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由信
「由信、話してた愛由君よ。今日から家族になるの。仲良くしてね」
由信の母から俺を紹介された由信は、見るからに不安そうな顔でビクビクしていた。別に睨んだり凄んだりした訳でもないし、俺は強面でもないんだけど。
「よろしく」
「よ、よろしく……」
変な奴だと思った。由信の両親は、俺の経歴を由信には知らせてないって言ってたから、それでビビってる訳ではない筈なのに、おどおどして目も合わせてくれない。
でもまあいいかと思った。俺は人と接する事に疲れきっていたし、色々絶望していたし、ともかく、もう二度と人を信じないと堅く心に誓った所だったから、ちょうどいいや、と。
そうして始まった共同生活だったけど、由信は相変わらずだった。まともな会話は殆どできず、俺の前ではビクビクおどおどしていた。視線を外しているときだけこっちを見るけど、いざこっちが由信を見返すと慌てて目を逸らす。
「愛由君、こっちはもういいわよ」
夕食後、食器を下げる手伝いをしていた俺に、由信に似て小柄なおばさんが言う。
「今日も美味しかったです。ごちそうさまでした」
「いつもありがとう、愛由君。由信なんて美味しい?って聞いても生返事しかしないし、お父さんだってね。………でも、愛由君もそれでいいのよ。気を遣わなくていいのが、家族なんだから」
そう言われても………。
「おーい愛由君」
あ、また………。
「ほら、『おじさん』が呼んでるわよ」
ちょっとギクッとした俺は、おばさんに後押しされ、おじさんのいるリビングに顔を出す。
そこでは、おじさんと由信が、緑色の四角いフェルトみたいなのが敷き詰めてある卓を囲んでいた。
「今日は麻雀勝負!由信もついこの間までドンジャラばっかりだったから、愛由君も充分勝つチャンスあるよ!」
「……………」
「かーさんも片付け終わったらやるよー」
おじさんがキッチンに向かって叫ぶ。おばさんからは「しょうがないわねえ」と返事が帰ってくる。
この家では、夕食後の家族ダンランで、色んなゲームをするのが恒例だ。トランプや、ウノや、オセロや将棋。色んなゲームのルールを、俺はここで覚えた。
「麻雀のルールはね………」
これまで一緒にやったどのゲームのやり方も知らなかったからだろう。おじさんは俺に何も聞くことなくルール説明をしてくれた。いつもの事ながら俺が参加することは決定事項だ。
「………という訳。わかった?」
「………なんとなく」
「よーし、じゃあ腕試しで3人で一回やるよー」
教えられた通りに、綺麗に並べられた山の中から牌を順番に取っていく。あれ、これひとつ揃ってる……?次に自分の番で引いたら、またもうひとつ揃った。
「あ、こっちだったかあー。しまったしまった」
俺も由信も無言の中、おじさんだけが賑やかだ。
由信はどうだか知らないけど、俺はこのダンランがつまらない訳ではない。けど、これまでこういう空気感とは無縁だったせいで、どういう顔をして、どういう声を上げればいいのか分からないから少し苦手なだけで。
及川の家は、居心地がいいのに、居心地が悪い。矛盾しているけど、本当にそうだ。こういうのを、暖かいって言うのかな。俺、冷たいのはよく知ってるけど、暖かいのは初めてで………。
「リーチ」
「ロン」
リーチだったのは俺だ。そして、その俺の捨て牌で上がったのは……。
「あ、ご、ごめん、あゆ、あいゆ君……」
由信が、ふと我に返りましたって感じに挙動不審になった。
なーんだ、こいつも、結構真面目に楽しんでんじゃん。
「やられたぜ。ほらよ」
俺は、盤面に出したばかりの牌を由信に渡す。由信は、それと俺を交互に見て、初めてはにかんだみたいに笑った。
俺がこの時心動かされたのは、由信の笑顔にではない。
その由信の笑顔を、とても穏やかな表情で見つめていたおじさんに気づいたからだ。
及川のおじさんとおばさんが、札付きの俺を引き取ってくれた理由。それが、ようやく胸にストンと降りた。
おじさん達には、なんだか崇高な理由を説明されてはいたけど、正直俺にはよく分からなかった。そんな大層な事言って、どうせ俺はまた家畜以下の扱いしかされないんだろうなって、失礼な事すら考えていた。
けど、おじさん達は俺に優しかった。怒鳴らないし、手も挙げない。稼がなくても毎日3食ご飯が出て、何ならおやつも出た。その上、家族のダンランにも加えてくれたし、高校にも行かせてくれるという。
見返りなしにこんなに優しくされたのは初めてで、俺は馴れないなとか、むずがゆいなと思いながらも、失うのが怖いと思うくらいにはこの生活に温もりと愛着を感じ始めていた。
及川のおじさんおばさんには、毎日お礼してもし足りないくらい、心から感謝していた。
だから、おじさん達が俺みたいな他人に優しくしてくれる理由が由信なら、俺も由信に優しくしてやりたいと思った。おじさん達が由信の笑顔が見たいなら、俺が見せてやりたいと。
「お前、なんで高校行かないの?」
俺と由信が同い年で、俺が編入試験に合格した高校の、しかも同じクラスに由信が在籍している事を知ったのは、編入して結構経ってからだった。
毎日の家族ダンランのお陰で、俺と由信の距離は少しずつ縮まっていた。由信は、もう俺から目を逸らしたりしない。まだ多少おどおどしてはいるけど。
「ちょっと、意地悪する人がいて……」
「意地悪?どんな?」
「ノロマ、とか言われたり、笑われたり……」
俺の感想。え?それだけ?
あとは?と先を促さなかった自分を誉めてやりたい。
「………そっか。でも、俺が見る限りそんな危なそうな奴はいねえし、俺が傍にいてやるよ」
「あゆ君………」
「だから、行こうぜ、学校」
おじさん達は、きっとそれを望んでる。
学校に行ってみて分かった事。
由信は極度の人見知りで、慣れるまでは誰に対してもおどおどしてしまうという事。そういうのを見て、ただ人見知りだなって思うだけの奴もいれば、面白がってからかおうとする奴もいる。由信がされてたのは、いじめ以下だ。でもそれは俺の判断基準で、由信にとっては立派ないじめだったんだろう。
由信は、両親譲りの優しすぎる性格が故に、人の悪意に敏感で傷つきやすい。大切に育てられた由信と俺では、どう考えても許容範囲が違う。
ともかく、由信への嫌がらせは、俺が軽く睨んだだけでピタリとなくなった。変な噂もこういう時には役に立つ。だって俺は特に腕っぷしが強い訳ではない。由信を物理的に守るだけの力は、本当はない。
おじさん達は、由信が再び高校に通える様になった事を大層喜んでいた。由信のプレッシャーにならない様にか大っぴらではないものの、大人の心の機微を読み取るのが癖になっていた俺には、分かり易かった。
夕食の時間、由信に「今日はどうだった?」と聞くおじさん達の声は優しくて、「別に普通だよ」とちょっとむすっと答える由信の、一丁前の青臭さが微笑ましくて愛しかった。
及川家の食卓もリビングも、家中何処もかしこも、愛に溢れている。しかも、聞いて驚くなかれ、無償の愛だ。
俺は、愛というものの本質を、ここで知った。俺が向けられてきた『愛してる』は、中身が空っぽだった。あったとして、都合の悪いことをやらせるための言い訳。自分の欲望を満たすためのアクセサリー。
及川の家に俺がいるのは異質以外の何者でもなかったけど、おじさん達は、役目を終えた俺にも相変わらず優しかった。由信に向けられるものとは違ったけど、それと同じものを欲するほど俺は身の程知らずではない。ここに当たり前にいることが許されているだけで、俺は充分過ぎるほど幸せだった。そう、幸せだった。高校3年間、俺は生まれて初めて…………。
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