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宗ちゃん 1
物心ついて直ぐに所謂虐待を受けて育った俺は、中2の終わりに施設に引き取られた。と言うのも、唯一の養い手であった母親が、俺への虐待で逮捕される事になったから。
あの日の事は、今でも鮮明に覚えている。
いつもの様におじさん3人の相手をさせられていた時だ、警察の人たちがいっぱい家の中に雪崩れ込んできたのは。
ついさっきまで俺を跪かせて足蹴にしていたおじさん達が慌ててズボンを上げようとして警察の人に怒鳴られ静止される姿は滑稽で、俺は助けられたという実感も特になく、ただじっとおじさんと警察のやりとりを眺めていた。
「愛由くん……いや、愛由ちゃん……だね?」
警察の人が俺にそう話しかけて、書類に目を通してから「ごめん、やっぱり愛由くんだった」と言った。
警察の人が間違えるのも無理はない。この日俺が着せられていたのはフリフリが沢山ついた薄い水色のワンピースだったし、髪も肩の下まで長かったから。
俺は私服に着替える様言われて、そのまま警察に保護された。やがて、ホストクラブで遊んでいた母親も逮捕されて、俺は児童相談所に連れていかれた。引き取り手がいなければ、養護施設に入る事になると説明されて、そんなに経たない内に、その通りになった。
初めて環境の変化を実感したのは、施設で長年伸ばされていた髪の毛を切って貰えた時だ。耳がすっきりと出て、目の前の鏡に映る自分が性別不詳じゃなくちゃんと男になっていくのを見て、もう髪を切ることを禁じられる事もなくて、女の子の格好もさせられないんだって思った。もう、おじさん達に奉仕したり、身体を触らせたりしなくても生きていけるんだって思うとほっとして、じわりと涙が滲みそうになったのを覚えている。
施設での暮らしは、初めの頃は以前とは比べ物にならない程に快適だった。
それでも、同じ施設の子供達から嫌がらせをされたり、職員のいない所でちょっとした暴力を受ける事はあった。けど、嫌がらせなんて、学校でもずっと「おかま」だの「男の娘」だの嫌味を言われてきた俺にとっては慣れっこだった。
子供達による言葉の暴力というものは「キモイ」とか「ムカツク」とか「シネ」を派生させた単純なものばかりだ。勿論言われていい気持ちはしないものばかりだけど、いちいち反応して傷つく方が損だということを、ここに来るまでに俺は既に学んでいたし、「またか」と思って聞き流す術すら身に付けていた。そもそも、その程度の言葉で傷つくとしても、家でされてきた事と比べると雲泥の差だ。所謂苛めを受けていたにも関わらず給食というエサに釣られて学校に行きたかった俺にとっては、掠り傷にすらならなかったのかもしれない。
身体的な暴力は、少し嫌だった。
痛覚は心の様に柔軟じゃない。考え方次第で痛く感じないなんて境地にまではまだ達していなくて、殴られればやっぱり痛い。けれど、子供は力が弱いから、痛みとして比べると、大人からされるのとはやっぱり雲泥の差だった。
痛い目に遭って思い出すのは、容赦なく殴ったり蹴ったりしてきたおじさん達の事。その度に思う。俺を一番痛め付けてきたあのシリコンのおじさんがあの日逮捕されなかったのが悔しいなぁって。もう二度と会うこともないだろうけど。
そんなある日、ここで生活を送る上で重大な問題が発生した。
同室のリーダー格の高校生から、「しゃぶれ」と命令される様になった事だ。元々そいつから性的なからかいは頻繁に受けていて、嫌な感じだなあと思ってはいたけど………。
「いやだ」と断ると、同室の奴ら皆に寄ってたかって押さえつけられて、無理矢理くわえさせられた。
口の中で腰を振られて、俺は思った。俺は漸くこんなことしなくて済むようになった筈なのに、こんなの違う。おかしいって。
でも、この部屋のヒエラルキートップのその男の命令は絶対で、誰一人俺を押さえ付ける腕を緩めたりはしなかった。
俺ってどこに行ってもこうなのか?まさか虐げられる為に生まれてきたんじゃないだろうな。そんな風に自虐的になりつつあったある日、俺は唐突に救われた。日課の様にやられている最中、見回りの時間でもないのに、職員が部屋にやってきたのだ。後で聞いた話だが、誰かがあの事を職員に垂れ込んだらしい。同室に、そんな事する勇気のある奴はいなさそうだったのに。
何はともあれ、その日から俺には一人部屋が与えられる様になった。
俺はまた快適な生活が送れる様になって、大部屋にいた頃よりも落ち着いて眠れる様になった。だから、嫌な目に遭ったけれど、結果的によかったじゃないかって思い込む事にして、俺はあの出来事に折り合いをつけた。あんな、まだまだ子供の成長しきってない性器をくわえる事ぐらい、俺にとっては痛くも痒くもないんだって自虐をしてまで、忘れようとした。
*
新しい部屋での生活にも慣れてきて、心の傷も落ち着いてきた頃、医学生だという若い男が、ボランティアとして施設に出入りしている事に気が付いた。聞けば、俺が入所したばかりの頃からいたというから、もう1ヶ月以上になるのだろう。
医学生という肩書きに甘いマスクのその人は、中高生の女子達から絶大な人気があって、俺がその存在に気づかなかったのが不思議なくらい、いつもキャーキャー騒がれて目立っていた。
どうも勉強を教えに来てくれているらしいと聞いて、俺も多少興味はあったけど、背の高いその人を囲む女子だらけの集団に混じるつもりは毛頭なくて、いつも通り自由時間は部屋に閉じ籠って過ごしていた。
「ちょっとごめん……!」
部屋で勉強をしていた時、突然ドアが開いて、男が入ってきた。俺は条件反射でパニックを起こしかけたけど、男の正体を知ってほんの少しほっとした。それは、物凄く年上のおじさんでも、青臭い癖に偉そうなあの高校生でもなく、若くて爽やかな医学生……「天城さん」だったからだ。
「突然入ってごめんね。今、女の子達に追いかけられていて。少し休ませてくれないかな」
天城さんは肩で息をしていて眉はハの字だし、本当に困っている風体だった。いくら女相手でも、あんだけ大勢に追い回されて取り合われたら、流石に怖いんだろうなと思って、少し同情的になった俺は、首を縦に振った。
天城さんは、お礼と称して頼んでないのに勉強を教えてくれた。流石有名な国立大学の医学生なだけあって、教え方はかなり上手かった。高校はどこだったかを聞くと、誰もが知ってる名門校で、医学部の入試もトップの成績で入って、大学で新入生の挨拶をさせられた、というまるで夢の様な成功談に感心させられた。
「俺も、A高行きたいんだ……」
ぽつりと呟いてしまった願望。これまでまともに勉強できる環境じゃなくて成績だって悪かった俺には、行ける筈ない難関高だ。
でも、俺は変わりたかった。学を付けて、まともな職に就きたいと思った。身体を売って、地の底を這いつくばって、みんなに踏みつけられながら生きるのは、もう絶対に嫌だった。だから、ここに来てから決めてた。どうせならこの辺で一番難しいA高を目指そうって。人に話したってどうせ鼻で笑われるって思ってたから、誰にも宣言したことはなかったけれど。
「愛由君なら行ける気がする。愛由君、少し教えたらすぐ吸収するし、元々頭いいんじゃない?何なら俺が協力するよ」
けれど、天城さんは少しも笑わず、真剣な顔でそう返してくれた。
「本当に協力してくれるの?」
気づけば俺はそう言っていた。今、冗談だよってあしらわれたら、俺もう二度とこの人に顔向けできないなあとどこかで思いながら。
「約束するよ。その代わり、教えるのはこの部屋ででもいいかな?ずっとあっちにいると疲れるから、少し避難させて貰いたいんだ」
天城さんは俺の期待通りの返事をくれて、ウインクまでした。
そっか。天城さんも女の子たちに追われて困ってるんだから、俺が部屋に入れてあげれば助かるのか。それなら、遠慮はいらないかな。
………そんな風に思わされたのも、宗ちゃんの作戦だったのかもしれないって今となっては思う。けど、当時の俺は、心を閉ざしている様に見せて、本当は愛に飢えていた。誰かに優しくされたくて、構われたくて、多少強引にでも懐に入ってきてくれる人を求めていた。それが、「天城さん」だった。
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