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快気祝い 1
「及川、久しぶり!」
昼に学食で待ち合わせた土佐が、ラーメンとチャーハンの乗ったトレーを手に俺の向かいに座った。少し髪が短くなっている。
「お前、痩せたなー」
「土佐!」
「あ、わりい」
由信が珍しく土佐を咎めた。多分、由信が見て見ぬフリした方がいいって思うぐらい、俺はげっそりしてしまったんだろう。
「まあでもしょーがねーよな、病み上がりなんだからさ。病院食不味かった?」
不味いも何も、お粥とスープだけだったし、それが唯一の俺の生命線だった。
「これも食えよ!」
また「まあな」と答えた俺のトレーに、土佐がチャーハンを置く。「いっぱい食って体力つけねーとな」だって。食えるかな……。
「な、今夜及川の快気祝いしね?パーっとなんか旨いもん食いに行こうぜ!」
な、いける?土佐にそう振られて、俺は頷く。
「いい…………あ、今日……」
多分、いいね!と言いかけてた由信が、何か思い出したみたいに言い淀んだ。
「なんかあんの?」
「……今日、記念日だった」
由信が言いにくそうに言った。彼女と友達と天秤にかけて、彼女を取ると言いづらいんだろう。そんな事、全然気にしなくていいのに。
「あー、そっか!今日で何回目」
「え、何回だろう……。30回くらい……?」
「すげーなあ。もう3年?」
「ううん、2年半」
「それでも充分すげーわ」
由信は、高校時代から付き合っている年上の彼女がいて、律儀に毎月付き合った日をお祝いしている。よく忘れないよなと感心するが、由信のそういうマメな所が、長く続いてる由縁なのだろう。
「土佐は?今の子どれくらい?」
「えーっと、3ヶ月?いや、まだ2ヶ月……?」
土佐は指折り数えようとして、「てか付き合った日覚えてねーや」と、彼女が聞いたら怒る様な事を言って苦笑した。
「土佐はいーよな。そんなんでもモテるんだから」
本当。なんでこんないい加減な奴がモテるんだろ。
*
『今どこ?』
5講目が終わって、ちょうど帰り支度をしていた時、土佐からLINEが届いた。第二講堂と返事をしたら、すぐにまた返信が来た。
『カフェがある方の入り口で待ち合わせな』
待ち合わせ?何で?少し考えて、まさか学食でした話かと合点がいく。あの話は由信が行けないってことで流れたんじゃなかったのか。
由信と連れ立って指定された場所に向かうと、土佐が先に着いて待っていた。背が高くて顔も小さい土佐は、ただ黙って立っているとなかなか様になる。
「本当に行くの?」
土佐がただ一緒に帰ろうなんて事の為に俺を待ってる筈はないし、行くんだろうと思うけど、それでもまだ俺は疑心暗鬼だ。
「何でちょっと嫌そうなんだよ」
「別にそういう訳じゃねえけど」
「俺今日車で来てるから」
あ、そうか。だからこっち側の玄関だった訳だ。
「よっしーも、美咲さんとの待ち合わせ場所まで送ってやるぜ」
そんなこんなで俺は土佐の車の助手席に乗って、俺達3人で集まる時によく使ういつもの焼き鳥屋に向かっている。由信は途中の駅で降りたから、土佐と二人だ。
嫌でも、つい昨日の事を思い出してしまう。国産じゃない高級車の助手席に乗せられ、数時間。その間、天城の言うことにいちいち大袈裟とも言えるくらいの相槌を打って、機嫌を損ねない様に努めた。何をきっかけに逆上するか分からないから、綱渡りをしてるみたいに不安定で心細くて、もうすぐ家に帰れるっていうのに、玄関のドアを閉めるまでは全く気が抜けなかった。
「なんか疲れた顔してるよな、及川」
「そうか……?」
「昼もチャーハン残しちまうしさ。らしくねえの」
「病み上がり、だから」
「まあなぁ」
病み上がりという学食での土佐の言葉を借りてみたら、使いやすい事に気が付いた。疲れてるのも、あまり食べられないのも、痩せたのも、これで全部説明がついてしまう。
でも、車を降りて歩いてる姿を見られて、「足の方は全然いいんだ」と言われて焦った。おまけに「右足?左足?」と聞かれて、適当に「左足」と答える。
「ヒビ……だったから、すぐ治ったみたい」
「ふーん。そっか」
何となく土佐の目が疑わしく光っていた気がしたけど、俺は気づかないフリで店に入った。
「まあまずは退院おめでとう!」
カウンター席に座った俺達は、二人でグラスを合わせた。土佐はソフトドリンクと悩みに悩んで結局ビールにして、俺はジンジャーエールだ。
「ぱー!うめえ!」
土佐はつい先月19才になったばかりの割に年季の入った飲み方をしている。
「及川と酒が飲めるのは再来年の3月かー。お前、成人式の時まだ19なのな」
何がおかしいのか、土佐はうひゃひゃと笑っている。一緒に食事をする相手がぶすっとしているよりは笑っている方が勿論いいので、悪い気はしない。
………てかこれ、夢じゃないのか?
大学というあいつのテリトリーから離れて、少し古臭い馴染みの店でこうして能天気な土佐の隣で串を食べているなんて、あまりに平和過ぎて足元がフワフワする。つい昨日まで自分が置かれていた状況との差が大き過ぎて、どうにも現実感が無い。
「てか及川って真面目だよな」
突然、脈絡もなく土佐が言う。
「え?何で?」
「いや、こっちの話」
「なんだよそれ」
「それにさ、優しいよな」
「はあ?」
「優しいのはよっしーにだけか。でも、よっしー辛そうだったぜ?お前入院中のLINEそっけねーし、見舞いも来るなの一点張りだったしさ」
「…………」
「今日もよっしー来たそうだったよなー。よっしーとも快気祝い、してやれよ?」
来たそうだった?そうだっけ?俺にはそんな風には見えなかったけど。でも、天城のLINEの成り代わりが由信を傷つけたのは事実だし、埋め合わせはしないとなとは思ってる。
「でも、今日流れるもんだと思ってた」
「え?なんで?」
「だって由信来れないって言ってたし」
「へ?よっしー来れなくても、今回の主役はお前だろ?」
「そうだけど……」
そうだけど、土佐にとって重要なのは由信なんだと思う。
高校に通える様になった由信に、しつこいくらいつきまとってきた土佐を、俺は始めかなり警戒していた。もしかしたらこいつがいじめの主犯なのかもしれないとまで思って。
でも、違った。土佐はどうやら由信に好意(変な意味じゃない)を持っている様だったし、由信もそんな土佐に徐々に心を赦していった。
土佐は友達も多いし、どうやら割といい奴の様だから、俺は由信に「俺と離れて土佐といたら?」と言った事がある。その方が土佐の友人達とも仲良くなれて友達が増えるし、変な噂で嫌われてる俺と一緒にいるよりも遥かに由信にとっていい気がしたから。
でも、由信は俺から離れなかった。「俺はあゆ君と一緒にいるのが一番落ち着くから」と言って。
………うん、これ、確実に現実だ。
過去のやり取りを回想する内に、地に足がついた。
と同時に、解放されたんだ……という実感が胸を覆っていく。
俺、ここに戻ってきた………。
「ちょ………ちょちょ、及川!?どした!?」
「え……?」
土佐がいきなり慌て出した。
「え?じゃねーよ!何でいきなり泣いてんの!?」
言われたのと、自分でそれに気づいたのが殆ど同時だった。
頬を涙が伝う感覚だけが次から次と続く。
おかしいな。泣くつもりなんて、ないのに。
「ね……ネギが、目に染みた……」
「ネギ……って、ねぎまのネギ!?てか、ネギって目に染みんの!?」
「多分」
「多分……って、でもそれにしても泣きすぎじゃね?玉ねぎより酷いぞ?」
「………俺、ネギアレルギーかも………」
「ええ!?これまで大丈夫だったのに!?」
そんな訳ねーじゃんって、言ってる俺自身ですら思うのに、土佐は慌てて俺の皿の上のねぎまを食って片付けていく。その慌てっぷりと必死さがなんかおかしくて、いつの間にやら涙は止まっていた。
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