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Nursery Story 2

「旦那様は厳しい方ですね」 1時間も話せば大分打ち解けてくれたチャーリーが、俺の事を哀れむ様にそう言った。 「…………チャーリーはどこまで知ってるのかな、俺と彼のこと……」 「見たまましか知りません。二人が恋人であることは分かりますが、旦那さまは優しい時もあるけれど、奥様に手厳しく接していることの方が多いように思います」 もうだんだん『ma'am』と呼ばれる事に違和感がなくなってきた。 そもそも、俺は自分の名前だって嫌いだった。変わった名前で目立つのも嫌だけど、何よりも嫌なのは、母親が女の子が欲しくてつけた名前だからだ。俺は、産まれたその日から、存在を否定され続けてきた。この名前はそれを、まざまざと見せつけられる様な気がして、嫌いだった。 けど、そんな嫌いな名前も、意識しなければただの記号みたいに感じられる様になった。だから、チャーリーの言う『ma'am』もそれだ。俺を表すただの記号。 「でも、俺が悪いんだよね。俺が、彼を傷付ける様なことをしちゃうから。……今日もね、俺多分ぶたれると思う。彼が傷ついた分、俺も傷つかないといけないから」 「日本では、そういうのが普通なのですか?」 「そういうのって?」 「旦那さまが奥様を叩くことです」 「………わからない」 ―――本当に、土佐も彼女に暴力振るったりするのかな……。 「……チャーリーはどう思う?」 「私は…………おかしいと思います」 チャーリーの曇りのない瞳に射られる様な感じがして、俺は堪らず視線を逸らした。 ……ああやっぱり。やっぱり俺と宗ちゃんの関係は一般的じゃないんだ。第一、土佐が彼女を、大事な人を殴るはずないじゃないか。俺、何考えてたんだろ………。 知りたくなかった。気づきたくなかった。思い込んだままでいたかった。なら、第三者の意見なんて聞かなきゃよかったのに。 ―――いや、俺だって、ちょっと前まで知ってた筈だった。こんな風に殴られたり、セックスを強要されたりするのはおかしいことだって…………。 「奥様、大丈夫ですか?」 「……ねえ、さっき言ってたのって、何?」 考えるのが辛くなってきて、チャーリーの問いには答えず無理矢理話題を変えた。何しろ日本人じゃないチャーリーは、空気を読むって事を日本人程しないし、ズバッと物を言う。そこに救われる部分もあれば、そうでない面もある。 「何の事ですか?」 「ほら、さっき俺の事見て何か言ったろ?アリスがどうのって……」 a-ha!と合点がいったらしいチャーリーが、ついてきてくれと言った。チャーリーは住み込みではないけど、宗ちゃんから休憩室を与えられている。どうやらチャーリーはその部屋に俺を案内する様だ。 「これですよ」 チャーリーに渡されたのは、カラフルな洋書だった。題名を見ると、『Alice in wonderland』と書かれている。 「奥様が、その主人公の女の子みたいに見えたんです」 表紙の女の子……を見たら、黄色い髪に、水色のワンピース。そして、白いフリフリのエプロン。正に俺が今してる格好。そして、昔させられていた―――。 「これ、有名な本なの?」 「ええとても。奥様は知らないのですか?」 そうか。あの頃も、俺は有名なおとぎ話のコスプレをさせられていたんだ。何も知らなかったのは俺だけ。知っていた所で特に意味もなければ救いにもならないけれど。 「チャーリーはこの話が好きなんだ」 「ええ……と言うより、私はnursery storyが好きなんです。読んでいると母国の母を思い出すから……。だから、家から色々持ってきて、休憩時間に読んでいるんです」 チャーリーは鞄の中から他にも児童書っぽい本を出して見せてくれた。その中のひとつ、『Snow White』を手にとる。 「そのお話は流石に知っているでしょう?」 「スノーホワイト……」 知らないけど、何となく聞いたことがあるような気がして、表紙を開いてみる。 児童書なだけあって、俺の英語力でも中身は大体理解できた。美しいが為に嫉妬されて毒リンゴを食べさせられた可哀想なスノーホワイトが、王子様のキスで目覚めるという話だ。 「スノーホワイト……」 もう一度声に出してみる。白雪………。シラユキ…………。シラユキヒメ…………! 「ねえ、これってシラユキヒメなの?」 「シラユキ………日本ではそう呼ばれているのですか?」 日本人じゃないチャーリーに聞いて分かるわけなかった。けど、きっとこれがシラユキヒメだ。間違いない。 宗ちゃんが俺に言っていた、シラユキヒメ。それを思い出した途端、瞬時にあの頃の気持ちも思い出してしまった。 好きじゃないって言ったのに、断ったのに、それでも俺に何度もキスを仕掛けてきた事。そして、薬で眠らせて俺の身体を勝手に触っていた事………。 あの時覚えたおぞましい感情と憤りがリアルに甦る。そして、その後陥れられた事、俺の人生を壊された事だって…………。 これまで忘れようとしてきた感情が、一気に雪崩の様に押し寄せてくる。そして、必死に思い込ませていた物を壊していく―――。 「もうすぐ旦那様が帰ってくる時間です」 チャーリーは壁の時計を見て、不安そうな表情を浮かべた。 「あの、奥様。私と奥様がこのようにお話ししている事は、旦那様には内密に……」 「うん、そうだね」 分かってる。俺だってその方がいいって思ってる。宗ちゃんの嫉妬深さは、俺が一番知っているんだから。

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