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逃亡

由信にねだられ、断りきれずに、昨夜は宗ちゃんの家に帰らなかった。前に土佐の家に漫画を読みに行って以来、由信からも「家においで」と何度も誘われていたのに、俺は結局宗ちゃんが怖くて由信の為に時間が作れなかった。その罪悪感がずっとあったのだ。 夜が明けて、外が明るくなってから恐る恐るサイレント設定にしておいたスマホを確認すると、えげつない数の着信が入っていた。LINEのメッセージも、99+になっている………。 『今どこにいる?』 『門限過ぎてるぞ』 『電話に出ろ』 『今すぐ電話を寄越せ』 『舐めた真似をしてくれるな』 『あいつらの単位はないと思え』 『動画を送る』 『あと5分だけ待ってやる』 『これ以上俺を怒らせるな』 『(壊れた食器の破片の画像)』 『同じ目にあいたいのか?』 『今電話に出れば赦してやる』 『最後のチャンスだ』 『お仕置き決定』 『お前はまた入院することになる』 『死んだ方がましだと思う様な目にあわせてやる』 ・ ・ ・ 全てを確認する前に震える指でLINEの画面を閉じた。 俺を脅す酷い言葉の羅列を見ているだけで宗ちゃんへの生々しい恐怖心が再現して、背筋が凍った。身体が勝手に震えて心臓も痛くて、とてもこれ以上見ていられなくなったのだ。 少し深呼吸をして自分を落ち着かせてから、まだ寝ている由信のスマホを拝借して、LINEの通知を確認する。やっぱり何も来ていない。 由信が見る前に消そうと思って、夜中も何度も何度も確認したけど、脅すだけで、動画を送る気はないみたいだ。今のところは、まだ。土佐にはどうか分からないけど………。 でも、ゼミの単位の事は、教授に確認済みだ。宗ちゃんに意見を求める事もあるが、基本的には小木教授が評価を決めると。俺達の発表は、今のところ及第点だということも、聞いている。だから、由信や土佐に迷惑をかける事は、ない筈だ。 この一晩、一睡もできなかったし、正直ずっと気が気でなかったけれど、俺はこうして死ぬことも殴られる事もなく次の日の朝を迎えている。 もう逃れられないんだって思い込んでいたけど、行動を起こしてみればあっけなく逃れられたし、これまで宗ちゃんが怖くて固定観念に縛られていた思考がパッと目覚めた様な感覚がある。 宗ちゃんの事が怖くなくなった訳ではないけれど、考えてみれば前みたく物理的に監禁されている訳でもなければ、食事を制限されて思考力や行動力を奪われている訳でもなく、俺を宗ちゃんに繋ぐのは、動画の存在と恐怖心だけだ。 当然、由信や土佐にあんな動画を見られるのは嫌だ。死ぬほど恥ずかしいし、屈辱的だし、軽蔑されると思う。でも、また宗ちゃんの元に戻って暴力に支配されるのはもう沢山だ。 怖いし動画は気がかりだけど、もう既に逃げるという行動を起こしてしまった以上、逃げ続けるしか道はない。捕まったら、絶対に酷い目にあう。もしかしたら本当に殺されてしまうかもしれない。今はその方がもっと怖い。 ガサゴソとベッドの上から音がして、慌てて由信のスマホの行方を確認する。ベッドに目を向けると、由信が身体を起こしているのと同時に、枕元にスマホがあるのが見えてほっとする。ちゃんと戻しておいてよかった………。 「ごめんね、起こした?」 「……起きてたよ」 返事をすると、由信はうーんと伸びをして、ベッドの下に足を下ろした。 「あゆ君のお陰でよく眠れたよ」 「なら、よかった」 由信は、土佐に嫌われてないか仕切りに気にしながら、でも俺とは対称的に意外とすぐに眠りについた。 「朝ごはん、コーンフレークでもいい?」 「何でもいい」 ベッドを降りてリビングの方に向かった由信が、冷蔵庫を開けたり棚を開けたりする音をさせている。 俺は、由信がベッドの横に敷いてくれた来客用の布団を畳みながら、朝ごはんの事よりもっと深刻な事を考えていた。 今夜から、どうしようということ。 俺は既に家なしだし、宗ちゃんの元には帰らないと決めた。つまり、寝るところがない。ついでに金もない。金は、今日からでもバイトをして日払いにして貰えるか交渉してみようと思うけど、家はそんなにすぐにはどうしようもない。金が貯まらないと借りられないし、頑張って働いても最低でも1、2ヶ月はかかる。 「あゆくーん、おいでー!もう牛乳ついだよー」 ふやふやになっちゃうよー。 由信が焦って呼んでいるから、俺も立ち上がる。一睡もしていないせいか、立ち眩みを起こした。足で踏ん張って壁に手をついて目眩が過ぎ去るのを待つ。けど、目眩が治まっても、頭も身体も重い。こんなに身の安全が保証されてる朝は、久しぶりなのに………。 「あゆくん遅いよー!これ、カリカリしてないと美味しくないんだから」 ごめんと言いながら、由信の向かいに座る。用意されていた深めの皿の中には、由信の家にもよくあった、チョコ味のコーンフレークが入っている。牛乳も。 及川のおばさんは、朝食もきちんと作ってくれる人だったから、あの家ではこれは主におやつとして食べられていた。 「いただきます。………あ、ほらやっぱりちょっとふやけてる」 先に食べてればよかったのに、由信は待ってくれていた。 由信に、頼んでみようかな。でも1ヶ月って、長すぎるかな………。 ちょっと柔くなったコーンフレークを有り難くかじりながら考える。でも、考えてみれば俺が頼れるのは由信か土佐くらいだから、二人に頼むしかなくて、悩んでる意味なんてなかった。言わなきゃ、どうしようもない。

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