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新しい家
「ありがとうございました」
「お幸せにー」
店の人やお客に暖かく見守られながら、俺達は店を出た。
俺の手には、食べきれなかったホールケーキの箱。ご丁寧に、残したプレートがまた乗っかっている。
「まるで結婚式みたいだったよね。そうだ、ケーキ入刀みたく、二人でナイフ入れればよかったなあ。失敗した」
まだ外向きの顔を崩さない宗ちゃんは、片手に大きな花束を持って、俺の腰にもう片方の手を回した。向かう先は、宗ちゃんの車が停まっている駐車場。
家になんて絶対に行かないって思ってたのに、蓋を開けてみれば結局これだ………。
助手席に座らされて、やっぱり宗ちゃんはシートベルトをせずに、駐車場で出す速度じゃない速さで車を発進させた。
「参ったよ本当に」
宗ちゃんの口調が変わって、俺は身体を強張らせた。
「愛由はもう野良猫じゃないんだから。俺の飼い猫。分かってる?」
「………わかってる」
「わかってるのに、どうして他の男の家にフラフラ行ったりするかなあ?俺がどれだけ心配したか………」
「ごめんなさい………」
「本当はね、俺物凄く怒ってるんだよ。でも、愛由がこうして自分から戻ってきたのに免じて、こんな風に優しくしてやってんだぞ」
「………わかってる」
「あの別荘でしたみたいに本気で痛め付けてやりたいのを我慢して、愛由が戻って来やすい様にあそこまで演出してやったんだよ?凄いよね、俺って。心が広いよね。そう思わない?」
「………うん……思うよ……」
「それなのに恩知らずな愛由はまた逃げだそうとするしさぁ。ほんと、あの時はぶん殴ってやろうかと思ったよね。俺の恋人なら、もっと素直になってくれないと困るんだけど」
「………ごめんなさい」
俺と宗ちゃんの関係性は、瞬く間に前と同じに戻った。
宗ちゃんの口調はまだ穏やかだけど、それでも言葉の端々に大きなトゲを含ませて俺を威嚇する。俺は蛇に睨まれた蛙みたいに小さくなって、宗ちゃんを怒らせない返答をする事しかできない。
この調子なら、宗ちゃんはきっと前と何も変わってない。俺の扱いも、きっと………。
車はどんどん宗ちゃんの家に近づいていく。
家に着いたら本当に殴られるかもしれない。車内という逃げ場のない密室で責められ続けるのも苦痛以外の何物でもないし、相変わらず荒い運転も怖いけど、それでも家よりはやられる事が限られている分まだマシだ。
あれ……?と思ったのは、いつもなら右折する筈の交差点を車が直進したから。
「あーそうそう。愛由と住むために、新しく家を借りてあるんだ。前の部屋は今月末で引き払うから、今度荷物の整理に行かなくちゃね」
俺が不思議な顔をしたからか、宗ちゃんがそう言った。
引っ越すって事か………。
俺にとっては場所がどこになろうと関係ないって思った。大学から遠くなれば少し不便にはなるけど、それでもどこへ行っても宗ちゃんと暮らすことに変わりないなら、どうせ地獄だって。
連れていかれた先は、お屋敷みたいな所だった。家の周りはずらっと高い塀に囲われていて、まるで要塞だ。
宗ちゃんが何か操作したら、大きな門の隣にあるシャッターが自動で上がって、そのまま車は敷地内へ入る。
「ここね、元々ヤクザさんが住んでたらしくて、セキュリティが凄いんだ。窓は殆ど防弾仕様なってるし、防音もバッチリ。地下室もあって、仕事場からも遠すぎない。俺達が暮らすのに理想的な家が、ようやく見つかったんだよ」
宗ちゃんは声を弾ませている。
……防弾ガラスに防音に地下室って、一体どういう目的で理想的なんだろ………。
………考えない方がいいと思い直して、俺は家の前に車が停められるのをただ静かに見守った。
敷地に比例して大きな家は、それだけで威圧感がある。ベージュの塗り壁とグレーのタイルで交互にデザインされた外観は重厚感もあって、押し潰されそうだと思った。
車が通ってきたのはアスファルトで舗装された道だったけど、それ以外の部分の殆どは芝生が青々と繁っていて、家の向こう側には背の高い木が何本も植わっている。家の玄関から外の門までの道には、赤茶色のレンガが緩く曲がりくねりながら敷いてあって、ともかく俺の分かる言葉で言えばここは間違いなく豪邸だ。生まれも貧乏で、今も極貧の俺にとっては、縁のない場所。縁が無さすぎて、憧れる事すらなかった。テレビの中とかの、別次元の人が住んでる様なこの家に、今日から俺は宗ちゃんと住むんだ…………。もうボロアパートにも、土佐の家にも戻れない。きっともう俺は、ここから逃げられない………。
これからはここで、宗ちゃんにいかに機嫌よくいて貰うかを毎日毎日考えて、それでも毎日毎日怒鳴られて、叩かれて、好きでもないのに好きって言わされて、したくないのにセックスさせられて………。
………あ。だめだ。
頬に生温いものが伝う。
考えない方がいいのに、考えるから………。
「着いたよ」
泣いてるのが、宗ちゃんにバレる。怒られるかもしれない。早く泣き止まないと。…………なのに、涙が止まらない…………。
「愛由……?」
窓の外を眺め続ける俺を不審に思った宗ちゃんに、強引に頭の向きを変えられる。
「なんで泣いてるの?いい家なのに」
宗ちゃんはやっぱり不機嫌になった。涙は止まらない。
「宗、ちゃん………」
感情と共に、言葉も決壊したみたいだ。怒られたくなくて飲み込んだ沢山のこと。それが、次から次に………。
「俺、もどる、から……。もう、逃げたり、しない、から………。だから、お願い。せめて、優しく、して………。もう、殴られたり、する、のは、いやなんだ………。お願い、宗ちゃん…………」
怒鳴られるのも、殴られるのも、鞭で叩かれるのも、普通の部屋着を与えられないのも、乱暴に貫かれるのも、泣く程嫌だ。
それがなければ、優しくされるなら、好きでなくても好きと言うし、思い込む事だって可能かもしれない。
いつしかそれが努力した思い込みじゃなくなって当たり前になったら、俺にとっても宗ちゃんにとっても幸せでしょ………?
「………そうか。愛由は、痛いことされるのが嫌で逃げ出したんだね」
俺は頷いた。本当に嫌なのは、好きでもないのに恋人を強制される事自体。けど、それは覆らないから。だったら、せめて優しくされたいから。
「俺もね、少し『鞭』が多すぎたなっては、思ってたんだ。でもさ、俺だけのせいじゃないよ。愛由が俺に逆らって、俺を怒らせる様な事をするから悪いんだろ?」
「………ごめんなさい。俺も、気を付ける、から………」
「分かったよ。俺だって、好きで愛由を殴ってた訳じゃないから。俺はただ愛由と仲良くしたいんだ。俺が愛由としたい事………わかるだろ……?」
宗ちゃんが意味あり気に言って、まだ着けたままだった俺のシートベルトを外すと、顎に手をかけた。
上を向かされた俺の唇を、宗ちゃんの唇が覆う。
宗ちゃんの舌が、俺の舌を探る。宗ちゃんが折角殴らないと言ってくれたのに、その機嫌を損ねたくない俺も、懸命に舌を伸ばして宗ちゃんのと絡める。何度も角度を変えて唇が合わさり、その度に色んな角度から舌を絡ませ合う。
「………愛由も、俺としたかったんだ」
俺のキスは合格だった様で、宗ちゃんは嬉しそうだ。
俺は、俯いた。本当は、したいって嘘をつくのが辛いからだったけど、多分今なら、恥ずかしがっているみたいに見える筈だ。
「早く中に入って続きしよう」
案の定、宗ちゃんは不機嫌にはならなかった。
促されて車を降りると、まだ外は明るい。夕方にすらなっていない。こんな昼間から、宗ちゃんとしなきゃいけない。嫌だって顔を、隠して。
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