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北風と太陽 1
眠れねえ。
及川はすぐ隣でスースー気持良さそうな寝息を立てている。
俺は、その存在が気になって気になって、目が冴えるばっかりだ。
及川は、本当に、本当に珍しく自分語りをした後、再び俺に星についての講座を開きながら、だんだん声が小さくなって、むにゃむにゃしていって、ついには眠った。
今日ほぼ一日中寝てたのに、割合すぐに寝付いたのは、及川がそれだけ毎日安らげない生活を送ってたって事なんだろうなって思うと、ずっと抱いてる「もっと早くに気付いてやりたかった」って気持ちに押し潰されそうになる。
こんなんじゃあ、更に眠れない。
気持ちを落ち着けるために、星を眺めた。
あれがベガで、あれがアルタイルで、あれがデネブ。
他にもカシオペヤ座とか色々教えてくれたけど、初心者の俺には目立つ星を見つけるのが精いっぱいだった。
面白かったのは、ベガが七夕の織姫で、アルタイルが彦星だって話だ。及川がなりたい星がベガだったら、俺は迷わずアルタイルに立候補するんだけどな。あ、けど、年に1回しか会えないのは辛いな。
及川が俺に話してくれた過去は衝撃的だった。何があったのか、具体的な事は一切聞かされていないけど、ずっと星になりたかったって……死にたかったって、どれだけ苦しい幼少時代を送ってきたんだろう……。そう言えば及川はよっしーの両親に引き取られるまで施設育ちだったけど、そこで何か辛い目にあっていたのだろうか。それとも、施設に引き取られることになった経緯事態に、何か闇があったりするのだろうか……。
俺、やっぱ及川の事何も知らねーな。
何も知らないのは、及川が語ることがなかったからだけど、俺自身知ろうとしていなかった事にも原因はあるのだと思う。
知ろうとしなかったのは、俺が「今」が一番大事だと思っているからだ。誰の過去にも、正直あまり興味はない。だから、及川の悪い噂も、あまり気にならなかった。及川が過去に何をしていようと、俺は今の及川が好きなんだから関係ないな……って。
結果的に悪い噂は全部デマだったり、嵌められたりしたものだったから、俺の見る目は正しかったと言うか、及川は過去も今もクリーンな奴だったけど……今、初めて思う。及川の過去をちゃんと知りたいって。
何となく、今回の事も含めて、笑わない……いや、笑えない及川を救うには、及川をちゃんと知ることが必要なんじゃないかって、すごく漠然とそう思うのだ。
けど、きっと及川に直接聞いても教えてはくれないだろう。恋人に理不尽に殴られていたことすら、誰にも打ち明けられないどころか、知られてしまったことを恥だと感じているフシすらあった及川だ。過去の辛かった思い出なんて、とても話したがらないだろう。
よっしーは、知ってるのかな。よっしーの両親は……。
*
ピンポーン………。
どうやら、悶々と色々考えている内に眠っていたみたいだ。
ピンポーン……。
このチャイム……まさかまたかよ……。
うんざりしながら時計を見たら、また早朝5時半だった。嫌がらせかよ……。
「土佐……」
及川が不安そうだ。
「しつけーな」
「いないふり、しよう」
不安そうな及川が、行くなと言いたげに俺の袖をつかむ。
「けどまた騒ぐぞ、きっと」
「土佐くーん!」
言ってる傍から天城先生の大声と、またドアをドンドン叩く音が響き渡った。
「ほらな」
「…………」
「行ってくる」
及川は無言だったけど、俺の袖をつかんだ手は頑なに離そうとしない。
「大丈夫。帰らして、すぐ戻るから」
やんわりと及川の手を包み込んで、袖を取る。
「すぐ終わるから。昨日みたいに布団被って待ってて」
及川の瞳は不安そうに揺れていたけど、それでも行って追い返すことが、俺にできる最善策だから。
「土佐くん、おはよう」
細く玄関を開けると、昨日と違ってぱりっとした服に身を包んだ天城先生が、いつも通りの爽やかな笑顔で立っていた。
今日は、初めから天城先生を玄関の中に入れなかった。玄関を開けたらすぐに俺が外に出て、「下で話しましょう」とアパートの階段を降りる様促した。無論、少しでも及川から遠ざけるためだ。
「あの、今何時だと思ってます?」
いい加減にしてくれという気持ちを言外に込めたけど……天城先生はあっけらかんとしている。
「ごめんね、早すぎるよね。けど、愛由の事を考えてたら、居ても立ってもいられなくて……。愛由は、どうしてる?元気にしているの?せめて、愛由に一目会わせて欲しい……」
「だから、及川はここにいないって言ってるじゃないですか」
「うん、いいよもうそれは。ここにいるのは分かってるから」
「なんでですか。及川にGPS埋め込んでるわけでもあるまいし」
「ああそうだね、本当に、そうしておくべきだと思ったよ」
「は?」
「本気にしないで、冗談だよ」
いや、冗談に聞こえねーよ。
「それでね、本題なんだけど。土佐くん、愛由を監禁してるんじゃないの?」
「はい?」
カンキン……?
「愛由がね、あんなに俺に愛してるって言ってた愛由が、突然俺の前から消えて、別れたいなんて言うのは、絶対におかしいんだ。きっと土佐くんに唆されたに違いないって、俺は考えてるんだけど」
なんだその自分に都合良すぎる解釈は。頭おかしーんじゃねーの。
「俺が及川を唆すとか、あり得ないから。あんた、自分のしたこと分かってんの?及川が逃げ出したくなる様なことばっかしといて、『おかしい』って。あんたの頭の方が心配になるわ」
「それについてはこの間説明したよね。あれは俺達二人の間の性癖の問題で、他人からとやかく言われる筋合いはないよ」
「だから他人からじゃなくて、及川自身が嫌だって、別れたいって言ってんだって!」
「じゃあその本人を出してよ。俺だって本人の口から直接聞けば色々今後の事考えるけど、愛由をモノにしたくて堪らないって男の言うことは、とても信用できないな」
天城先生が初めて俺に対して見せた明確なトゲ。それがチクリと刺さったお陰で、自分がちょっとヒートアップしていた事に気付いた。
感情的になったら周りが見えづらくなるし、そうなれば口の上手い天城先生に丸め込められておしまいだ。だから、冷静に、と自分に言い聞かせる。
……確かに普通のカップルの別れ話で、他人(しかも彼女狙ってるっぽい奴)に間に入られたらウザいってのは分かる。けど、それはあくまでも普通のカップルの話であって。
「及川をここに連れて来ることだけは絶対にしません。及川はあなたに受けた暴力のせいで心底あなたを恐れてる。あなたを前にして本当の気持ちを打ち明けられるとは到底思えません。及川を幸せにしてやりたい男からの進言で申し訳ありませんが、及川は間違いなく自分の意思であなたの元を去りましたので、どうか安心してお引き取りください」
俺は、意趣返ししつつも努めて冷静に、きっぱりはっきり毅然とした態度って奴を示した。
及川をこいつに会わせない。これだけは、何があっても譲るつもりはない。
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