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仲直り 2
ゆっくり食べ進めたケーキがなくなる頃、ようやく周囲の喧騒が、普通に戻った気がした。つまり、俺たちの一挙手一投足を注目される様な異常な雰囲気が、緩和した。
「……俺がどうしてここに来たか、本当は分かってるんだろ……」
周りに聞こえない様に抑えた声を絞り出す。
「分かってるよ。仲直りでしょ?」
「……違う」
「変な意地張らないの」
「そんなんじゃない!」
思わず声が大きくなってしまって、また周囲の視線を感じた。宗ちゃんは、相変わらず微笑みを口元に張り付けて俺を見ている。
「ごめんね、俺が悪かったよ。花なんかじゃ足りないよね。分かってる。愛由は何が欲しい?俺に出来ることならなんだってしたいんだ」
宗ちゃんはわざとらしく困った顔を作って、視線を向けている人達に聞かせる様に言った。クスクスと笑い声が聞こえる。俺は恥ずかしさに俯くしかなかった。
「分かって欲しい。俺は、愛由の為ならこんな沢山の人の前で愛を誓うことだって容易い。それだけ、愛由を愛してるんだ……」
また宗ちゃんは自分の言葉に酔ってるみたいだった。
この演出も、愛の台詞も、優しい言葉も、その表情も、全部作り物だって、俺が分からないとでも思ってるのか。
そもそも元を辿れば監禁と暴力から始まって、付き合ってたのだって無理矢理だったし、その後も息をする様に俺を虐げてきた癖に…………。
「もう、沢山だ………。お願い。俺の事、解放して………」
宗ちゃんに縛られていた日々を思い出すと苦しくなって息が詰まる。過去の、そして今目の前にいる宗ちゃんから与えられるプレッシャーに押し潰されそうになりながら、懸命に口を開いた。
「まだそんな事言ってるの?おかしな愛由。あ、ねえ、ケーキまだ食べる?今日は特別、好きなだけデザート食べていいよ」
それなのに、俺の必死の声は喧騒にかき消され、宗ちゃんの快活な声だけが妙に目立って、また周囲の視線はこのテーブルの動向に注視され始める。
外で会えば普通に話せると思ってたのに、宗ちゃんはこの調子だし、周りからは変に注目を集めているし、これじゃ逆効果じゃないか………。
かと言って、ここで俺が大声で宗ちゃんに反抗しても、きっと誰一人俺の味方にはなってくれない。
前の、冤罪事件の時と同じ。
誰に聞いたって、悪いのは俺だって言うだろう。
いい所の生まれで、誠実に見えて、医者でもある宗ちゃんが間違った事をする筈はなくて、生まれも育ちも悪くて、前科持ちの俺がおかしいに決まってるって………。
もうあの時と同じ孤独と絶望を味わうのは御免で、でも、このまま大人しく引き下がる訳にも行かなくて、俺は蚊の鳴く様な声で懸命に訴える。
「バイト先に電話をかけるの、もうやめて………。それに、落書きも。あんなの酷いよ………」
自分対してじゃなくて、自分によくしてくれた人達に危害を及ぼした事を思い出すと、忘れかけていた怒りが小さく再燃した。
「電話に落書き?何の事だか分からないなぁ……」
宗ちゃんは相変わらず声のトーンはそのままで、白々しく言ってのけた。犯人は宗ちゃん以外考えられないのに………。
「でも、愛由が困ってるなら、俺が何とかしてあげる」
「え……やめて、くれるの……?」
宗ちゃんがあっさりと言ったから、俺は驚いて呆気に取られた。けど………。
「俺の元に戻ってきたんだから、俺が守ってあげる。もう心配はいらないよ」
「え………違う……!戻るとか、俺、そんなつもりは………」
「嫌がらせ、やめさせたいんじゃないの?」
宗ちゃんの声色の脅すような響きに、俺は思わずカッとなった。
「やっぱり宗ちゃんがしてたんじゃないか!俺、あんな嫌がらせには絶対屈しないから……!」
思わず声が大きくなった俺に、宗ちゃんは冷静にシーっと顔の前で人差し指を立てた。慌てて周囲を見回すと、何人かがこっちを見ていたから、俺は顔を背ける様に俯く。
「落ち着いた?誓って言う。俺はしてない。忙しい俺に、そんな暇があると思う?」
怒らせたかもと思っていた宗ちゃんは、まだ優しい声色で俺に言って聞かせる様な調子だ。
「……知らない。でも、今日だってこうしてここにいるじゃないか……」
「酷いな、愛由……。俺は今日、愛由との仲直りの為に急きょ職場に無理を言って休みを貰って来たって言うのに………」
宗ちゃんは眉を潜めて一気に悲しそうな顔になって、俯いた。ついさっきまであんなにニコニコ笑ってたのが、別人みたいに悲壮感を漂わせて。
…………もしかしたら。この演出はパフォーマンスなんかじゃなくて、本当に宗ちゃんは俺が戻ると思いこんでいたのかもしれない。………もしそうだとしたら、俺は自分がとんでもなく性悪なんじゃないかって気持ちになってきて、胸がチクリと傷んだ。
「愛由が戻るって思って、街中駆けずり回って花束用意して、こんな演出まで考えて、俺、バカみたいだ。有頂天になってここにいる皆に仲直りしたって言いふらしたりして………それなのに愛由に振られたりしたら俺、皆の笑い者だね………」
宗ちゃんは項垂れたまま力なく言った。途中で目元を片手で覆ったのも、俺に追い討ちをかけた。
「ごめん………」
俺のLINEの伝え方とか、雰囲気に呑まれてはっきりしない態度だったった事が、誤解を与えてしまった原因なのだろうか……。
「悪いと思ってるなら、せめてここにいる間だけでも、恋人の振りしてくれない?」
「え………」
「俺の言葉を否定しないで、普通に一緒に食事してくれればそれでいいから」
「…………」
「道化の俺の、最後の願いなんだ。頼むよ」
宗ちゃんの自虐も効いたけど、最後の……と言われた事が決定打となって俺は頷いた。
これで最後になるなら、普通に食事するくらいなんて事ないと思ってしまったのだ。
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