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Nursery Story 1

まるで要塞のような屋敷に帰宅して、俺がすぐにやることは、宗ちゃんに指定された部屋着に着替えること。それは大抵は大きめのシャツ一枚。けど、今日は特別な指示があった。 「ダンナサマ……」 片言の日本語で帰ってきてすぐの俺にそう話しかけてきたのは、夏休みが明けてから宗ちゃんが雇ったフィリピン人のメイドだ。 「シャーリーン、言ってるだろ。俺は旦那さまじゃないって……」 「ソーリー、サー………コレ……」 これ……と差し出されたものは、水色のワンピースと、フリルのついた白いエプロンみたいなものだ。また、メイドの格好か……。 「うん、分かってる。今日はこれを着ればいいんだね」 「オネガイシマス」 シャーリーンは、俺とは目を合わさずに言うと、すぐに俺に背を向けた。 彼女はいつもこんな感じだ。俺とも、宗ちゃんとも目を合わそうとしない。だから、多分別に俺を気遣っている訳ではない。男なのに、こんな格好をさせられる俺の屈辱に配慮した訳ではない。だって、シャーリーンはきっと俺と宗ちゃんの関係を知ってる。そうだ、この間は宗ちゃんの精液を玄関に溢してしまって、それを掃除して貰ったんだった。シャーリーンだって年頃の女の子なのに、そんなことさせられて、俺達のおかしな関係や、おかしなプレイだって見聞きさせられて、挙げ句に掃除やら洗濯やらもさせられて可哀想に……。 わざと、自分の事はあまり考えないようにした。……けど、それでも洩れ出るため息は隠しようがない。 ―――こんな衣装、宗ちゃんはどこから調達してくるんだろう。……と言うか、いつも思うけど、俺にこんな格好をさせて一体何が楽しいのかな……。 「あ………」 無心に無心にと言い聞かせながら手早くワンピースを被り、エプロンの紐を結び終えた直後。何気なく部屋の姿見に写った自分を目にしてしまって、俺は絶句した。 ―――思い出したくない記憶が荒波の様に押し寄せる。 おじさん達の獣のような息遣いやにおい。ニタニタと笑う口元に、舐め回すようなイヤらしい視線。 クラクラしてきて目を瞑る。鏡に写った自分も、これを着ている自分も、この目に入れたくなかった。今着ている服が、あの時よく着せられていたものに酷似しているから――――。 鏡を遠ざける様にフラフラと部屋を出たところで、丁度シャーリーンと出会した。シャーリーンは、気が抜けていたのだろうか。いつもわざとらしく逸らされる視線はしっかりとおかしな格好をしている俺に向けられていて、「Alice in wonderland……」と呟いた。 「アリス……?何、それ?」 俺が問いかけると、シャーリーンは慌ててまた視線を逸らして、ソーリーと言ってそそくさとそこから立ち去ろうとした。 「待って。ね、少し話さない?」 「ゴメナサイ」 「頼むよ。忙しいなら手伝うから」 「I'm so sorry……」 「どうして?宗ちゃんに怒られるから?」 「ワタシ、メイド。ユー、ダンナサマ」 だから、俺はダンナサマじゃないって言ってるのに。 「俺はシャーリーンの雇い主じゃないよ。それに、ほら見てよ。こんな馬鹿げた格好までさせられて。俺なんてメイド以下の立場だよ。見てたらわかるだろ?」 日本語で言ったけど、イマイチ伝わっていないみたいだから、同じ事を片言の英語で言ってみた。シャーリーンは俺が英語を喋った事に驚いたみたいだった。目を丸くして、そして英語で返事をした。 「けれど、貴方は旦那様のパートナーです。メイドの私から見れば貴方は奥様で、とても立場の違う方です」 シャーリーンから『madam』と言われて、目眩がしそうになった。パートナーはまだ分かるけど、マダムは流石にやめてほしい。 それにしても、フィリピンのメイドは凄い。教育が違うのか、多分目を合わそうとしないのも、メイドのしきたりなのだろう。けど、俺は今どうしてもシャーリーンと話がしたかった。久々に昔を思い出してどんよりと曇った心を晴らしたかったし、それに―――。 宗ちゃんが帰ってきたら、俺はまた地下室で折檻される。今日も土佐と喋ったから。それをゼミの教室に向かう途中の岩崎が見ていたのも知ってる。だから、俺は宗ちゃんを傷付けた罰を受けなきゃならない。 覚悟はしていても、あの痛みを思うと怖くて堪らない。一人でいたら、宗ちゃんの帰りを怯えて待つばかりだ。そんなの耐えられない。 「じゃあさ、シャーリーン。『奥様』からの命令。俺と喋ろう。仕事の邪魔はしないし、俺にできることは手伝うから」 シャーリーンは、困った顔をした。けど、命令と言われれば逆らえないのだろう。迷いながら、Yes sir.と言ってくれた。 シャーリーンが洗濯したり、掃除したりする隣を、フリフリのバカみたいな服を着た俺がついて回って、英語でポツポツと会話をした。俺の発音や文法が怪しいから、たまに聞き返されたり違った意味で捉えられることもあったけど、片言の日本語を使うよりもよっぽど会話は弾んだ。 その中で、シャーリーンは俺に、『チャーリー』と呼んでいいと言ってくれた。所謂ニックネームだ。チャーリーは18才で、俺と同じ年だった。兄弟が沢山いて、その生活費や学費を稼ぐために日本に来たんだとか、そんな身の上話も聞かせてくれた。 これまで、機械みたいに冷たく見えていたチャーリーは、当たり前だけどちゃんと人の血が通っていて、俺と宗ちゃんの妖しい関係性を匂わす事を言うと……例えば、汚ないもの掃除させてごめんとかって言うと、恥ずかしそうに頬を赤らめさせたりもした。

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