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家なし
もう監禁はされなかった。次の日の朝がやってくれば、天城は普通に仕事に行ったし、俺も大学に行った。
けど、呼び出しはほぼ毎日だった。
その度にバイトを休む日々が続いて、遂に新しく始めたばかりのコンビニバイトはクビにされた。ただでさえ金欠な上に借金まであるというの働けないのは、俺にとってかなり由々しき事態だ。
「あの、宗、ちゃん……」
セックスが終わって、好きだよ、愛してるよっていう囁き合いも終わったあと、機嫌の良さそうな宗ちゃんの顔色を窺いながら恐る恐る口に出す。
「なあに?」
「俺、バイトクビになって……」
「そうかよかったじゃないか」
「え……」
「だって毎日電話かけるの面倒だったろ?」
「でも、俺、バイトしないと金がなくて……」
「うん。で、何か問題あるの?」
「問題、あるよ。家賃払えないし、食費だってもうすぐ無くなる」
「そっか、でも大丈夫。愛由の事は俺が責任持つから」
「どういう……意味……?」
「言葉通りさ。今だって、食事は殆ど俺が与えてやってるだろ?これからはお昼ご飯代も持たせてあげる。家は、取り敢えずここに住めばいいよ。というか、もう住んでる様なもんだし」
確かに俺は毎日の様にここから大学に通ってて、家に帰るのは大学が終わって呼び出されるまでの僅かな時間だけ。それに、宗ちゃんの言うように朝ご飯も夜ご飯もご馳走になっているけど、でも、そんなの俺の本意じゃない。ここに住むなんて嫌だ。
「俺、ちゃんと自立したいからバイトする。宗ちゃんがいないと成り立たない生活は、よくないと思うから」
「何がよくないの?」
口調はまだ優しい。けど、空気が凍った。どうしよう怒ってる……。
「宗ちゃんの、負担になりたくなくて……」
「負担?俺がそうしなって言ってるのに、愛由はまた俺を拒絶するつもり?」
「そんなんじゃ……!」
「じゃあ、いいよね」
……よくない。全然よくないけど、俺は口を噤むしかなかった。だってこれ以上言ったらきっと……いや絶対また叩かれる。
どうしよう、このままじゃ俺、家なしになってしまう………。
*
「及川ー、今日は?」
土佐は、結構頻繁に家に誘ってくれる。前約束した、漫画を読みに来いという誘いだ。でも、いつも行きたくても行けないでいる。大体18時を過ぎると宗ちゃんから「迎えに来たよ」と電話が入って、アパートの前に車がつけられる。
行かないなんて怖くて言えないし、もしその時に俺が家にいなかったら、どこにいるのか追求されるだろう。ましてやいるのが土佐の家だってバレたりしたら、宗ちゃんはきっと烈火のごとく怒り狂うと思う。だから、いつもバイトだって断っていた。
「今日……」
「お、もしかしてバイト休みか?」
言い淀んだら、土佐の声が弾んだ。そんなに俺に漫画読ませたいんだ………。
俺も読みたい。行きたい。気分転換したい。もう沢山だ………。
最近になって、おおらかだった大家さんが、家賃の催促に頻繁に来るようになった。これまでは来月まとめてでいいよって言ってくれてたのに………。でも、その来月分も今の状況だと結局払えない訳で、そんな状態で居座り続ける訳にもいかないとは思ってる。
バイトも許されず、経済的な自由も制限されて、成す術もなくもうすぐ自分の家という安住の地をも失うというストレスは、半端なく俺を苛んでいた。追い込まれ過ぎて、自暴自棄になる一歩手前だ。そうならないのは宗ちゃんが怖いからで、殴られたり怒鳴られたりしたくないから。
「うん、休み。今日行く」
でも、糸が切れたみたいにいっかって思った。多少殴られてもいいから、土佐の家で漫画を読みたいって。
電話が来たら、すぐ土佐の家を出て、コンビニにでも行けばいい。そして「立ち読みしてた」って言うんだ。
*
「及川ー、帰ろうぜー」
今日はお互い4講目で終わりなことは確認済みだった。しかもその4講はちょうど同じ科目だ。
「土佐、珍しいね。今日は俺達と一緒に帰るの?」
「おう。今日及川家に来る事になってんだ」
「え、そうなの?あゆ君」
「漫画、読みに」
答えたら、何でだろう。ほんの少し由信の顔がひきつった気がした。
「へえ。今日あゆ君バイト休みだったんだ」
「まあな」
「休みあるなら俺にも教えてよー。いつもバイトバイトって忙しそうにすぐ帰っちゃうから、俺もあゆ君誘いたいとこいっぱいあるのに遠慮してたんだよ?」
由信が珍しく捲し立てる様に言った。
「悪い。次の休みは由信に付き合うよ」
家なしになって宗ちゃんの家に住まわされる事になる前に、どうにかもう1回時間作るか……。
「よっしーも来るか?」
「いい」
由信は土佐の誘いを考える素振りもなく断った。あれ?と思っていたら、土佐もそう感じたのか、器用に片眉を上げて由信を見ている。
「漫画あんまり分からないから」
由信がそう付け加えたから、俺はほっとした。なんか怒ってる様な気がしたけど、そもそも理由がないし、気のせいだよな。
*
土佐の家は、大学から歩いて通える距離だった。徒歩で30分もかからない。土佐はいつも地下鉄を利用するらしいけど、今日は歩いて行くと言った俺に合わせてくれた。
「もうすぐ着くぜー」
土佐の首筋には汗が滲んでいる。まだ季節はギリギリ春だけど、随分暑くなってきた。
土佐の住んでいる所は俺や由信の家とは大学を挟んで反対方向だから、こっち方面に来るのは初めてだ。土佐の家は中通りにあって、一本向こうの大きい通り沿いには、24時間スーパーもあるらしい。便利そうな所だ。
「あ、なあ、コンビニ寄ってく?腹減らねえ?」
「そうだな」
一番最寄りだというコンビニに立ち寄る。宗ちゃんから電話があったら、最悪ここ。もし余裕があったら大通りのコンビニまでダッシュだな。何でこんな所にいるんだって聞かれたら、どう答えよう………。
「え?及川そんだけ?」
土佐がメガ盛りと書かれた弁当を手に、俺の持つおにぎりを指した。
「うん」
こんだけ。だって金がない。通帳とキャッシュカードとついでにクレジットカードは早々に没収されたし、宗ちゃんは毎日昼食代として500円と、宗ちゃんの家から大学までのギリギリ片道分の交通費しか持たせてくれない。
毎日財布をチェックされて余分なお金があれば没収されるから、俺の財布にはいつも生活するのに最低限必要な分のお金しか入っていないのだ。
今日は昼ごはんに390円のカレーを食べたから、110円残ってる。地下鉄代は払えなくても、おにぎりは買える。しかも、今日はおにぎり100円セール中だから、160円のおにぎりが100円で買える。ラッキーだ。
先にレジで会計をしている途中、横のレジに並んだ土佐を見ると、メガ盛りの弁当を2つ手にしていた。
メガ盛り2つとか、育ち盛りか。
土佐の家はコンビニから本当に近くて、隣の隣くらいという好立地だった。
俺の住んでるアパート程古くもないけど、新しくもない普通のアパートの1DK。俺の家はワンルームだから、寝室が別にあるだけで随分広く感じた。
「はい」
コトリとローテーブルにお茶が置かれたから、そこに座った。涼しげなガラスのコップに入っているのは、多分麦茶だ。
「何も入ってねえよ?」
「ん?」
「いや別に」
土佐は「覚えてねえか」って苦笑してるけど、何の事だろ。思いながら麦茶を一口飲む。冷蔵庫で冷やしてたのか、冷たくて美味しい。土佐、ちゃんと家事するんだなあと思っていたら、目の前にメガ盛り弁当が置かれた。
不思議に思って顔を上げたら、土佐の前にも同じメガ盛りが置かれている。
「え……」
「食えよ」
土佐は何でもない事みたいに言って、自分の目の前の弁当の包みを剥いでいる。
「………や、悪いよ」
「いーって。俺2つも食えねーし」
「………ありがと」
弁当を引き寄せて土佐に倣って包みを剥がすと、土佐がへへっと笑った。
「お前普段からあんま食ってねーんじゃねーの?」
「そんなこと、ねえよ」
「おにぎり一個じゃ、ちゃんと食ってる事になんねーかんな」
「食ってるよ、ちゃんと」
朝と夜は宗ちゃんが作ってくれるご飯を食べてるし、昼は500円以内の学食をちゃんと。
「にしては元気ねーんだよなあ」
「…………」
こんな状況で元気出す方法があるなら教えてほしい。
必要な栄養が足りてるだけじゃ、生きることはできても元気にはなれない。
思えば、ちゃんと食えて普通に大学に通えてるだけでも昔と比べると随分恵まれていると言うのに、人間、上を知れば知るほどに貪欲になる様にできているみたいだ。
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