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仲直り 3
「料理、お願いします」
ようやく顔を上げた宗ちゃんが、手を挙げて店員を呼ぶとそう言った。ついさっきまでの萎れた雰囲気とは一転して、明るい調子で。
テーブルの真ん中にあったケーキは下げられて、目の前にナイフとかフォークとかスプーンがズラリと並べられた後に、大きな皿が運ばれてきた。中には、野菜とかチーズ?とか貝?とか、なんだかよく分からないものがちょこちょこと乗せられている。
「どうしたの?食べよう?今日は御祝いだから、一番いいコースを頼んでおいたんだよ」
御祝い………の、フリするって事なんだよな。
俺は自分を納得させて宗ちゃんに頷く。折角の料理は、美味しく食べないと勿体ないし。
「ナイフとフォークは、一番外側から使っていくんだよ」
皿の両脇にズラリと並べられたそれらをどうしたらいいのか分からず戸惑っていたら、宗ちゃんから声をかけられた。成る程と思って、言われた通り外側のフォークを手に取る。
「どう?」
「この刺身、少し酸っぱくて、でも美味しい」
「マリネしてあるからね。口に合ったなら、今度作ってあげるよ」
……作ってあげるってこれも、フリ……だよな………。
「………うん、ありがと」
皿が大きい割に全部一口サイズだからすぐになくなって、次の料理が運ばれてくる。これも、皿の割に小さい。
一番真ん中にある肉?っぽいものを食べてみたら、ムニュっとして、脂っぽくて、少し生臭かった。ともかく、初めて食べる味だ。
「フォアグラだよ」
俺がそれを不思議そうに観察していたからだろう。宗ちゃんがクスクス笑いながら教えてくれた。
「これがそうなんだ」
高級な食材として、名前だけは聞いた事がある。
「美味しい?」
「う、ん。慣れれば」
「そう。愛由はコンビニの惣菜とか、そんなのばっかり食べてるからね。これからは、こういう本当に美味しいものに触れていこう」
「……………」
ただ頷くだけだとしても、だんだん嘘つくのが辛くなってきた。宗ちゃんはこんな事してて虚しくならないのかな………。
次にやってきたのは白くて冷たいスープで、宗ちゃんからジャガイモのスープだって聞かされた。
次は魚の料理が出てきて、その後に一口で食べ終わる様なちっちゃいアイスが出てきたから、これでようやく終わりかと思っていたのに、また今度は肉が出てきた。スライスされたフランスパンも一緒だ。
「牛フィレ肉にバゲットか……。なんだか思い出すよね、あの別荘での最後の食事……」
宗ちゃんは語りかける様に言った。確かに今食べているものは、あの時と似ている。けど、俺にとっては決して思い出したい過去じゃない。
「あそこにあのまま閉じ込めておけばよかったのかなぁ。俺、また失敗しちゃったな………」
宗ちゃんが自嘲する様に呟いた言葉は、俺に宗ちゃんの本質を思い出させるには充分すぎた。
――――――そうだった。
宗ちゃんは怖い人間だった。
俺には計り知れない様な酷いことをいとも簡単にやってのける人。俺、何を呑気に同情なんかして、宗ちゃんの言いなりになってるんだろう。
もう俺の伝えたい事は伝えたんだから。結局嫌がらせをやめてくれるってはっきりは言って貰えなかったけど、でも、だからってここでこうして宗ちゃんのペースに巻き込まれてちゃいけない。今までの経験から言って、よくない事になるに決まってるんだから……。
「愛由」
急にペースを上げてステーキを食べ始めた俺に、宗ちゃんが呼び掛ける。ただ名前を呼ばれただけなのに、俺の肩は大袈裟なくらいびくつく。
他の誰が聞いたって、きっと分からないくらいの声色の違い。
でも、俺は分かる。分かってしまう。
それが咎める様な声色だったこと。支配的な、冷たい声色だったこと。
それは、少し機嫌が悪いとき。お仕置きだと言って憂さ晴らしみたいに叩く為に俺を呼ぶ声そのものだった。
俺は身体がカチコチに固まってしまって逃げ出すことも出来ず、ぎこちなく目線だけを宗ちゃんに向けた。
「ちょっと見て欲しいんだけど」
宗ちゃんは、何の脈絡もなく俺にスマホを差し出していた。
咎められる前に。怒鳴られる前に。俺は無意識に命令に従って手を伸ばし、それを受け取ってしまう。見なければ、よかったのに………。
―――――――――。
頭の中が真っ白になって、息を飲んで言葉を失う。
「綺麗な子だろ?美咲ちゃんって、言うんだ」
そう。
渡されたスマホには、宗ちゃんと由信の彼女の美咲さんが並んで写っていた。とても仲睦まじそうに………。
「な……んで………」
「安心して。その子とはまだ何でもないよ。けど俺って寂しがりなんだ。一人ではいられない性分なんだよ。何が言いたいか、分かる?」
―――美咲さんに手を出すつもりか……!
「だめ!彼女はやめて!」
「はは。愛由かわいいなぁ、妬いちゃって」
「そうじゃなくて……!」
俺は、気が動転していたせいでバカ正直に由信の彼女だからって言おうとして、でもすんでの所で口をつぐんだ。
99%知られてる。けど残りの1%を自分で潰してどうする。けど………。
「愛由の選択ひとつで、愛由の大切な由信は地獄に落ちるね」
俺にしか聞こえないくらいの低い声。それに、俺の1%の希望は、一瞬で砕かれた。
「………卑怯だ……………」
声が震える。怒りと絶望感に、目の前が歪む。
「俺の事、好き?」
「……………」
「答えてくれないんだ。寂しいな………」
それは……………あんまりだ………………。
宗ちゃんから与えられる選択肢なんて、俺にとってはあってないようなものじゃないか。だって、ひとつは由信を不幸にするものでとても選べない。でも、もうひとつは俺を…………。
「あれ、目が赤いね。そんなに妬いちゃったの?ごめんね」
宗ちゃんは勝ち誇って愉快そうだ。
早く逃げればよかったのに、モタモタしてるから。宗ちゃんが怖い人間だってことは充分すぎる程身に染みていた筈なのに………。
「大丈夫。愛由が俺の傍にいてくれるなら、俺は余所見したりしないから」
…………いや違う。
「ねえ愛由。俺達仲直りできて嬉しいね」
早く逃げてれば、なんてそんな甘い問題じゃない。宗ちゃんは初めから、遅かれ早かれ俺をこうして罠に嵌める気だったんだ。結局俺は、逃げている間も今も、宗ちゃんの手の中で転がされていただけ…………。
「何とか言ってよ愛由。俺、寂しいよ?」
「……………もど、る……から………」
何度も追い討ちをかけられて漸く決意して出した声は、酷く掠れていた。
こんな筈じゃなかったのに………………。
「うん、知ってる。それよりさ、もっと愛由の熱い想いを聞かせて欲しいんだけど」
卑怯者だとか、異常者だとか、そんなんでいいならどれだけでも言える。
「もー、愛由は鈍感だなあ。………俺は、愛由の事大好きだよ。愛してる」
宗ちゃんは、催促するみたいにニヤニヤしながら俺をじっと見た。
…………こんなの、脅して無理矢理言わせて一体何になるって言うんだろう………。
「俺も……すき………あいしてる………」
「そんな小さな声だと、俺余所見しちゃうかもだけどいい?」
「だめ………!」
「愛由だけを見ていて欲しいの?」
「………俺、だけを………」
「じゃあもっとちゃんと言って」
「………あいしてる!俺だけを見て!」
いい加減嫌になって投げ槍に言ったら、周りからクスクスと笑い声が聞こえてきてハッとした。少し声が大きくなっていたのかもしれない。
「分かってるよ。浮気なんかしないから、心配しないで」
微笑みを浮かべた宗ちゃんが、俺の言葉の理由を周囲に説明するみたいにわざと声のボリュームを上げたのが分かる。
………これじゃあまるで、俺が宗ちゃんを独占したがってるみたいじゃないか………。違うのに………。言わされてるだけなのに…………。
「それじゃあ確認。愛由は、今日何しにここに来たのかな?」
宗ちゃんが楽しそうにニコニコしてるのに反比例して、俺はどんどん無気力になっていった。
逆らっても無駄だ。反抗しても意味はない。考えたって逃げられない。だったら―――――。
「…………仲、直り………」
「ほらね、俺の言った通りになったでしょ?」
………こうやって全部、宗ちゃんの思う通りにさせられて………。
「最後にもうひとつ。俺と愛由はどういう関係?」
「…………こい、びと………」
「正解。これで元通りだね。今日からまた、よろしくね」
………また、暴力と恫喝に怯える生活に逆戻り…………。
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