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玉子焼き 2
「及川さ、趣味変わった?」
「あ?」
いきなり話題が変わって何だ突然って思ってる内にさっと腕を取られた。しかも………。
「!」
「このバングル、ゴツくて及川らしくねーなーって、」
「触るな!」
俺は慌てて土佐の手を振りほどいた。
手首を掴まれて土佐の目の前まで持っていかれた手の、バングル部分を繁々と眺められた上に、そのバングルに触れようとしたから。それをずらされたら、醜い縛られた痕が見つかってしまうから。
「えっ……と、ごめん……」
土佐は呆気に取られた様な顔をしていた。俺があんまり極端な反応をしたから。
土佐がごめんって言った後にちょっと寂しそうな顔をしたのが気になって、思わず俺も「ごめん」って呟く。
「……いやいや、俺が悪いんだって。大事なもんだったんだろ。……天城先生からの贈り物?」
「…………」
「最近いつもつけてるもんな、それと、時計も」
「…………」
「けどまー俺だったら、もうちっと繊細なやつ贈るかなー」
「…………」
「………って、ごめん。別に天城先生の悪口じゃねーよ?及川にはあんま似合ってないってだけでセンスいーし……って、これはこれで及川にしつれーか。あー、何て言えばいーんだ、もう………!」
土佐がテンパっている。俺はただ、宗ちゃんとの間の事はとても土佐に言える様な事じゃなくて、それで黙っていただけだけど、土佐は俺が気を悪くしたと勘違いしたらしい。
「俺も思ってる、似合わないって」
俺はこれ以上宗ちゃんとの事を突っ込まれなければそれでよかったから、別にそう勘違いされているままでもよかったけど、あまりに土佐が必死で可哀想だから、ちょっとフォローしてやることにした。だって土佐の言うように、このバングルも時計も、確かに俺に全然似合ってない。
「へ?……あ、ああ、そーなの……?」
「それに、別に大事じゃない」
「え。……じゃあ、何でいつもつけてんの?」
「…………」
「天城先生から貰ったから?」
墓穴を掘ったな、と思った時はもう後の祭りで、『傷を隠すため』という本当の理由を土佐に知られない為に、俺は土佐の問いを肯定する様に小さく頷いた。
「そっかぁ……」
土佐は静かにそう言って僅かに視線を落とした。
「……な、『宗ちゃん』の束縛、相変わらず?」
少しの間黙っていた土佐が、気を取りなおす様にまた明るい口調で言った。まだ宗ちゃんの事を聞くのかと、俺は少しウンザリした。土佐とこうしている時くらい、宗ちゃんの事は忘れていたいのに。
「あー、執着心強そーだもんな……」
土佐は俺の沈黙を肯定と取った様で、ちょっと嫌そうな顔でそう言った。
その土佐の視線が、俺の首もとにほんの一瞬だけ移動したのを、俺は見逃さなかった。
土佐は、俺に『ごめん』と謝ったあの日から、露骨に首の痕を見て嫌な顔はしなくなったけど、でも、「ムカつく」と言っていたあれは土佐の本心なのだ。土佐自身もそう認めていた様に。
「心配すんなって、ゼミの時は及川の言うように離れて座るし、話しかけねーからさ」
居心地の悪さに何も言えず俯いた俺に、土佐が慰めの言葉をかけた。俺が居心地悪い理由は、そんなことじゃ、ないんだけど。
「けどさ、及川辛くねーの?」
「え……」
「行動制限されて、息苦しくねーの?」
………苦しいよ。
けど、俺はまた何も言えなかった。嘘はつけないから、俯くだけで……。
「別に『宗ちゃん』のこと批判してる訳じゃねーけど、俺なら無理だなーと思って」
俺だって無理だ。もう苦しくて窒息寸前だし、身体もボロボロだ。
「……ごめんて怒るなよ」
俺が唇を引き結んで何も言えずにいるのを、土佐はムッとしてるんだと取ったらしい。眉を下げて情けない顔をして、俺の表情を伺ってる。
「玉子焼きもう一個やるから許して」
土佐はそう言って、また玉子焼きを俺の口元に差し出してきた。
バカじゃん。3回目でようやくできたって玉子焼き、4切れ入ってた分の3切れも俺に寄越して。
「……お前の分、足りなくなる」
「いーのいーの。どっちにしろ足りなくなって買い食いすんだ、俺」
相変わらず能天気で大食いの土佐は、箸を向けたまま「ほれ食え」と言わんばかりに俺を見ている。見当外れの事で俺を怒らせたと勘違いしたままの土佐が可哀想だから、食ってやることにした。
………あま。
「あのさ、ミスコンの話なんだけど……」
ミスコン……ミスターコンテストか。そう言えば前に出るとか言ってたっけ。
「間に合ったのか、エントリー?」
「おー。……てか、その調子だと及川何も知らない?」
ミスコンの動向を気にする余裕なんてなかったから、何も知らない。俺が首を傾げていると、土佐が苦笑した。
「やっぱ及川、俺に全然キョーミねーのな」
冗談で「興味あるか」って答えそうになったけど、土佐が少し寂しそうに見えたから、俺は茶化さず首を振った。
「んなことねえよ。で、何だよ。勿体ぶってないで教えろ」
言うと、土佐はまた苦笑した。
「俺さ、ファイナリストに残ったんだ」
「ファイナリスト?」
「そ。最後に選ばれた5人の内のひとり。その中でグランプリになったやつが、晴れてミスターになるんだぜ」
「ふーん……」
「なんだやっぱあんまキョーミなし?俺この大学で今ちょっとした有名人なんだけど」
「そーなんだ。すげえじゃん」
何人中の5人なのかもわからないけど、土佐の言い方からすると結構凄い事なんだろう。
土佐の言うように土佐に興味がない訳では決してないけれど、ミスコンとかの話は俺とは世界の違う話に思えて、まるでテレビの中の話みたいで、どうしても心がついていかない。土佐は目の前にいるけど、キラキラし過ぎてて俺にとっては遠い遠い世界の住人なんじゃないかと思わされる。
「……ほんと及川、昔に戻ったみてー」
土佐がため息混じりにぼそっと呟いた。
土佐の言う『昔』って言うのが、俺がよく懐古する『よかった』頃の俺ではないことは、その言い方から明白だった。
「は?」
俺は、土佐を睨んで苦し紛れに虚勢を張った。人並みに幸せだったと言えるあの頃が、今はこんなにも遠ざかっていることを客観視したくなかったのだ。
「……ごめんて。けど、何もかもどーでもよくてくだらねーって顔、最近よくしてるじゃん」
「…………は?」
本当は『もう言わないで』って耳を塞いで泣き喚きたいくらいだった。
けど、醜態を晒せない臆病な俺は、本心を隠した。また土佐を睨みつけて、精一杯虚勢を張ることで。
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