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信じてる
シュルシュルッという不思議な音で目を覚ました。続けざまに、首の後ろと膝の下に、硬い何かが差し込まれる。顔の前には、短い黒髪。
………どうやらさっきの不思議な音は、シートベルトを巻き上げる音だったみたいだ。
「あ……」
「お。悪い、起こしたな」
失敗失敗、と笑いながら土佐が身体を離す。途端、外の冷たい風が肌を撫でて身震いした。
「寒い?やっぱ抱き上げて連れてく?」
「いい」
冗談なのかなんなのか。土佐がまた近づいて手を伸ばして来たから、迷いなくその手を払い除けたら、土佐がへへっと笑って「だよな」と言った。
なんとかアパートの階段を登って部屋に入ると、土佐がテーブルの上にコップとポカリと解熱剤を出してくれた。
「これ。着替えたら?」
ポカリを飲んでいたら、奥の部屋から土佐が長袖のTシャツとスウェットのズボンを持ってきてくれた。
「借りていいのか?」
「使えよ。寒そうだし、その服じゃくつろげねーだろ」
「……助かる」
有り難く土佐の申し出を受けて、真夏にそぐわない暖かい格好に着替えると、ゾクゾクする感覚が少し軽減されてほっとした。
「洗濯しとくか?」
「え、悪ぃよ、そこまで……」
「俺のついでだからさ。気にすんな」
土佐はそう言って俺の脱いだ服を拾い上げた。俺は、また「悪い」と言ってお言葉に甘えさせてもらう。
「この高いシャツ、普通に洗っていーの?………あ、このパンツも同じブランドかー……」
土佐が服をひっくり返して洗濯表示のタグを探しながら言う。宗ちゃんから買い与えられた服は、やっぱり高いんだ………。
「いつも普通に洗ってるから……」
「りょーかい。あ、ベッド使っていいから、寝てろよー」
何から何まで世話になって申し訳ない。そう思いつつも座ってるのも辛いくらい結構限界で、俺は遠慮なく寝室に入って土佐のベッドに横になった。
暫くはどの体勢でいても身体が辛くて何度も寝返りをうっていたけれど、少ししたらさっき飲んだ解熱剤が効いてきたのかスーッと身体が楽になって、同時にやって来た睡魔に身を委ねた。
*
すげー寝たなあというのが、目覚めてすぐに思った事だ。
窓の外はいつの間にか真っ暗になっていて、でも、向こうの部屋からは明かりが漏れていて、テレビの音が聞こえてくるから何の不安もない。枕元のスマホを確認したら、もう22時を回っていた。
「お。起きたのか。調子はどうだ?」
ベッドを降りてテレビの付いている部屋の仕切りを開けると、土佐はテレビをつけながらパソコンで課題をやっている様だった。パソコンを打ちながら俺に気付いて声までかける土佐は、器用な奴だなあと思う。
「熱、下がった気がする。なんか久々にすげー寝た。助かったよ、色々」
「俺なんもしてねーけどな」
言いながら土佐はまたポカリをついでくれたから、やっぱありがたいなと思いながらコップの前に座る。
「飯、なんか食えそーか?食べれそうなもの、コンビニで買ってきてやるぜ」
「大丈夫。ずっと寝てたから、あんま腹へってないんだ」
その代わり、喉は物凄く乾いている。熱中症対策でいっぱい買い置きしているというポカリを沢山飲ませて貰った。
「……及川、よっしーとなんかあったか?」
レポートを印刷して課題を終えた土佐が、パソコンを閉じながら聞いてきた。
由信の事を考えると、胸にぽっかりと穴が開いた様な気持ちになる。だから、由信の意思で俺を拒絶した訳ではないんだから、と思って自分を慰めないとやっていられない。
由信の家にいられなくなった理由。それを、これから世話になる土佐にもちゃんと話さないとって思った。それで土佐にも拒絶されたら、俺本物のホームレスになるけど、でも黙っている訳にはいかない。
「俺の、過去の話なんだけど……」
「過去……?あー、あれか?少年院とか、ヤクザがどうのとか……?」
土佐は何て事ないみたいに言った。みんな、その噂を信じて俺を避けてるっていうのに、そう言えばどうして土佐は俺を避けなかったのだろう。由信と同じ様に、俺がそんな事してないって「信じてる」からなのかな。でも、俺………。
「ヤクザとか薬の話はよく分からねーけど、少年院っていうのは丸っきりウソじゃなくて………」
「そうなのか?それじゃあ、お前悪い付き合いはねーの?ついでに、クスリもやったことねーの?」
「それは、ない」
なぜか土佐の顔が晴れた。
「なーんだそうだったんだ。ちょっとうれしーな」
予想外の反応だった。嬉しいって何だ。まさか何か勘違いしてねーか。
「なあ、でも、全部ウソじゃねーぞ」
「あー分かってるよ。少年院は本当なんだろ。でも、俺全部本当かもって思ってたからさ」
驚いた。土佐の「信じてる」は、由信とは正反対のやつだった。
「お前、よくそんな奴と普通に付き合ってたな」
自分で言うのも何だけど、あんな噂がつきまとう奴なんて碌な人間じゃない。まして噂を信じていたのであれば、真っ当に生きたい奴等は避けるのが普通だと思う。
「だって、シャブ中だろうと、怖いお友達がいようと、過去に悪い事してようと、及川は及川じゃん」
土佐はあっけらかんとそう言った。
「そう、だけど………」
「それで、よっしーは及川が少年院入ってたのがショックで及川の事追い出したん?」
「いや、それだけじゃなくて………」
俺は美咲さんの事を話した。なんとなく、土佐の目が「よっしー薄情だな」って言ってる気がしたから、由信の名誉の為にと思って……。
「………美咲さんって、もっと大人な女の人だって思ってたけど、結構くだらねーこと言うんだ」
土佐の物言いがあまりに辛辣で、俺はぎょっとした。
「美咲さんは、きっと由信を思って言ったんじゃねーかな……」
「そうかー?よっしーがどれだけ及川の事好きか知ってる癖にそんな事言って困らせるのは、全然思い遣りじゃねーと思うけど」
そう……なのかな。確かに、由信は泣くほど悩んで苦しんでた、けど………。
「俺だったらソッコーで彼女切るけど、よっしーは美咲さんを選んだんだ。及川はこんなによっしーの事大事にしてんのにな」
「それは、仕方ねえよ。俺の代わりはいても、彼女の代わりはいないんだし」
友達は、土佐もいる。それに、俺は由信と付き合いをやめるとか、そんな宣言するつもりもないから、由信にとっては失うわけではない。求められれば俺はいつでも由信の力になるつもりだし。………由信の方から寄るなって言われたら、終わりだけど………。
「俺にとっては逆だけどな。……にしても及川、本当よっしーに甘過ぎだって。よっしーはもっと及川の事大事にすりゃあいいのに」
「大事にして貰ってるぜ。由信は、俺の生きる理由みたいなもんだし」
「え、及川、よっしーの事そこまで想ってんの……」
ぶっちゃけ過ぎて土佐には少し引かれたみたいだけど、その通りだ。人間、生きる上で大切な人がいるのといないのとでは大違いで、俺はいつしか由信がそうなっていた。きっかけは、及川のおじさん達を喜ばせる為だったけど、今ではちゃんと自分の意思で由信と一緒にいる。由信の存在が俺の生き甲斐で、由信の幸せが、俺の幸せだ。俺は、自分の為に生きられる程、自分を好きでもないし、自信もない。だから、純粋で尊い、大切な由信が、俺の生きる理由。
由信の事がどんなに大事なのかをペラペラ喋る俺の話を、土佐は、黙って聞いていた。よく見ると、口を真一文字に結んでいる。それを見てふと我に返った。
俺、何言ってんだろう。土佐だってこんな事聞かされても困るよな。こんなの、誰にも聞かせた事なかったのに。俺、疲れてんのかな。また熱でも上がってきたかな。
「また熱上がるかもだし、早めに休んだら?」
ちょうどよく、土佐からそう言われた。どこに寝たらいい?って聞いたら、ベッド使えって言われて、遠慮したけど「いーから」で押しきられて、結局またベッドに横たわった。さっきたっぷり寝たのに、横になったらまたすぐに睡魔がやってきた。
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