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快気祝い 3
「ほらやっぱ女いんじゃん!」
一際大きい声がして、俺は顔を上げた。
土佐は、レジの近くで誰かと話している様だった。ここからだと土佐の背中で相手の姿がちょうど見えない。トイレはレジの奥にあるから、途中で誰か知り合いにでも会ったんだろうな、ぐらいに思っていたら………。
「あっち」とこっちを指差した土佐が振り返った向こう側に見えたのは、由信と由信の彼女の美咲さんだった。
「あゆ君!」
笑顔の由信が俺を見つけてやってくる。その半歩後ろに、美咲さんも。
「今日の事、みさちゃんに話したら行った方がいいって言ってくれて……」
「愛由君、久し振り」
俺に笑顔を向ける美咲さんを見て、由信は少し苦い顔をした。
由信は美咲さんにベタ惚れだ。
いつだったか、由信が言っていた。美咲さんに不釣り合いな気がして自分に自信が持てないと。俺や土佐が格好良くて(由信談)、どうしてもヤキモチを妬いてしまうから、美咲さんにはあまり会わせたくないんだと。
だからと言うのもあって、俺は美咲さんとは数える程度しか会った事がない。多分土佐も。
そんな由信が美咲さんとの記念日デートを途中で予定変更させてまでここに来たのだから、土佐の言う様に、由信は本当に俺の快気祝いに来たかったんだなあと漸く実感する。同時にそこまで大事にして貰ってありがたいなあとも思う。
俺は、元々座っていた所からひとつ外側に席を移して、「どうぞ」と二人に真ん中を譲った。こっちにひとつ、土佐の隣にもひとつ席が空いていたから、丁度よかった。
「ありがとう」
俺の隣には、由信が来るだろうなと思っていたのに、予想は外れて美咲さんが座った。由信はそれをまた少し嫌な顔をして見送ってから、でも何も言わずに美咲さんの隣の席に着いた。土佐は、由信の言う様に客観的に見て格好いいしモテるから、土佐の隣になるよりは俺の隣の方がまだマシだと踏んだのかもしれない。
すぐに戻ってきた土佐が由信の隣にかけて、カウンターの中にいる店員にビールと、俺の分のジンジャーエールの追加を頼んだ。
俺は、あからさまに嫌な顔をするなんて失礼な事も出来ず、大人しくしていた。
目の前にジンジャーエールが置かれて、改めて4人で乾杯した直後だ。美咲さんの手が、意味あり気に俺の太股に置かれたのは。
「あの……」
美咲さんは、爪をカラフルに塗った手でカクテルの入ったグラスを掴んだまま俺に振り返った。
「愛由君、本当久し振りよね。由信君に会わせてって言ってもいつもはぐらかされちゃうから、全然会えなくて寂しかったな」
美咲さんは、上目遣いに俺を見て目をぱちくりぱちくりさせている。足に置いた手については知らん振りだ。俺が目線で訴えても、紅く塗られた唇が弧を描くだけで、やはり退かしてはくれない。
3年間由信とひとつ屋根の下に暮らしていた俺が、その彼女の美咲さんと数える程しか会ってない理由は、由信が会わせたくなかったというだけじゃなくて、俺もこの人に会いたくなかったからだ。
「あの、美咲さん……」
「しっ。美咲でいいってば」
静かに!と顔の前で指を立てる美咲さんの笑顔に、棘を感じる。
黙ってろ。由信に知られてもいいのか?
言外にそう言っている様な気さえしてゾッとする。当の由信は、あっちを向いて土佐と何やら話し込んでいて、俺達のやり取りには全く気付いていない。
「愛由君、前会った時より綺麗になったね。入院中、何かいい事あった?」
何を言ってるんだろう。いい事なんてひとつもある訳ない。
足に置かれた美咲さんの長い爪がからかう様に優しく立てられて、円を描く。くすぐったい。けど、反応してなるものか。
やめろと抗議の視線を向けると、またにっこり微笑まれた。
嫌になって視線を逸らしたら、ブラウスの隙間から覗く胸の谷間が目に飛び込んできた。胸元のボタンが、これでもかというだけ外されている。
痴女か……!
由信の彼女に対してあまりに失礼なツッコミだが、思ってしまったものは仕方ない。
「愛由君のえっち」
透かさず、耳元で囁かれる。すぐに視線を逸らしたつもりだったのに、気付かれていたらしい。
「すみません。でも、そういうつもりじゃ……」
「私はいいよ。どんなつもりでも……」
………思わずため息が出た。
もううんざりだ。この人、由信って彼氏がいながら、何でよりによって俺に色目を使って来るんだろう………。
―――初めて会った日から、彼女は変だった。
由信に「彼女」と紹介された初対面はまだよかった。
「初めまして」とはにかむ彼女は優しそうで、何よりも由信が幸せそうで俺は単純に嬉しかった。
邪魔をしない様に自室に籠り、時折聞こえてくる隣の部屋からの笑い声を微笑ましく思いながら本を読んだり宿題をしたりしていた。
昼を過ぎて夕方に差し掛かる頃だった。窓から射す西日が眩しくてカーテンを閉めていたら、唐突に部屋のドアが開いた。
そこに立っていたのは、美咲さんだった。
「あ、ごめんなさい。愛由君の部屋だったんだ」
部屋間違えちゃった、と言う彼女は、すぐにドアを閉めればいいのに、なぜか中に入ってきた。
「綺麗にしてるんだ。緑色が好きなの?」
美咲さんがカーテンとベッドを見て言った。確かにこの部屋の色味はグリーンで統一されているけれど、それは別に俺の好みではなくおじさん達が揃えてくれたものだ。由信の部屋がブルーだから、第二候補としてのグリーンという感じで、多分、深い意味はない。
「宿題?ちゃんとやってて偉いね」
美咲さんは、カーテンやベッドだけじゃなくて、俺の部屋にあるあらゆる物を値踏みするみたいに見ながら我が物顔で練り歩く。
「分からない所はなかった?教えてあげよっか?」
机の横で立ち止まった美咲さんが俺に手招きした。驚いて何も言えないでいた俺は、ようやく我に返る。
「俺はいいです。由信に、教えてやってください」
俺はその場を動かず、ドアの方を指した。あなたはここにいるべきじゃないって意味を込めて。
「つれないのね。年上は嫌い?」
それなのに、彼女は身体をくねらせながら俺に近づいてきた。
「あの、由信、隣にいますよ……?」
気が動転していた俺は、そんな様なことを言った。この時、もっとはっきり言えばよかったのだ、嫌いだと。
「そうね。だから?」
「だから……って………」
「こんな近くで見ても本当に綺麗ね。嫉妬しちゃうな………」
美咲さんは俺の顔を上目遣いに覗き込んだ。てか、顔近っ!
「みさちゃーん?」
その時廊下から聞こえてきたのは、由信の声だ。
助かった……。俺は情けなくもほっとしていた。
「部屋間違えちゃった」
慌てる素振りもなく落ち着いて部屋を出ていった美咲さんが、俺に言ったのと同じ言い訳を由信にしているのが聞こえてきた。
美咲さんを怖い女だと認識したのは、初対面から僅か数時間後のこの時で、それ以後ずっと俺はこの人を避け続けている。
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