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嘘つき

俺の置かれた状況は少しも改善することはなくて、寧ろどんどん深みに嵌まっていく一方だった。 ついに大家さんには出ていけと言われてしまい、恐れていた家なしになってしまった俺は、宗ちゃんに主導されるがまま荷物を纏め、宗ちゃんの家に引っ越した。意見したり拒絶すれば痛い目に遇わされるという刷り込みは日に日に強固になって、俺は宗ちゃんの命令の前では完全に思考停止する様になっていたのだ。 それが、1週間前。 「ただいまー。今日はちょっと遅くなったね。ごめんね、お腹すいた?」 パソコンに向かって大学の課題レポートをしている途中、宗ちゃんが帰ってきた。今日の機嫌はとてもよさそうだ。 「おかえり。お腹、すいてる」 「急いで準備するね。ごめん、今日は買い物行けてないから、ありものでナポリタンでもいい?」 「うん。好きだよ、ナポリタン」 「そう。よかった」 満足そうに微笑んだ宗ちゃんが、台所へと姿を消す。直ぐに包丁を使う音が聞こえて、やがてジューっと具材を炒める音がし出す。 機嫌のいい時の宗ちゃんは、俺が宗ちゃんの望む返答をしている限りは優しい。答えをひとつ間違えば、途端に不機嫌になるけれど。 初めの頃は、宗ちゃんの求める答えが分からなくて、沢山怒鳴られたり殴られたりした。 例えば、宗ちゃんの帰りは大抵俺より遅いから、夕食の準備くらい俺がしておくよって、一度言った事がある。けど、それは宗ちゃんの望む俺の姿ではなかったらしく、結構怒られた。 どうやら俺は、宗ちゃんが帰って来るのをお腹を空かせてただじっと待って、宗ちゃんに与えられる物を「美味しい」と言って残さず食べるのが正解だった様だ。 この事に限らず、宗ちゃんは俺が能動的に行動する事を嫌っているみたいで、いつも受け身でいることを求める。そして、与えられたら必ず喜ばなきゃならない。 そういう傾向がだんだん分かってきて、最近は結構うまくやれていると思う。 「できたよー」 呼ばれて、ダイニングテーブルに掛ける。 ピカピカのフォークはもう俺の席に用意されていて、奥からパスタ用の少し深めの皿と、スープを手に宗ちゃんがやって来る。 宗ちゃんの分まで全部揃って、宗ちゃんが席についてから、俺は手を合わせる。 「いただきます」 出来立てのナポリタンは、ほかほか湯気を上げていて、ほのかなバターの香りと、トマトとブロッコリーの色味が食欲をそそる。 「美味しい」 機嫌を取りたい訳ではなく、宗ちゃんの料理は本当に美味しい。施設や学校給食で食べたケチャップ味のナポリタンよりも、断然。宗ちゃんのナポリタンはトマトがフレッシュだし、大きめに切られたウインナーの焼き加減も絶妙だ。しかも手際がよくて、あんな短時間によくスープまで作れたなと感心する。 「あー……今日はちょっと塩気が多かった」 「え……そ、そうかな?俺は、美味しいよ」 「何言ってんだバカ舌。味濃いだろ。失敗」 宗ちゃんの機嫌が急降下した。別に全然美味しいのに……。でも、完璧主義の宗ちゃんは、味付けを失敗した事実が許せないみたいで、俺にはどうする事もできない領域でひとりでどんどん勝手に不機嫌になっていく。 暫く無言で食べ進める中、宗ちゃんが乱暴にフォークを皿にぶつける音が物凄く大きく聞こえて怖い。どうしたら機嫌を取れるのか考えようとしてるのに、その音がする度に思考が止まる。 「今日はどうだったの、大学」 ああ。この話題は嫌だ。機嫌を悪くする事はあっても、よくするのは至難の業だから……。 「……3講目が、休講になったから、レポート捗ったよ」 「ふーん。で、今日はあいつらと喋った?」 「……土佐とは、喋ってない。由信とは、少し………」 「少しって、一言?二言?」 「………うん、そんなぐらい」 ………うそ。俺は由信を避けてひとりにするなんてこと出来なくて、宗ちゃんの言いつけをずっと守れてない。 「早く愛由を俺だけのにしたいなぁ……」 それにはやっぱりあいつら邪魔なんだよな……。宗ちゃんがそんな物騒な事を呟くから、俺は焦った。 「もう、なってるよ。俺は、もう宗ちゃんの、でしょ……?」 「うんそうだよ。でも、分かるだろ?俺が嫉妬する気持ち」 「………うん、分かる。俺も、病院で宗ちゃんが看護師さんとかと仲良かったりしたら、ちょっとやだな」 「可愛い事言うね。看護師に限らず確かに女はみんな俺に抱かれたがってる。でも、安心して。俺が抱きたいのは愛由だけ。俺は、愛由一筋だから」 「………俺も、一緒。俺も、宗ちゃん一筋、だよ」 「それは当然。もし余所見したりしたら、俺愛由の事殺しちゃうかもしれない」 笑顔でそんなゾッとする様な事を言う宗ちゃんが、俺は物凄く怖い。元々基本的に怖いけど、もっともっと怖くなって、目を合わせていることが出来なくなる。 「ご飯終わったら何する?」 これの正解はなんだろう……。 早くセックスしたいって変態みたいなこと言えばいいのかな。 それとも、いつもみたいに二人で並んでテレビを見たい、かな。 本当にしたいのはレポートの続きだけど、これは絶対に正解じゃない………。 わざわざ聞いてくるってことは、いつも通りじゃダメって事で、やっぱりセックスなのかな。 「宗ちゃんがよかったら、抱いて、欲しい……」 「寝る前じゃなくて?」 「うん、早く、したいな……」 「立って」 「………え、」 「立って、シャツ捲って」 ちょっと大きな声を出されて、俺は言われた通り立ち上がって宗ちゃんに部屋着として与えられているシャツの裾を捲り上げる。 下半身は家ではいつも何も身に付けるなと言われているから、捲った先にあるのは生身の………。 「下、全然反応してないよ?本当にしたいの?」 「っ……したい……!」 俺は泣きそうになりながら答えた。本当は言われる通り全然したい気分じゃないのに、俺、何を必死になって訴えてるんだろう。 「嘘つき。俺は嘘つきは嫌いだ」 由信とずっと一緒にいること、俺が知らないとでも思ったか? 氷のように冷たい声で言われて、背筋が凍る。 「ごめんな……さい……」 間抜けに下半身を晒しながら、ブルブル震える。裾を掴む手の力加減が分からなくなって、強く握りすぎて指先が痺れる。 宗ちゃんが立ち上がった気配がしたと思ったら、すぐに頬に衝撃が走った。勢いが強過ぎて、身体ごと右側に倒れそうになるのをなんとか耐える。 「さーて。今日はいいものを用意してるよ」 ついてこい。 言われるがまま、宗ちゃんの後に続く。ナポリタン、まだ食べたかった………。 寝室に入ると、シャツを脱ぐ様命令された。そして、ベッドの上で四つん這いになれと。 怖くてガクガク震えながらも言う通りになると、口にタオルを詰め込まれ、その上から猿轡を噛まされる。 ビッと空気を切る音がして、同時に背中に強い痛みと、肉を叩かれる音が生じる。 これは、鞭だ。 一緒に住むようになってから宗ちゃんが使うようになった新しい暴力。でも、いつもよりも格段に一撃が強い。 痛い……。熱い……。 痛みで挙げた叫び声は全部口の中のタオルに吸収される。 何度も叩かれる内に背中の感覚がだんだんなくなってきても、膝が笑ってきても、それでもちゃんと膝を立てて腕を突っ張って四つん這いでいなきゃいけない。涙が玉みたいに大粒になって、シーツに落ちていく。もう限界だ………。 「やっぱり一本鞭は違うね。いつも使うバラ鞭より断然痛いだろ?背中、真っ赤になっちゃった。ねえ愛由、反省した?」 漸く猿轡を外されて、タオルを取り出される。俺は何回か噎せながらも、はっきりと「反省した」と答える。 「何を反省したの?」 「嘘、ついたこと……」 「うんそうだね。それで、どうして愛由は俺の言いつけを守れないの?」 「………由信を、ひとりに出来なくて……」 酷い暴力を受けたショックが大きすぎて、思考も感情も働かない。小細工する余裕なんてなくて、自白剤でも飲まされたみたいに頭の中を全部晒け出す。 「ふーんそっか。愛由は友達想いで優しいね」 「由信……は、多分俺がいないと大学、通えないから………」 「そう?そんなのやってみないと分からないよ?」 「あいつ昔、登校拒否で……」 「でも今は、愛由以外にもいるんでしょ?土佐も、彼女もいるじゃないか」 「でも、あいつには俺がいないと………」 「成る程。愛由にとって由信の存在は大きいんだね。こんだけ痛い目に遭っても捨てられないくらい……」 由信を排除しなくちゃね。 「え………?」 「さあおいで。あっちでテレビを見よう。シャツ着れる?」 何か不穏な言葉が聞こえた気がしたけど、気のせいかな……。 でも、それを考えるよりも、まず身支度を急いだ。せっかくテレビを見ようって言ってくれてるんだから、その気が変わらない内に。機嫌を損ねない為に。 リビングに戻ると、宗ちゃんは食べかけのナポリタンを片付けてる所だった。 「今度は美味しく作ってあげるからね」 「うん………」 返事をしながら、悲しいなって思った。 俺は今度じゃなくて、今食べたい。 まだお腹が減ってる。 俺にとっては凄く美味しかったんだ。 だから、棄てないで…………。 そんな簡単な願いも伝えられないまま、ナポリタンはゴミ箱行きになった。無惨に鞭打たれた、俺みたいに。

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