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決意
「すまないけど、今日のランチは休みね。及川君にも伝えておいて」
バイト先の定休日開けの朝。今日はランチでシフトに入っていたのだけど、店長からの突然の電話で休みになってしまった。
稼ぎたい及川は少し残念そうだったけど、仕方ないよなって納得している。
でも、急にランチ休むとか初めてだな。店長ちょっと焦ってる感じだったし、なんかあったか?なんて思っていたら、俺と及川のスマホが同時に鳴った。何かと思ったら、バイト仲間で構成されてるグループLINEだった。
『ちょ、店に落書きされたらしいよ』
『え、まじ?』
『まじまじ』
『今、警察来てる』
『それやばくね?』
なんか嫌な予感がしたけど、仲間達から続々とLINEは届く。
『撮ってきた』
店の外観を写した写真がアップされたのは、会話が始まってすぐの事だった。そこには、目を凝らさなくても見えてしまう程大きな文字で、「犯罪者」と書かれていた。
俺はそれを見た瞬間背中がヒュンとなって、すぐに及川を振り返る。及川は、暗い目をして、スマホの画面を見つめていた。
「ごめんな。やっぱり俺、ここで働くべきじゃなかった」
俺がかける言葉を探していると、先に及川が感情の籠らない小さな声で言った。
「及川は、悪くねーじゃん!こんな事する奴が悪いんだから!」
「……けど、もういられない」
及川がすくっと立ち上がった。淀みない動作で、スマホと財布をポケットに突っ込む。
「おい……」
いられない……って、バイトの事だよな。まさか、ここ出ていくとかはねーよな……?
及川の行動に迷いが無さすぎて、俺は呆然と及川が出掛ける準備をするのを見ていた。
「ちょっと出てくる」
それだけ告げて玄関に向かって行った及川が外に出てしまう直前になって、俺は漸く我に返る。
「待てよ!どこ行くんだよ!まさか、もう帰ってこないつもりじゃねーよな?」
一個ずつ聞けばいいのに、俺は慌てすぎていた。
「帰ってくるよ。絶対」
及川は、振り返って俺の目を見て答えた。俺はそれを聞いて気が抜けて、「そっか」ってだけ返した。そしたら及川はもう振り返る事なく、するりと玄関を出てしまった。
他の質問に答えて貰ってないって気付いたのも、及川が最後に付け加えた「絶対」って言葉が、何となく自分に言い聞かせるみたいな言い方だったなって気付いたのも、遅すぎた。及川の後を追って外に出たけど、及川の姿を見つける事はできなかった……。
*
もう限界だと思った。
悉く俺が働くのを邪魔されるのも堪えたけど、物凄くよくしてくれた土佐や居酒屋の店長や仲間達に迷惑をかけてしまった事が、一番に堪えた。
これ以上このまま逃げ続けても、同じことの繰り返しで、俺は一向に自立出来ず、周囲に迷惑をかけ続けることになってしまう。だから、決意した。もっと早く決断していれば、あの店にこんな酷い迷惑をかけることもなかったのに………。
『話がしたい』
俺が宗ちゃんに送ったLINEは、平日にも関わらずすぐに既読がついたから、心拍数が一気に跳ね上がった。それから身構える隙もなく、すぐに返信が。
『家で待ってて』
『外がいい』
『わがまま言わないの』
『外じゃないと会わない』
スマホを握る指が震えていても、これを譲るつもりはなかった。人目のある所でしか会う気はない。密室で会ったりしたら、また何をされるか分かったものではないから。
酷く罵倒されるんじゃないかとか、嫌な予感ばかりが頭を過って緊張したまま返事を待っていると、少ししてから、カフェらしき場所の情報が送られてきた。
『ここに、12時30分』
『わかった』
意外にもあっさりと俺の要求が通った事にほっとして、よく知らない公園のベンチに腰掛けた。
家を出た後、わざと地下鉄と反対方向に歩いた。
土佐が追ってくるかもしれないと思ったから。
さっきは突然の事に色々取り繕う事ができなかったから、俺が嫌がらせの主に会いに行こうとしている事は土佐に勘づかれただろう。土佐は以前にその事を心配していたから、「ついていくぜー」なんて能天気に言われそうで、でも俺は土佐をこれ以上巻き込みたくはなくて、けど本当にいい奴の土佐の好意を無下に断るのも辛くて、何か言われる前に逃げるように家を出て、逃げるように知らない道を選んだ。
けど………。
…………本当は不安だ。
ここに土佐がいてくれたら、どんなに心強いだろうと思う。
こんなに誰かに傍にいて欲しいなんて、俺一体どうしたんだろう。これまで、由信の存在を拠り所にしていた部分はあるにしても、それでもずっと一人でやってこれたのに。誰かに依存して、そして裏切られるのはもう沢山なのに…………。
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