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命 3
その後も、及川の存在を確かに感じていたくて、俺は腕をほどかなかった。いや、ほどけなかった。
けど、もう二人とも無言になって結構経つ。いつもなら「痛い」とか「暑い」とか文句を言い出しそうな及川だけど、今は流石に俺に遠慮してるのか大人しく抱かれたままでいてくれてる。
及川がちゃんと生きてて、俺の腕の中にいる。それは、密着している上半身から伝わる体温からも充分伝わってくる。寧ろ、呼吸の度に生じる吐息や心臓の音まで感じられて、生きているってなんて尊いんだろうって、神聖な気持ちにすらなる。
けど……それにほんの少し邪な思いが混じる様になるまでにはそう時間はかからなかった。だって、さっきシャワー浴びてきたばっかの及川、いい匂い過ぎるし……第一、好きな子抱いてればそりゃあ、ね。
…………と言うわけで、目に見えて分かるおかしな反応をしてしまわない内に、惜しいけど及川の身体から離れる事にした。
ああ、名残惜しい。
そう思いながらゆっくり正面に顔を回したら、密着していただけあって、すぐそばに及川の顔がある。
うわあ、キスしたい。
これも、今俺の中に生じた一番でかい思いだったけど、流石に声にはしない。表情にはもしかしたら出ちゃってるかもだけど。
相変わらずきれーな顔……。
理性的な行動を心掛けてるけど、合法的?に、至近距離で及川を観察できる機会は逃さない。
及川の頬には涙の跡とかもなくて、声を詰まらせてはいたけど、多分泣いてはいなかった。最近はいつもそうだ。悲しそうな顔をしてても、及川は泣かない。まるで、涙の流し方を忘れてしまったみたいに……。
至近距離で見つめる俺に漸く気づいた及川の視線が落ち着かなくなった。俺をチラチラ見上げるその視線が言いたいのは、多分「まだ離れないの?」って感じだろう。
それでも面と向かって文句を言わないのは、俺がシリアスに感極まっていると思っているから、まだ及川的に遠慮モードなのだろう。
勿論それもあるよ。けどごめん及川。今はもう下心の方が強いかも……。
何だか今なら何しても許されそうな雰囲気すらあって、理性がサボったその瞬間、秒で押し倒しちゃいそー……。
及川も満更でもなかったりして……。頬もこんなに赤くしてるし……。
…………あれ?
「及川、ほっぺた、ここ……どうした……?」
さっきは入浴後の火照り、そして今は照れて赤くなってるんだとばかり思ってた及川の頬は、近くで見てようやく気づいたけど、ちょっと腫れてないか………?
特に赤くて腫れてそうな左頬にそっと触ると、及川が慌てたように素早く俺の手を払いのけた。
その時――――。
いつも太いバングルと時計で覆われている及川の手首が、むき出しになった。俺の貸したパーカーが、及川にはぶかぶかだから。
「別になんでもない」
及川はさっと俺から離れて、憮然として言った。
――――さっき一瞬触れた及川の頬は、確かに熱を持っていた。
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