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宗ちゃん 7
「愛由の初めてが、ずっと欲しかったんだ……」
そう囁かれて、性器を弄っていた手が、後ろに伸びた。宗ちゃんの言葉でどこに触れられそうになっているのかに気付いて、突然霞が晴れるみたいに俺は我に返った。
「やめて!!」
きつく言って、宗ちゃんの下から這い出す。すぐに追ってきた腕も、これまでにないくらい強く叩き落として、ベッドを下りた。
「宗ちゃん、俺嫌だ。嫌だって、言ったのに、なのに、何で………」
勇ましく、きっぱりと言いたかった。俺は怒ってるって事を、ちゃんと伝えたかった。けど、涙が出てきそうになって、一生懸命鼻を啜って誤魔化しながらになった。勇ましさなんて、欠片もない。
「愛由も俺の事好きって言ってくれたし、キスだって嫌がらなかったじゃないか。そろそろ、いいんじゃない?俺、随分待ったよ?」
違う。違う。全然噛み合ってない。俺の好きは宗ちゃんと同じ意味合いじゃないし、キスは慣らされてしまっただけで、嫌じゃなかった訳ではない。ちゃんと伝えたのに、信じてたのに、どうして………。
言いたい事がいっぱいありすぎる。でも、一番に伝えたかったのは………。
「宗ちゃんの嘘つき!宗ちゃんは、待ってなんかいなかった!俺、知ってるんだからな!いつもくれるお茶に何か混ぜて、俺を眠らせてる間に、宗ちゃんが何してたか!」
あの写真の一番最後の裸の俺は、毎回白い液体で汚されてた。だから、ただ見て写真を撮ってただけじゃない。今日されてたみたいに、触られたりしてたんだ。それなのに、何が待つだ!嘘つき!卑怯者!
「え、何、愛由。俺が、何してたって?」
それなのに、宗ちゃんは白々しくそう言った。俺の怒りはますます加熱する。
「とぼけるなよ!知ってるんだ!見たんだから、そのスマホの、写真!」
「写真……?何の事?」
「だからとぼけるなって……!」
ベッドの上の宗ちゃんが、俺にスマホを投げ渡してきた。
「ロックは解除してあるから、何の事か教えてくれないかな?」
俺は、嫌な予感を覚えながら、画像フォルダを開く。
…………ない。
この前まで一面肌色だったのに、それが一枚も。
この間の模試の画像はあるのに、肝心のものがひとつもない。
「消したんだ………」
「何を?」
宗ちゃんが、きょとんとした顔を装って首を傾げる。その裏で、ニヤニヤ笑っている癖に……。
「卑怯だ………」
「何の事?」
悔しくてブルブル震える。
俺、バカだ。証拠なんて何一つ残してない。あの写真だって、眠らされてたのだって……。
「ねえ愛由、夢でも見てたんじゃない?今日の事は、謝るよ。ごめんね。まだ待つべきだった。けど、愛由は同年代の子達と比べたら経験豊富だから、もういいんじゃないかなって勝手に思っちゃったんだ。でも、どんなに色んな事知ってても、愛由はまだ中学生だもんね。びっくりしたよね、本当にごめんね」
もうしないよ。キス以上の事は何もしないから、さあおいで。もう遅いから、眠ろう。
宗ちゃんが、ベッドの上で両手を広げた。
俺が、そこに行くとでも思っているのか……?
俺の事、バカだと。問題の根本をすり替えられても、証拠を全部消されて夢だって言われても、それで納得して騙されるアホだと思ってんのか……!
「帰って」
「…………え?」
「帰れよ!俺、今宗ちゃんと一緒にいたくない!宗ちゃんがちゃんと自分のしたこと認めて、もうしないって約束してくれないなら、もう俺宗ちゃんと会いたくないから!」
「酷いな愛由。今更帰れなんて無茶言わないでくれよ」
「夜勤の職員に頼めば、玄関くらい開けて貰えるだろ!」
「そんな冷たい事言わないでくれよ。きっと話せば分かるよ。愛由は今、頭に血が上っちゃってるんだよね」
宗ちゃんがベッドから下りて、諭すような笑みを浮かべながら一歩一歩近づいてくる。
話すって、何を話すの?結局宗ちゃんにいいように丸め込まれるだけじゃないか。いつも、そうだった。俺が、宗ちゃんを切り捨てられない事に、つけこんで………。
気づけば、机を背に立っていた俺の目の前に、もう宗ちゃんが迫っていた。腕を、伸ばされる。
「話す事なんてねーよ!もう沢山だ!宗ちゃんが出ていかねーなら、俺が出ていくから!」
宗ちゃんの腕を払い除けて、部屋を出るために目の前の宗ちゃんの身体も押し退けようとした。
「待ってよ愛由!」
宗ちゃんはなかなか退けてくれない。
「退けて!」
「ねえ、聞いて愛由!好きなんだ!好きだからつい、暴走したんだ。許してくれ!もう一回、やり直そう」
「やり直すって何?俺たち別に、何も始まってなかった!」
「じゃあ今から新しく始めよう!愛由、好きだよ」
この期に及んで、何言ってんだ……!
「俺は宗ちゃんの事もう嫌いだよ!もう、顔も見たくないんだ!」
言った途端、宗ちゃんの動きがピタッと止まった。
傷つけた。
そうすぐに分かったけど、もう言ってしまったものはどうしようもない。
はあはあ肩で息をしながら宗ちゃんを見上げる。宗ちゃんは、全然息切れすらしていない。俺を力でここに押さえ付けるのも、口で言い負かそうとするのも、きっと余裕なのだ。
宗ちゃんが動かないのをいいことに、宗ちゃんの身体をすり抜けて向こう側へ行く。ベッドと机だけでギチギチの狭い部屋だから、ドアはすぐそこだ。
でも、一歩踏み出す前に、思い出した。そう言えば俺、上半身裸だ。流石に、何か着ないと、事情を聞かれてしまう。
ベッドの下に無造作に落ちているフリースを拾う。気付いた途端寒いことに気づいて、急いで被る。
「愛由、もう俺の事いらなくなった?もう俺と会わないの?」
後ろから宗ちゃんの声がする。
いらなくない。俺には宗ちゃんが必要……だった。でも、それを壊したのは、宗ちゃんの方だろう。俺に、拒絶の言葉を吐かせたのも、宗ちゃんがそうさせたのに。俺は、宗ちゃんがちゃんと非を認めて謝ってくれたら、もうしないって誓ってくれたら、宗ちゃんの事を許すつもりだったのに………。
「宗ちゃ……」
俺は絶句した。
振り返った俺の目に飛び込んで来たのは、カッターナイフを手にした宗ちゃんの姿だったからだ。あのカッターは、今日宗ちゃんが部屋に来る前に美術の宿題をやるのに使ってた、俺の…………。
「愛由が悪いんだよ」
宗ちゃんの口調は坦々としてて、その口元は薄く笑っている。
「なに、する、き………」
怖くて、金縛りにあったみたいに身体が動かなかった。逃げなきゃ刺されるかもしれないのに………。
「これはお仕置きだよ、愛由。俺を拒絶したらどうなるか、思い知るんだな!」
「やめ……っ!」
予備動作もなかった。身構えた俺の目の前で、宗ちゃんは自分の二の腕にカッターナイフを突き立てた。
1回、2回、3回と、まるで美術の宿題の発泡スチロールを刺すみたいにサクサク腕に突き立てられるカッターを、俺は少しの間何もすることが出来ないまま見送った。
そして、唐突に目の前が赤くなった。飛び散る血飛沫が、ようやく目に入る。
「宗ちゃんやめて!!」
俺は、弾かれたみたいに宗ちゃんに飛び付いた。宗ちゃんが右手で握るカッターを、両手でしっかり掴む。思いがけない程にあっけなく、宗ちゃんの手からカッターナイフは剥がれた。その時見た宗ちゃんの口元には、深い笑みが刻まれていた。
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