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傷つける

岩崎とのやり取りのせいで昼の弁当を食べそびれたから、4講目が終わってから教室を移動する前に急いで食べることにした。 毎日宗ちゃんに感想を聞かれるから、食欲がなくても食べない訳にはいかない。何より次は宗ちゃんが来るゼミだ。その時に何か聞かれたりしたら困る。 「及川昼休みどこにいたんだよー?」 ちょうど食べ終わった時、通路側から声をかけられた。土佐だ。けど、俺は振り返らない。聞こえない振りをして、弁当を片付ける。 「次ゼミの教室一緒に行こーぜ」 「…………」 「おーい及川、無視すんなってー!」 土佐は今度は前の席に回って、椅子を跨いで座ってこっちを見ている。 「及川最近弁当だよな。自分で作ったん?」 「…………」 「あ、宗ちゃんか。にしても天城先生って何でもできんだな。感心すんなぁ……」 喋ったら、宗ちゃんが傷つく。凄く、痛かった。 「なー及川ー。なんか怒ってんの?流石に俺傷ついちゃうぜ?」 傷つく……。そう言われてドキッとして思わず頭を上げてしまう。顔を上げた先にあったのは、土佐の笑顔だった。 「よーやくこっち見てくれた。あ、ちょっと顔色わりーな。風邪でも引いたか?昨日休んでたろ?俺ラインしたのに、無視すんなよなー、心配してたんだぜ?」 目を合わせていたらいけないのに、目が離せない。だって、全部が凄く優しいから………。 「あれ?及川、また泣いてる……?」 土佐が呟いたから、俺は慌てて頬に手を触れた。濡れてない。泣いてない。 「やっぱり、泣いてるんだ……」 「泣いてない!」 話しちゃだめなのに、思わず答えてしまった。でも、そもそも話し掛けられる事自体ダメだと言っていたから、どっちにしろ今日も宗ちゃんに鞭をお願いしないといけないんだ………。 「なあ及川、お前今幸せ……?」 しあわせ―――――。 深く考えちゃいけないと思った。 俺は土佐から目を引き剥がすと席を立った。 「待てよ及川!」 後ろから土佐が追いかけてくる。だめなのに、喋れないのに、どうして。 ゼミの教室が近づいてくる。早足で歩く俺の後ろには相変わらず土佐がいて、このままじゃ宗ちゃんに見つかってしまう……。 「土佐」 俺は土佐を振り返った。この裏切りは、どのくらい鞭打たれれば許されるかな……。 「及川、」 「もう、俺に話しかけないで」 「……は?」 「ゼミの時隣に座ったりもしないで」 土佐は目と口をぽかんと開いてぽけっとしていたけど、伝えたい事は伝えた。土佐と喋れば喋るほど罰は増えるのだから、俺はすぐに踵を返した。 「ちょっと待てよ!」 それなのに、土佐に手を掴まれる。もう俺は前を向いているのに、進めない。 「及川、何、それ。何で?」 土佐の声は、少し切羽詰まっている様に聞こえた。それで、俺は漸くはっとした。 土佐を傷付けた。 けど、土佐と話す事は宗ちゃんを傷付ける事でもあって、それは俺が叩かれる事とイコールで……。 「何とか言ってくれよ、及川」 「傷付ける、から」 土佐の懇願する様な声色に、俺は反射的に振り返って、誤魔化す事もできずに。 「傷付けるって……はぁ?」 土佐が眉を顰めて首を傾げた。 「土佐と、話すと………」 「俺と話すと……?」 土佐は俺にその先を促している。けど、言えない。「宗ちゃんが」の一言が。 「………なあもしかして、天城先生がってこと?」 俺が言わなくても、土佐は答えに辿り着いた。俺は小さく頷く。俺が土佐を避けなければいけない理由に、納得して貰えたら、きっともう土佐は傷付かない。 「え、それって、及川が自分でそう思ったの?それとも天城先生に言われたの?」 「宗ちゃんから……」 バカ正直に話したけど、宗ちゃんを傷付けた分、俺も同じだけ傷付かなきゃいけないことは土佐には内緒だ。土佐は、きっと岩崎とは違って本気で心配すると思うから。 「ふーん。……俺と話すなって言われたの?」 土佐とだけ?……いや、違うと思う。だって道端で知らないサラリーマンとぶつかった時だって怒られたし、宗ちゃんは俺を、他の誰とも関わらせたくないのだ、きっと。 「土佐だけじゃない」 「よっしーも?」 「違う。みんな」 「みんな?みんなって……はあ?」 土佐がまた理解不能って顔をした。こういう反応をされると、軽蔑されてるんじゃないかって不安になるから嫌だ。けど、土佐は育ちがいいから。愛される事を普通に知ってるから、話せば分かる筈だ。   「土佐だって、彼女が他の男と親しくしてたら腹……傷付くだろ?」 思わず「腹立つ」って言いそうになったけど、違う、そうじゃない。宗ちゃんはあくまでも傷付いていたんだから。そう、言い聞かせる。 「いや、別に……傷付くっていうか、彼女の事はそんなに………」 土佐は少し目線を横へやって、それからまた口を開いた。 「けど、好きな奴が他の奴を見てたら、やっぱり面白くないっては思うかな……」 土佐は少しバツが悪そうだ。 俺はもしかして……って思った。 「土佐もそうなんだ」 俺は世間知らず過ぎて宗ちゃんがおかしいってばかり思ってたけど、一般的に男は女に多少暴力を振るってでも支配したいものなのかもしれない。俺は男で頑丈だから、宗ちゃんもあれだけの事をするのかも……。 「え、そうって、何?」 「面白くないって事は、むしゃくしゃしたり不機嫌になったりするんだろ?」 「いや、まあそりゃ、上機嫌にはならねーけどさ……」 「うん、よかった。安心した」 いっぱい喋ってしまったけど、でも、宗ちゃんがちょっと度が過ぎるにしても、根本的には土佐と同じって分かった事は大きな収穫だ。俺は宗ちゃんを好きにならないといけないんだから。 俺が踵を返すと、また土佐が後ろから「待てよ」って言ってきた。もうすぐ講義が始まる。宗ちゃんが来る。 「俺の傍に座らないで」 俺は振り返らずそれだけ言って、足早に教室に入った。一番目立たなそうな端っこの真ん中の席に座る。土佐は、前の方に座ったからほっとした。由信も、前の方に岩崎と座っている。

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