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冤罪
「……俺、やってないのに………」
シーンとした中、項垂れた及川がポツリとそう言った。
何の事?なんてのは聞かなくてもわかる。及川が、バイトを辞めさせられる理由だ。
「でも、少年院は事実なんだよな……?」
「……少年院には入ってない。保護観察だったから」
「でも、って事は……」
何もやってない訳じゃないじゃん。そう言いかけたけど、言わなくてよかったと思った。及川の顔が、泣くのを堪えてるみたいに強張っていて、眉を寄せていたから。
「……冤罪、だったのか……?」
そんな及川の表情を見て、自然とこの言葉が出た。というか、及川の表情からは、それしか想像ができなかった。
「………相手が、勝手に自分の腕刺したんだ。俺は、見てただけ。少しして止めに入ったけど……。でも、誰も信じてくれなかった。みんな、俺がやったって言う。全部嘘なのに、俺が犯人だって、決めつけて………」
「及川………」
及川のやったこと。
その詳しい内容について、及川はこれまで俺に話そうとしなかったし、俺も深く追求しなかった。誰にでも知られたくない過去はあって、きっと及川にとってはそれがそうだと思ったから。深く聞いて、及川が俺の元からいなくなるのが嫌だったから。
でも、まさか冤罪だったなんて………。
「お前、やってない罪で裁かれて、有罪にさせられて、今でもその過去に苦しめられてんの……?」
言葉にしたら、あまりに壮絶だった。
誰かに粘着されてイタズラ電話でバイトを辞めさせられるのは、可哀想だと思っていた。けど、そもそもの原因は及川にもあるんだと、所謂「前科」が真実だと思っていたから、完全に同情しきれずにいた面があったのは事実だ。自業自得なんて言葉にするには及川が可哀想過ぎる状況に追い込まれてると思ったけど、及川が犯した犯罪の被害者やその関係者が、及川を恨んでいるのかもしれないって。だから嫌がらせを受けているんだって、どこかで思ってた。
けど、及川の話が本当なら、被害者とされる人間が自分でやった事なら、厳密に被害者なんて存在しなくて、及川が恨まれる筋合いは全くなくて、裁かれたのも有罪にさせられたのも間違いだし、今こんなに毎日苦しめられているのも、全部間違いだ。
「……どうせお前も、信じてくれないんだろ………」
少しの間絶句していたら、何か勘違いさせてしまったのか、及川は投げやりにそう言った。俯いたその目に涙があったかは分からない。けど、その声は少し震えていた。
「んな訳ねーだろ!信じてるよ!俺、及川がどんだけ悔しかっただろうって思ったら、言葉がなくて………」
冤罪だけでも辛くて悔しいだろうに、今もまだその嘘に苦しめられてるなんて、そんなの哀し過ぎる。
「及川、お前、結局噂全部ウソなんじゃん。ヤクザも、クスリも、少年院も、全部ウソじゃん。本当なんて言うなよ。少なくとも俺とかよっしーには、胸張って全部真実じゃないって言えよ。友達、だろ……?少なくとも俺は、及川の言うことしか信じねーよ」
俯いたままの及川が鼻を啜った。その音が合図になって、俺は及川の身体を抱き締めた。やましい気持ちは1ミリもなく、ただ、辛そうな及川を放っておけなかったから。
及川は身を引きかけたけど、がっちり掴んで離さなかったら、大人しくなった。及川の肩が数秒おきにヒクと揺れる。
こいつ、こんなに細かったっけ……?いや、元々細かったけど、こんなに頼りなかったっけ………。
「及川、俺はお前の味方だよ。何があっても、お前の言うことだけ信じる。例え俺以外の人間みんながお前を悪者だって言ったとしても、俺だけはお前を見捨てねーから」
及川は返事をしなかった。けど、及川の肩の動きとか、俺の肩に染みる涙の量とかで、ちゃんと聞いてくれてるって思えた。
*
「俺のバイト先の居酒屋で働かねーか?」
次の日。疲れが溜まっていたのか、昼頃にようやく目を覚ました及川に言う。店長へは、及川が寝てる間にもう話してある。イタズラ電話が来るかもしれないことも、及川は冤罪であることも。店長は、「そんなのどうってことない」と言ってくれていて、受け入れ体勢は万全だ。
「………それはできない。土佐にもバイト先にも、迷惑かける事になるから………」
及川の返答は想像通りで、だからこそ俺は先に店長に話を通したのだ。
「その辺は心配すんな。店長はそれでもいいって言ってくれてるし。それに、慢性的に人手不足なんだ。及川が来てくれたら、普通に助かるぜ」
及川はそれでも悩んでいた。けど、俺の「頼むよ」の一声と、店長からのグッドタイミングな確認の電話のお陰で、ようやく頷いてくれた。
「お前って、本当にいい奴だな………」
及川は感慨の籠った声でそう言った。
いい奴、か。………うん。まあ、いっか。今はいい奴で。
そう思って、あれ?じゃあ俺本当は及川にどう思われたい訳?って考える。けど、あんま深く考えない方がいいかもってなんとなく思って、それ以上は考えるのをやめにした。
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