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蜘蛛の糸 2

車に乗せられて、窓の向こうを流れる景色をずっと目に写しながら、けど本当は何も見えていなかった。刑事は運転席にいたから、後ろに乗せられた俺は完全に一人で、だから、涙を止める理由がなくて、見るもの全部が滲んでしまっていたから。 土佐をこんな目に遭わせてしまったこと。そもそも土佐を巻き込んだ事への後悔は、背負いきれないくらいに伸し掛かっている。けど、涙が止まらないのは──。 ──もう、土佐の元に戻ることはとてもできないから……。 警察署に着いて、刑事に腕を掴まれながら暗い署内をとぼとぼ歩く。「泣いてたの?」と、やけに優しい声で腕を引く相手に聞かれたけど、俺は返事をしなかった。 取調室に入れられ、任意聴取の同意書の様なものに名前を書かされた後、「ここで待っててね」と刑事は部屋を出た。手錠はかけられなかったけど、外側からドアのカギがかけられたのは音で分かった。 ──土佐は、手錠をかけられたりするのだろうか。あれを、正義の象徴の警察官にかけられる時の衝撃は、言葉では言い表せない。何の罪もない土佐をそんな目に遭わせた元凶は間違いなく俺だ。これで、もしも土佐の疑いが晴れなくて、前科でもついたら──俺は、死んだ方がましだ。いや、今更死んで償ってももう遅い。あの時、死んでおくべきだったのだ。そうすれば、こんなことには──。 「久しぶりだねえ愛由くん」 大して待つこともなくドアが開いた。そして、さっきの刑事と連れ立って現れたのは──知った顔だった。 「また悪いことしちゃったの?もう、だめじゃないか」 「なんで、あんたが……」 「偶然ね、俺もこの街に配属されたんだ。運命感じちゃうよね。ねえ、愛由くん」 ねっとりとした喋り方。全身を舐めまわす様な目つき。ニタニタ笑う口元。あの時と、何一つ変わってない。 「あ、今は及川って名字になったんだ。へー。いいパパが見つかったのかなあ?」 目の前に座った制服の男は、さっき俺が書いた書類を一瞥してニヤニヤしている。 「あ、俺もあの頃とは階級が変わったんだよ。ほら見てこのバッジ。分かる?」 「………」 「分かんないかなぁ。ほら、ここの色が変わったでしょ?俺ね、警部補になったんだよ。格好いいでしょ?」 男はニタニタして「愛由くんのお陰でね」と付け加えた。嫌な感じがしてどういう意味なのかを問い質そうとした俺を遮って男が続ける。 「また今回も、手柄立てられそうだよ。ありがとうね、愛由くん」 「どういう意味だよ!」 今度こそ不穏な意味にしか取れない男の言葉に説明を求めたけど、男はニタニタしたまま俺の質問は完全に無視して、わざとらしく真面目な顔を作って「取り調べを始めます」と宣言した。 * 「──あれは俺のものでも土佐のものでもありません!」 土佐に嫌疑が掛けられてる今の時点で俺は自分の事が許せなくてしょうがなくて、「俺のだ」って罪を被ってしまおうかと何度も思った。けど──土佐がそれを聞いたら、土佐も「俺のだ」って言いかねない気がして……。それに──土佐に、「嘘はつくな」と言われたから──。 「それじゃあどうしてお友達の車にクスリがあるの?おかしいよねえ?」 「それは……だから、嵌められたんです……」 「誰に?」 「…………天城、宗佑に……」 俺は信じて欲しくて必死だった。必死で、本当はこの刑事の前で名前を出すことを躊躇した宗ちゃんの名前も、ちゃんと伝えた。だってちゃんと訴えないと、真実を探して貰えないと、土佐が大変なことになってしまう。 「天城宗佑、ねえ……」 刑事は訳知り顔で首を傾げた。 「けどさぁ愛由くん。前の事件の時は君が有罪だったよねえ?」 「それは……あんたが!あんたがデタラメな事書いたから……!」 こいつは──藤沢は、俺が宗ちゃんを刺したとされた事件の時に俺を取り調べた刑事だ。俺は、ヘラヘラしながら「君がやったんでしょ?」の一点張りだったこいつに対して一度も罪を認めなかったのに、検察に送られた書類では俺が罪を自白した事にされていた。 そう。こいつは信用ならない。平気でそんなとんでもないことをやらかす奴だ。なんで、寄りによってこいつがまたここにいて、俺を担当することになったんだ……。最悪俺の事はもうどうしてくれてもいいけど、土佐だけは───。 「……お願いします。今回は、ちゃんと俺の話を聞いてください。ちゃんと、捜査してください……!」 俺は、机に頭がくっつく程、藤沢に向かって頭を下げた。 「随分しおらしいじゃない。駆け引きってものを、覚えたんだねえ。愛由くんもう18才なんだもんね。あの頃はあどけなくて可愛かったけど、今はあの頃より色気が出てきて……すごくいいなあ……」 藤沢の言い方がこれまで以上に気持ち悪くて寒気がする。俺を見下してバカにすることで優越感に浸っているんだろうけど、こんなことで虚栄心が満たされるんなら、いくらでも頭を下げるし、好きなだけバカにすればいい。だから、頼むからちゃんとした捜査をしてくれ……。 「じゃあさ、愛由くん。もっともっと昔の話聞かせてくれない?」 頭を下げ続ける俺に、藤沢が何か思い付いた様に言った。 「昔の、話……?」 「ねえ村田くん。この子、虐待の被害者なんだよ。可哀想だよねえ」 藤沢は俺にはニヤニヤした笑みしか返さず、隣にいる刑事に話を振った。 ──凄く、嫌な感じがする……。 「こんなに可愛いのに……いや、こんなに可愛いから、なのかなぁ?」 藤沢が俺を見てニタニタ笑う。隣で、藤沢よりもまともだと思ってた村田という刑事も、ニタニタ笑っている。そして──。 「その時の話、また詳しく聞かせて?」 ──冗談じゃない。あの頃の話なんて、今回の事と何の関係もない。前の取り調べの時も、藤沢には執拗にその事を聞かれて、同情でも何でもいいから自分の話を信じて欲しかった俺は、苦しかったけど聞かれるがまま素直に話してしまった。あの頃はまだ子供で、純粋で、こんな風にニタニタ笑われている意味がよく分かっていなかったから──。 「ねえ愛由くん早く。いくつの頃から、おじさん達にイタズラされてたんだっけ?」 ニタニタニタニタ。二人とも、好色さを隠そうともしていない。 「それを話せば、俺の話を信じてくれるんですか?ちゃんと、そ……天城宗佑のことを、調べてくれるんですか?」 それなら、あの頃の事を話すくらい造作もない。寧ろ、そうであって欲しい。そう、思っていたのに───。 「天城宗佑の事は調べない」 「え……」 藤沢がいつになくきっぱりと答えたから、俺は思わず間の抜けた声を出してしまった。 「ごめんね愛由くん。それだけはできないんだ。それ以外のお願いなら聞けるかもしれないから、さあほら早く、話してよ」 どんなことされたかを、今回はもっと詳しく聞きたいなぁ。 そう続けた藤沢は、すぐにまたいつものニヤケた顔に戻っていたけど、俺には今言われた内容よりももっと気になることがあって──宗ちゃんの事を調べないって断言したのは一体どうして……。 「なんで、宗ちゃんのこと、」 「そんな急かさなくても、すぐ分かるから。……そうだなぁ、今日の愛由くん可愛いから親切心で教えてあげよっかな。大事なお友達を守りたいんだったら、いい子にしておくのが懸命だよって」 え───。 「それ、どういう……」 「はいっ!もうこの話終わり!」 藤沢は言葉と共にパンと両手を叩いた。 その程度で何も言えなくなったのは、さっき言われた事が剰りにも意味深だったから。

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