲する自分がいる。 それでも俺は、涙が枯れるまで泣き続けた。 * 「あゆ君!」 由信が走ってくる。 懐かしい声。懐かしい由信。俺の頭の中にいた、そのまんまの由信だ。 「あゆ君、退院おめでとう!大変だったね……」 もう大丈夫?身体は辛くない?足はもういいの? 地下鉄の駅で待ち合わせて、ホームに向かう道すがら、由信は俺を質問攻めにした。 うん、大丈夫、もう平気。 俺はどこか自分の声を他人の声の様に聞きながら、殆どの質問にこう答えた。 入院生活はどうだった?退屈じゃなかった? こういう質問は、「まあな」で適当に流す。だって全部嘘なんだから、細かく突っ込まれては困る。 「それにしてもあゆ君、病室で転んじゃうなんて、俺と同じくらいドジだよ」 何やってんのさーと由信が笑う。そのまんまと思っていた由信は、よく見ると表情が少し堅い。無理して明るく振る舞っている様な気がした。 俺の反応が薄いのがよくないのかと、由信に合わせて口の端を持ち上げようとしたけど、笑うのなんて元々得意じゃない上に久しぶり過ぎて、上手くできている自信がない。 俺は約3週間入院していた事になっている。初めは肺炎。そして、途中から骨折により。これが俺が天城から聞かされているシナリオだ。 こんな風に普通に歩いていてもいいのだろうか。骨折ってそんな簡単に治るのか……?でも、今朝はお腹一杯になるまで食べてきたのに、まだ体力が戻らないみたいでふらつくから、意外とそれがちょうど良くリハビリ中みたく見えているかもしれない。そうだといい。 「……ゆくん、……あゆ君、聞いてる?」 気づけば由信に肩をポンポン叩かれていた。 「あごめん、何?」 「だからさ、次からはちゃんと教えてね、病院。俺、ちょっとショックだったんだから……」 もうこんな事がないのが一番だけどさ、と続けた由信の笑顔がやっぱり堅い。 由信……。きっとちょっとじゃなくてかなりショックだったんだ。 「ごめん由信。次からは、そうする」 由信の表情がようやくほっとしたものに変わった気がした。 「うん。あと、風邪侮っちゃだめだからね。辛いときは、遠慮しないでちゃんと頼って。俺、あゆ君の親友、のつもりなんだから」 由信の顔が今度は赤くなった。こんな俺をそんな風に思ってくれて感謝の念を抱くと同時に、強い罪悪感に襲われる。 由信を騙しているのが辛い。ありもしない病気や怪我で心配をかけていた事実も。 昨晩、天城から返されたスマホのLINEのやりとりを見た。俺に成り代わって書いていた天城の由信への返事はとてもそっけないものばかりで、感受性の強い由信はきっとそのひとつひとつにショックを受けていた事だろう。 「由信は、どうしてた?」 ずっと心配だった。大学に通えてたか、とか。 「ちゃんと行ってたよ。あゆ君にノート取らないとって思ってたし」 「ありがとうな。助かる」 「でも1ヶ月ずっとひとりだったよー。学食も講義も空き時間も。たまに土佐が一緒にいてくれたけど、土佐は友達多いし、何かと忙しいからね」 「そうか……」 新しい友達は、できなかったんだ。 「でも大学って、俺みたいなぼっちが他にもいるから、高校より居心地悪くなかったよ。一人でいても、苛められたりからかわれたりもしないし。あ、でもこれはあゆ君と土佐のお陰かなー」 俺は何もしてないけど。でも、俺に悪い噂があって、そのせいでヤバい奴と思われて遠巻きにされている事は知ってる。出所は不明。けど、一部的を射ているものもあるのが不思議だ。 「逆に俺のせいで友達できないんじゃねえの?」 「さあ。でも、そうだとしたら俺他の友達いらないよ。あゆ君と土佐がいればそれでいい」 「俺が休んだらひとりになるけど?」 「いーよ我慢する。………でも、本当はもう休まないで欲しいってのが本音」 由信が舌を出した。平気なフリしてるけど、本当は1ヶ月もひとりってのは辛かったんだろう。 「ひとりにしてごめんな」 言うと、由信はちょっと泣きそうな顔になった。相変わらずの泣き虫だ。 ――――俺が学校行こうって誘ったあの時も、由信はこんな顔してたな………。

ともだちにシェアしよう!