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玉子焼き 1
「おはよ、愛由君」
昼休み後、午後からの講義を受けるために教室に向かう途中、朝でもないのにそう声をかけてきたのは岩崎だ。俺は視線だけ寄越して、何も言わずにその前を通りすぎようとした。
「昨日は殴られなかったろ?」
言われて、思わず動きが止まった。結局殴られたけど、あれは俺の自業自得だった。
「俺、チクんなかったぜ。お前が男と仲良さげにしてたら全部報告しろって言われてるけど、言わなかった」
やっぱりそうだったんだ。宗ちゃんは俺が土佐と話した事を知らなかった。だから………。
「なんで……」
「だってあれはないだろ、流石にさ。俺あそこまでの暴力は反対。傷、少しはよくなったか?」
岩崎に腕を取られて今日も着けてたバングルをずらされた。情けをかけられた事にちょっと驚いていて、逃げ遅れたのだ。
「……って、あれ、酷くなってんじゃん!」
バングルの下は、自分でもグロいと思うくらい赤黒くなっていて、岩崎がぎょっとするのも理解できる。
急いで腕を奪い取って、バングルを元の位置に戻す。
「なに、昨日またやられたの?」
「……お前には関係ない」
「関係あんだろ!だってまた俺のせい?俺の報告嘘だって勘づかれたんかな……」
「違うよ、俺がヘマしたから……」
「ヘマって?」
「泣いた理由が、言えなかった……」
なに岩崎相手に正直に話しちゃってるんだろ。頭の片隅で思ったけど、もう自分が弱りすぎていて、何でもないって突っぱねるのすら面倒だった。何も考えずありのままを話すのは、凄く楽なのだ。
「……なあ、お前、泣くほど酷いことされてんだろ。何で別れねえの?」
何で……?そんなの、別れられないからに決まってる。きっと、宗ちゃんは俺がどこにいたって見つける。例えそこが世界の端っこだとしても、地獄の果てまで宗ちゃんは追ってくるに違いないから。
「おいおい睨むなよ。そんなに好きなの?えーっと、宗ちゃんだっけ、彼氏?」
「好きじゃない」
「は?」
「好きじゃないよ」
*
俺の自覚は、岩崎に自分の気持ちを告白した時から強くなる一方だった。
あれから数週間が経った。一日一日が長く、苦痛の毎日だ。
土佐は俺が何度話しかけるなと言っても、懲りることなく絡んできた。
岩崎は本当に宗ちゃんに(と言うより美咲さんに)俺のことを告げ口するのをやめてくれたらしく、宗ちゃんからその事で咎められた事はない。別の事では毎日酷い折檻を受け続けているけれど。
「一緒にメシ食おーぜ、及川!」
土佐は犬のように嗅覚が利くのか、昼休みに俺がどこに逃げても探しだす。今日は、旧校舎まで逃げたというのに。
「お、及川の弁当今日もうまそーだな。けど、俺も今日は負けてねーんだ!」
土佐は能天気に俺の前に座ると、自分のでかい弁当箱をどんと机の上に置いた。中身は、いつも一緒だ。下の段にはご飯がぎっしり詰まってて、上の段はウインナーとか唐揚げとか、茶色い肉系のおかずで埋め尽くされている。
「あ」
自信満々に蓋を開けた土佐の弁当箱の中の茶色の中に、今日は黄色い彩りがあった。
「ジャーン、今日は玉子焼き入り!」
そう。形は悪いけど、ちゃんと巻かれた玉子焼きが入っている。いつもは冷凍物かウインナーしか入ってないのに。
「これ、ムズいのな。途中諦めかけて、スクランブルエッグってことにしようかと思ったぜー」
3回目で成功した、と土佐はニカニカ笑っている。
不格好だけど、茶色い中にあると一際目立ってなんかうまそ……。
「食う?」
気づいたら土佐が箸で掴んだ玉子焼きを俺の鼻先に突き出していた。
「え?」
「及川、うまそーって言ったじゃん。食ってみ!」
あれ。俺、心の声が出てた?
何にせようまそーな事に変わりはないから、口を開けて目の前の玉子焼きを頬張る。
「どう?」
「あま……」
「ん?」
「お前、これ甘過ぎ。お菓子みてー」
「えー、甘い方がうめーじゃん!」
土佐は玉子焼きをひとつ口に入れると、「これこれ」と頷いた。
「及川、しょっぱい派?」
「派ってなんだよ。玉子焼きに派閥があんのかよ」
「俺ん家は玉子焼きって言ったらこの味なんだよ。隠し味はハチミツなんだ~!」
ああそうか。それぞれの家庭の味があるから、派閥が分かれているのか。そう言えば、由信の家でおばさんが作ってくれた玉子焼きは、醤油の味が強かった。「色が悪くてごめんね」とおばさんよく言ってたっけ。
俺には家庭の味はないけど、3年弱醤油味の玉子焼きを食べていたから、それに慣れていたんだと思う。だから、土佐の玉子焼きにびっくりしたんだ。そう言う意味では、俺は今『しょっぱい派』なのかもしれない。
「な、もう一個」
「ん?」
「もう一個食わせろ」
あ、と口を開けると、土佐は何故だか嬉しそうに笑って、望み通り玉子焼きを食わせてくれた。
甘い。やっぱお菓子みてー。けど、嫌いじゃない……かも……。
「気に入った?」
「……まあまあ」
「そーか!じゃあ俺、明日から毎日玉子焼き作ってくる!」
土佐はまた嬉しそうにニカニカ笑った。俺はまあまあって言っただけなのに、張り切っちゃって変なやつ……。
「てかさ、何で俺に話しかけんの……」
元々学食か購買で済ませてた癖に、何でわざわざ弁当まで作ってきて俺と食おうとするんだ。俺、話しかけるなって結構酷いことも言ったのに。
「……なーんか、出会ったばっかの頃に戻ったみてーだな」
「は?」
「及川、あの頃もそーやって俺の事警戒してたよな。けど、結局は仲良くなれたろ?」
「…………」
今は、別に警戒してる訳じゃない。あの頃とは違う。全然、何もかも違う……。
「質問の答えも、あの頃の気持ちと一緒な。俺が及川と話したいから。一緒にいたいからだよ。悪いか?」
………悪いよ。いつ岩崎の気が変わって、いつ宗ちゃんに知られるか分からない。そうなったら酷い目に遭うんだ。今でも毎日痛いのに、それよりももっと酷い目に………。
けど、俺は「逃げる」という手段を使って1回しか土佐を拒絶しない。見つけられたら、もうそれ以上文句を言わないで、一緒に過ごす。それがどうしてかなんて、分かりきってる。俺自身がそうしたいからだ。土佐と話したいから。一緒にいたいから………。
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