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傷痕 2
「あんまり宗ちゃんを刺激しない方がいい」
及川は頻りにそう言う。
DVについて俺はそんなに詳しくないけど、被害者と加害者が共依存みたいになって抜け出せなくなるっていう話は小耳に挟んだことがあった。
及川がそういう状態になってる感じは今のところなくて、ともかく及川は天城先生を怖がっている様に見えた。DVの段階として初期なのか末期なのかよくわからないけど、及川の手首だけを見ても、かなり酷い暴力を受けてきていた事は想像に難くなかった。
一瞬リスカの痕にも見えたその傷痕は、ぐるりと手首を一周していて、多分きつく縛られた痕だと思う。慢性的に傷つけられていたのだろう、色素沈着してしまっている様な部分もあって、もしかしたら一生消えないのかもしれない。
腫れて熱を持った頬は殴られたせいだろうし、時々つけてた額の痣も、殴られたりどこかに打ち付けられたりしていたに違いない。
――――信じられない。
考えれば考えるほど、理解できない。好きな相手に対して、なんでそんな酷い事ができるのか。こんなに可愛い及川に、どうして……。
「ともかく、及川は天城先生にはもう会わない。ラインはブロックしてその他の連絡も全部無視。俺も、天城先生とは接触しない。あ、あと、及川は俺の傍を離れない。それでいい?」
及川は初め、姿を眩ますつもりだと言った。大学もやめて、天城先生が諦めるまでホームレス同然の生活を送るって。
金も持ってないのにそんなの自殺行為だろって言ったら、「死ぬつもりはない」って、それだけははっきり言った。けど、本人にそのつもりがなくても不可抗力で死ぬかもしれないし、それに、及川みたいな美人が当ても金もなくウロウロしてたら、別の悪い人間に捕まってよくない事に利用されるのがオチだ。
だから、考える間もなく及川の意見は却下。と言うか、俺が及川の傷に気付かなかったら、及川はそうするつもりだったのかと思うと、また背筋が寒くなった。
俺は、俺が直接天城先生に話をすると言った。あのグズ野郎に、俺の及川をこんなに傷つけたことに対する怒りを普通にぶつけたいと思ったからだ。けど、及川はそれは絶対にダメだと言う。「宗ちゃんは何をするかわからないから」って。
じゃあ、そんなに危ない奴なら警察に行こうって俺は提案した。傷痕があるんだから被害届とか出せるだろうし、流石に警察が介入すれば天城先生だってうかうか手出ししてこれないだろうって。
けど、及川は昔の経験から警察に不信感しかないらしく反対した。そして、「やっぱり俺が消えるのが一番だと思う」って、及川蒸発案を出してくるから、さっきのは仕方なくの提案だった。いわゆる折衷案だ。………大分俺よりの案だけど。
「土佐と一緒にいること、宗ちゃんに知られたくないな……」
「それは多分無理だろ。及川が自分の所出ていって行くところなんてここしかないってこと、天城先生もわかってるだろうし。いつかはバレるよ」
「じゃあやっぱり、」
「ここ出ていくのはナシ。心配すんなって、俺は宗ちゃんなんかちっとも恐くねーから」
「………………」
及川は、俺が何を言ってもずっと不安そうな顔のままだった。及川の尋常じゃない怖がり方からも、これまでどれだけ酷い扱いを受けてきたのかということがひしひしと伝わってくる。
及川との話し合いが一段落した頃にはもう夜も更けていた。
そろそろ寝ようかって話になって、俺は及川にベッドを譲った。それは、及川への気遣いもあったけど、それだけじゃない。
どうにも不安なのだ。及川が、フラッと出ていってしまいそうな気がして。だから、及川にリビングのソファは使わせられなかった。玄関が近いから。本当に本当の事言うと、不安で堪らないから、逃げられないように及川の身体をどっかに繋いでたいくらい。………うん、この発想はヤバいな。DV野郎の発想だ。ヤバい。
「及川……」
どうにも落ち着かなくて寝室を覗くと、暗闇の中で及川が身動ぎしたのが分かった。まだ起きてる。
「どうした?」
「悪い、なんか寝れなくて……」
「やっぱ代わる、ベッド」
「違う違う、そうじゃなくて」
及川が起き上がってベッドから出ようとしたから、慌てて止めた。
「けど……」
「いや、あのさ、約束して欲しいだけ」
「約束……?」
「どこにも行かないって」
「………なんだよ、それ」
「なんかさ、お前蒸発するとかホームレスするとかばっかり言うから……不安なんだよ。フラッといなくなっちゃいそうで」
「………行かないよ」
「本当に?」
「うん」
「もう嘘はナシだぞ」
「……わかってる」
「……信じていいんだよな?」
「もうお前に怒鳴られたくないし」
かなりしつこく聞いてしまったけど、及川が最後に少しふざけてくれたお陰で、漸くちょっとほっとできた。
きっと大丈夫。及川を信じよう。
「んじゃ、おやすみ」
「……おやすみ」
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