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襲来 2

及川の過去は結構謎に包まれているし、笑わないし、確かに何か闇を抱えているかもしれないとは思う。 けど、天城先生の言うような状態ではない。少なくとも、俺が見ていて、俺が知っている及川は、辛い何かを背負いながらも懸命に生きている。危うい雰囲気はあっても、いつも気丈に振る舞っている。だから、天城先生の言う事は全然腑に落ちない。誰かに過度に甘えたり頼ったりしない及川だから、人の目を引くために自傷したり、何かに病的に依存したり……そんな姿は、全然全く想像できないのだ。 けど……ほんの一ミリだけ引っ掛かるのは、天城先生が何の迷いもなく、考え込む素振りもなくスラスラと言ってのけた事だ。 人は、こんな風に何の躊躇いもなく、まるで息をするくらい当たり前の様に嘘をつき続けられるものなんだろうかって事だけが、気に掛かって……。 「愛由、いるんでしょ?」 天城先生の嘘を一つ一つ打ち消すのに必死になっていたせいか、それは完全に不意討ちだった。 「ここにいるんだよね。本当は最初から確信してたよ」 「……いないって言ってるだろ!」 「それはないな。君は愛由を手元に置いておく筈だ。だって土佐くん、愛由の事が好きなんだろ?もちろん、友達として、ではなく、ね」 「な……!」 「愛由、俺が悪かった!謝るよ。これからはちゃんと、愛由の望むようにするし、約束通り毎日愛してあげるから。だから戻っておいで」 「ちょ……やめろって!」 俺の気持ちをズバリ言い当てられて動揺している隙をつかれた。天城先生が大声で及川に語りかけ始めたから、俺は慌てて天城先生を外に押し出そうとした。 けど、天城先生も黙って出ていってはくれず、まだ及川に向かって叫んだ。 「土佐くんに迷惑をかけてはいけないよ。土佐くんが困ってもいいのかい?大事な友達なんだろう?どうするのが一番いいか、よく考えるんだ、愛由」 「ほんといい加減にしろよ!」 何よりも心配なのは、及川が根負けして出て来ちゃうんじゃないかってこと。それが一番気掛かりで、俺は力任せに体当たりして漸く天城先生を玄関の外に出すことに成功した。パタンと背後で玄関のドアが閉じる。 「そんなに慌てて……やっぱり愛由はここにいるんだね」 天城先生に断言されて、俺は内心ドキッとした。 「いませんって!」 その内心が本当に内に籠ったままでいてくれてるか。それについては自信がない。やっぱ嘘つくのって難しい。けど、思う。それが普通だって。 「俺は諦めないから。愛由が赦してくれるまで、何度でも会いに来るよ。愛由にも、そう伝えて」 初めはあんなに余裕のなかった天城先生は最後にはいつもの様に余裕の笑みをその頬に携えていた。 天城先生が階段を下りていくのを見届けて、俺はすぐに家に戻った。カギをしっかりかけて、なんならチェーンまでかけて、及川のいる寝室へと急いだ。 部屋に入ると、及川は布団をすっぽりと被ってベッドの上で丸くなっていた。 「及川」 声をかけると、その布団の中が少しビクッと動いて、それからそーっと布団をずらして、及川が目だけを覗かせた。 「土佐……」 「大丈夫、もう天城先生は帰ったよ」 その絵に書いたような怖がり方が少しおかしくて、けど及川は本気で怖いんだろうと思うと流石に笑うことはできず、けどやっぱり微笑ましくて、できるだけ安心できるよう優しく声をかけた。 「………何もされなかった……?」 俺の「もう帰ったよ」を聞いて、及川はあきらかにほっとした様だった。その証拠に、及川は布団から顔を全部出して、俺の心配までしている。 「なにも。及川が出てこないかって、それだけがずっと心配だったけど」 「……行かなきゃって思ったけど……ごめん。行けなかった……。身体が、動かなくて……。俺、自分で思ってる以上に、宗ちゃんのこと…………」 及川は最後まで言わなかったけど、多分言いたいのは、『宗ちゃんが怖い』って事なんだと思う。 きっと、ずっと布団被ってガタガタ震えてたんだろう。これほどまでの恐怖を植え付けられるまでには、一体どれだけ残酷な事をされて来たんだろうか……。そんなこと、及川の傷を抉る様で聞きづらくて今は想像することしかできないけど、あの凛とした及川をここまで慄かせるんだから、きっと想像を絶するような酷い事をされてきたんだろう。 「いいんだって、出てこなくて。天城先生の事は俺に任せろ」 「けど、宗ちゃんは本当に……」 「DVヤローなんだから、確かに危ない奴だとは思うけど、俺に害はねーし、俺は全然怖くないから。流石に違法な事とかはできないだろうしさ。けど、あんまりしつこくしてくる様だったら警察行こう。DVとストーカー両方でしょっぴいてもらおーぜ」 「警察は……信じてくれないよ。俺みたいな奴の、言うことなんか……」 及川は自信なさげに呟いた。昔の苦い経験のせいで、及川は警察を全然信用していない。天城先生がその事を知ってたとしたら、及川のそう言う所も利用されて、これまで好き放題されていたのかもしれない。 「大丈夫だって。俺も一緒についてくから。証言だって一緒にするし。俺は警察にお世話になったことはないけど、自信あるぜ。俺の言うことは信じて貰えるって。だから、大丈夫」 及川が一人で相談しても、普通にちゃんと聞いて貰えるとは思うけど、『警察=信用ならない』を思い込んでしまってる及川を納得させるには、こういう言い方をした方が速効性があると思った。 「そうかな……大丈夫かな……」 及川はまだ心配そうだけど、さっきよりも気持ちが揺らいでいる様に見える。 「絶対大丈夫。俺がついてれば百人力だって」 お茶らけてみたら、及川の強張っていた表情が幾分か和らいだ。 「……宗ちゃん、何て……?」 及川は、ここにきてからはずっと『宗ちゃん』だ。前は、その呼び方は仲良さげに聞こえてノロケんなって思ってたけど、今なら分かる。及川が俺の前でも天城先生を『宗ちゃん』って呼ぶときは、余裕がない時だってこと。だから、今は全然ムカつかない。 「及川を知らないかってさ。ヨレヨレの格好して、疲れきってたよ。一晩中及川の事捜してたんだって。ざまーみろだよな」 「一晩中…………」 「あとは……なんかいろいろ言い訳してた。及川、何も聞こえてない……?」 どうか何も聞こえていません様にって祈る。天城先生の酷い嘘を、及川に聞かせたくはないし、それに、俺が及川を好きだってのも、又聞きでなく、俺の口からちゃんと伝えたい。 「ずっと布団被ってたから……。最後、大きい声出してたのだけは聞こえたけど……」 よかった……。 「及川ここにはいないって言ったんだけど、ごめん。俺ちゃんと誤魔化しきれなかったかも……」 「土佐のせいじゃない……」 及川は力なく俯いた。とても、不安そうだ。 「な、大丈夫だよ。心配すんなって」 俺はお得意の能天気声で及川を元気づけようとした。 及川は頷いたけど、全然不安は拭えていない様だった。これじゃあ、とても天城先生が「諦めない」とか「また来る」って言ってたことは伝えられる訳がなかった。

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