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敗北 1
「絶対帰ってくる」って言ってた及川は、午前中に出掛けたきり、昼になっても夕方になっても戻らなかった。心配で何度か送ったLINEは既読すらつかないし、堪らずかけた電話にも出て貰えなかった。やっぱり俺がついていくべきだった………。今更後悔してももう遅くて、俺には及川が無事に戻ってくる事を祈って待つ事しか出来ない………。
夜9時に差し掛かった頃だった。
玄関のチャイムが鳴って、俺はもしかしてと期待に足を急がせてドアを開いた。
そこに立っていたのは、天城先生だった。
なんだ……とがっかりしかけたとき、天城先生の後ろに、俯いた及川の姿を見つけた。
「及川!」
よかった!戻ってきた!何故か朝出ていった時と服装が違っているけど、見たところ怪我とかもしていなさそうだ。何で天城先生が一緒なのかは分からないけど、まずは及川が戻ってきたという事が重要だ。
「大丈夫だった、」
「土佐君、随分長い間、愛由が世話になったね」
俺が及川に声をかけようとしたのを天城先生が遮った。
「愛由は家に戻ってくる事になったから、荷物を引き取りに来たんだ」
「え……」
戻ってくる事に、って………?
俺は天城先生の後ろにいる及川を見た。及川は、さっきと同じだ。小さくなって俯いている。
「あの、どういう事ですか?」
何となく、及川が怯えている様な感じがして、俺は天城先生に詰め寄った。荷物を取りに来たって、家に戻るって、つまり、及川を連れていくって事かって繋がったら妙に苛立った。
「ああそうか。まだ愛由から聞いてないんだね……」
「何を……」
勿体振った天城先生の言い方が鼻につく。そんな俺の感情を逆撫でする様に、天城先生がクスクスと笑って言った。
「今は先生と生徒の関係だから、愛由も言い出しにくかったのかな。確かに言い触らされたら困るけど、土佐君には話すのが礼儀だと思わない?」
天城先生は及川を振り返った。途端、ずっと下を見ていた及川が顔を上げた。
「土佐君に、話そうね」
天城先生に言われて、及川が頷いた。
漸く及川の顔が見えたのだけど、その視線はどこか虚ろで、頬はどことなく紅潮して見える。
「土佐……。俺…………本当は…………」
たどたどしく及川が言う。言葉を途切れさせて俯いた及川が震えて見えたから、俺は心配で及川に寄ろうとした。それを、然り気無く俺の進路に移動した天城先生妨害した。気がした。
「愛由」
「………俺……と、宗ちゃんは………付き合って、るんだ………」
天城先生に促されて及川は一瞬ビクッとした。その事も気になったけど、後に続いた及川の言葉に、頭を横からパーンと殴られたかと思うくらい衝撃を受けた。
まさか、本当に…………。
及川が誰かと、ましてや男と付き合ってるとかそんなの全然ピンと来ないのに、「嘘だ」って言えないのは、ちょっと前に抱いた疑惑の点と線が繋がってしまったから。
「そういう事なんだよ。仲良く一緒に住んでたんだけど、少し前に些細な事で仲違いして、愛由が臍を曲げて出ていってしまってね。けど、今はこの通り。仲直りしたから、俺の家に戻って来る事になったって訳。こんな下らない事で土佐君には随分と迷惑をかけてしまって、悪かったね」
「え……、じゃあ及川、家賃払えなくて追い出されたってのは………」
「愛由、そんな事言ってたの?嘘だよ、全部」
俺は及川に聞いてんのに………。
「及川、嘘……だったのか?」
及川は視線だけを上げて俺を見たけど、気まずそうにすぐ視線を逸らすと、小さく言った。
「ごめん……土佐………」
嘘だったんだ……。
いつからか知らないけど、及川は天城先生と暮らしてて、高級なシャンプー使って、高いブランドの服プレゼントされて、本当はいい暮らししてたんだ。及川は金欠で大変な思いをしてるって同情してた俺がバカみたいじゃないか。ただの、痴話喧嘩だったなんて………。
「これ。少ないけど、受け取ってくれる?」
天城先生から差し出された物を、俺は呆然としたまま受け取ってしまう。その封筒の中身は、お金だった。10万円くらい、入っていそうな。
「こんなの、要らない!俺はそんなつもりで及川を泊めてた訳じゃないし……!」
俺は封筒を突き返して、また及川を見た。けど、及川はまた俯いていて視線を合わせられない。
「それでも、受け取って欲しい。俺としては、身内が世話になったけじめをつけないと気が済まないから。……ねえ、愛由」
天城先生がそう言って振り返ったら、及川はまたぱっと顔をあげた。
「土佐、ごめん……。受け取って………」
及川にそう言われて、俺は力がヘナヘナと抜けていくのを感じた。
及川も、天城先生の事身内だって認めてんだ。俺にはずっと遠慮しきりだったのに、10万くらいぱっと出させるくらい、天城先生に甘えてるのかって思ったら………。
天城先生は、玄関の下駄箱の上に封筒を追いた。俺はそれに気付いたけど、もう突き返す気になれなかった。
「それじゃあ、愛由の荷物を貰ってもいいかな」
「………俺じゃ分からないんで」
及川の荷物は極端に少ない。だから、本当は俺でも分かる。けど、何にでも及川の代わりに返事する天城先生のいない所で、及川と二人で話したいと思った。何で嘘ついたりしたんだ。俺は信じて、本気で心配してたのにって、抗議しないと気が済まなかったし、言い訳があるなら聞きたかった。
「………じゃあ愛由、取っておいで」
俺のシナリオ通りに事が進みそうで、天城先生とのこのやり取りで初めて主導権を握れた俺は、漸く気力がみなぎってくるのを感じた。それなのに………。
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