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ミスターコンテスト 1
幸先がいい。
そう思ったのは、今朝も半々の確率で来るだろうと思ってた天城先生が、もうすぐ昼になるって今の時間になってもまだ来ていないからだ。まだ一日は始まったばかりで、この後にやって来る可能性だって捨てきれないけど、朝非常識な時間に不愉快な相手から起こされずに済んだってだけで気分が違った。
及川は、俺が10時過ぎに「朝だよ」って起こした時に外が明るい事にまず驚いていた。多分及川は、昨日の反応からしても、俺よりも高い確率で今日も天城先生からの早朝襲来があるって踏んでたんだと思う。
昨日言った事が現実になって、このまま本当に諦めてくれたらいいけど……油断大敵だ。
「怖い」「帰りたくない」って泣いた及川を見て、俺の『及川を絶対に絶対に守り抜く』って決意はより強固になった。俺は割と楽観的なタイプだけど、こと及川の身の安全となると、慎重に慎重を重ねても足りないくらい用心深くなっている。
「車とってくるから、家の中で待ってて」
及川を家に残して、きっちり鍵を閉めてから駐車場に向かう。
天城先生がどこかに潜んでいるかもしれない。もし及川と一緒に駐車場に向かう途中でやってこられたら、及川に怖い思いをさせてしまうから、そういう可能性を少しでも排除する為に通学は車を選んで、アパートの階段のすぐ下に横付けするという手段を講じる事にした。
………あれ?
車に乗り込んですぐ、どことなく違和感を覚えた。運転席の位置……は、ブレーキペダルを踏む感覚的に変わってない。バックミラーの位置も……いつも通り。
そういうんじゃない。物理的な物じゃなくて……匂い……?
深く考える時間はなかった。及川を一人にしていることが不安だったから。
素早くアパートの下まで車を運ぶ、走って及川を迎えに行く。
「お待たせ」
焦りとか不安な思いは隠して笑顔を作って玄関を開けると、すぐそこで申し訳なさそうな顔をした及川が立っていた。
「ごめんな、面倒掛けて……」
「何言ってんだよ。今んとこ宗ちゃんの気配はナシ。だから急いで行こ」
「うん」
不安そうな及川の腕を取って、二人で一緒に玄関を出た。周囲には人の気配はない。
助手席を開けて及川を乗せて、俺も車に乗り込む。
シフトレバーに手を伸ばして車を動かし始めた時に、ふと思い出した。この匂い、及川の匂いだ。及川のシャンプーの……。
その時、ひゅっと、隣に座る及川が息をのんだ。弾かれる様に及川の方を向いたら、助手席側の窓の向こう―――コンビニの前に、あいつの姿があった。気持ち悪いくらい綺麗な微笑を浮かべて、こっちに……及川に向かって手を振っていた。
「こわ……」
心の声が、思わず口をついて出た。
別に何されたわけでもなく、早朝訪問というちょっとした迷惑行為を受けているだけの俺でさえそう思うのだから、及川の恐怖はいかばかりか……。
「及川、大丈夫だからな」
少しでも及川の不安とか恐怖心を和らげたくて、力強い口調で、ゆったりと言い聞かせる。
もう車はコンビニの前を通り過ぎて、大きな通りに差し掛かる。走って追いかけられても追いつくことは不可能だし、バックミラーで確認した限りではあいつはコンビニ前から一歩も動いていない。
それにしても、車で通学することに決めてよかった……。
国道に車を合流させることに意識を集中させつつ、ちらっと隣を確認すると、及川は口元を手で覆って、身体を硬直させていた。多分、よく見れば震えているんだろうと思う。
「あいつは追ってきてないし、ウサイン・ボルトでも車には追いつけねーからさ」
軽く冗談を交えてみたら、及川が「うん」と小さな声で頷いた。
及川が感じている恐怖が、今追いつかれるか追いつかれないかって事だけではないのは分かってた。それはおそらく、やっぱりまだ諦めていなかったんだって事であり、あの不気味な微笑であり、あの人の存在そのものなんだって事も。けど、それについては否定する術がない。だって確かに天城先生は異常で、執念深くて、恐ろしい。俺は昨日ほんの少しその片鱗を見ただけだけど、認めざるを得ない。
「まじこえーなあいつ。ストーカーかよ」
俺は、もうすぐにでも警察に行くべきなんじゃないかなって思い始めていた。DVだってれっきとした犯罪だし、今されてる付き纏い行為とかもストーカーに当たると思うし。及川は、どう言うだろう。何にせよ、及川の気持ちを優先しないとだよな。
及川は、俺の軽口に乗れる余裕はまだないみたいで、やっぱり黙ったままだった。
せっかく幸先いいなって思ってたのに。
天城先生の出現で、及川は元々あまりない元気をもっとなくしてしまったし、やっぱり大学に連れて来ないで、家に置いてきた方がよかったのかな……。いやでも、あそこで天城先生が俺たちを見張っていたのは、俺が一人で大学に行ったその隙を狙って及川を浚いに行くつもりだったに違いない。だから、留守番なんてさせられないし……。
やっぱ、俺も一緒に今日休んでやるのが一番よかったんだよな……。
昨日、及川に言われた言葉―――「ミスターになれたら俺に話があるんだろ?」ってやつに、心動かされてしまった。
まだ告白してないことを、天城先生に揶揄され見下されたのもムカついたけど、この気持ちを及川に伝えたいって思いは、ずっと俺の中で燻っていた。
及川が自分の事で精一杯な今、俺の告白で及川を混乱させたくないなって気持ちもあってなかなか切り出せずにいたけど、ずっと及川と一緒にいて、頼られて、同じベッドまで使って。こんなに密に及川と触れ合ってるのに、この気持ちを隠し通すってのは、結構しんどいものがある。
元々、ミスターを獲ったら及川に告白しようって決めてたし。そう、自分に言い訳をして。こんな状況は全く想定外だけど、いいタイミングだって、都合良く思うことにしたのだ。
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