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裏切りと混乱 3
入るもの全てを拒むような重厚な門の前でチャイムを鳴らした。一刻も早くと思っているけど、ほんの少し心の準備が必要な程、この家には威圧感があった。
一度目のチャイムには応答がなかった。
平日の昼間だし、流石にあのサイコ野郎もちゃんと社会人の面を被って仕事してる時間だわな。
そう半分以上諦めつつも、ここしか手掛かりがないことによる焦燥感で、惰性のように何度も何度もボタンを押していた。
「はい」
自分で呼び鈴を押しておきながら、返事が聞こえて耳を疑った。だって、多分初めにチャイムを押してから5分以上は経っていたから。
「あ……天城、先生ですか?」
不意打ち過ぎて、間抜けな一言目だ。よくも嵌めやがったなとか、及川をどこへやった、とか、言いたいことは沢山あったはずなのに。
「どうしてここが?まあ、取り敢えず開けるよ……」
そんな返答から少しして、大きな門がスーっと自動で両側に開いた。そんな超セレブ仕様な家に驚いたけど、こんなデカイ匣なんかにビビるなって言い聞かせて、くねくねしたヨーロッパ風の庭園みたいな通路を建物に向かって歩いた。
「土佐くん、悪いけどここでいいかい?家の中は少し散らかってるから」
またまたバカでかいお屋敷の門の前にいた天城が案内したのは、庭園の中に設えられたガーデンテーブルセットで、新しそうだし高そうだけどあまり頻繁に使われていないのか落ち葉がいくつか落ちていた。
天城は、部屋着というのだろうか。それにしては上質そうだけど、リネンっぽい柔らかそうなパンツとシャツを着ていて、いつものビシッと決まった感じじゃなかった。この間初めて家に訪ねて来たときみたいな大袈裟な疲れきった顔や草臥れた格好をしている訳ではないのに、その表情はなぜかあの日よりも憔悴して見える。
「この場所、愛由から聞いていたの?」
「いえ。今日、必死に調べて……」
「……そう。土佐くん探偵でもないのに凄いね」
何が可笑しいのか、天城がクスクスと笑う。
「及川の為なら何だってしますから」
「……ふーん。けど残念。愛由はここにはいないよ」
「じゃあどこにいるんですか」
「……入院してる。悪い病気を、治療するためにね」
「悪い病気?」
「そう。悪い病気」
俺たちを陥れた張本人の癖して白々しくそう言ってのけるから、カーッと頭に血が上った。
「ふざけんな!及川が悪い病気?仕組んだのは、俺と及川陥れたのは、あんただろ!あんたが俺の車に変なもん、」
「まあまあ落ち着いて」
「落ち着けるか!全部及川を連れ戻す為にあんたが仕組んだことだろ!」
「人聞きの悪い事を言わないで貰える?俺が何したって?証拠はあるの?」
「証拠は……」
「ないなら話にならないなぁ」
天城は高慢な態度で笑った。
本当に腹が立つ。いや、腹が立つなんて軽い言葉で済ませられないくらいの強い怒りを覚える。拳が震えるくらい。けど、堪えるしかない。「やった」「やってない」はただの水掛け論にしかならないし、もしも激情に駆られてこいつを殴りでもしたら、それこそこいつの思う壺だ。そんな事したら及川から離れこそすれ、近づくことは絶対にない。そう思うから……。
「……ともかく、及川に会わせてください」
「だから、ここにはいないって言ってるだろう?」
「ここにいないとしたって居場所は知ってる筈だ!あんたの親が及川連れてったってことは知ってんだから!」
「……父は愛由の後見人だからね。当然、俺は愛由の居場所を知ってるよ。けど、それを君に教える訳にはいかないなぁ」
「俺をライバルだからとか言いたいんなら、完全にあんたに勝ち目はねーから。言っただろ、及川はあんたと別れたがってるって。あんたはもう完全に愛想尽かされて嫌われてんだよ」
「ライバル?」
天城は俺の皮肉を笑うと、小バカにした様に聞き返してきた。
「残念ながらそんな風に君を同等に考えてはいないよ。そうだなぁ、恋人の周りを彷徨く汚いネズミってところかな。ゴキブリでもいい。どちらにせよ、駆除対象ってことだよ」
ゴキブリとは結構な言いようだ。天城は口元に相変わらずの笑みを浮かべているものの、怒っているらしい。
「できるものならやってみろよ。俺は大人しくやられっぱなしにはならねーから。それに、これだけは訂正させて貰うわ。及川はもうあんたの事恋人だなんて思ってねーから。あんたはもう振られてんだよ!」
「愛由の戯れ事をそのまま信じてるなんて、お目出度いね」
「お目出度いのはどっちだよこのストーカー!戯れ事ほざいてんのはお前の方だろうが!」
「君になんと言われようと、俺は愛由から直接貰った言葉だけを信じてるから、痛くも痒くもないんだよ。『愛してる』って、数えきれないくらい言われてたんだから」
「言われてた?言わせてたの間違いだろ!」
「酷いなぁ。俺たち本当に愛し合っていたんだけど。あ、ほら、この間動画を送ったでしょ?あれは見てくれた?」
「あんな悪趣味なもん見るか!」
「真実を知るのが怖いのかい?」
「そんなんじゃねー!」
「なら見るといい。君の叶わぬ想いも、あれを見れば諦めがつくと思うから」
天城は悠然と微笑んだ。俺が立ってて相手は椅子に腰かけてるんだから、実際は俺が見下ろしてる状態なのに、まるで見下されてるかの様に感じさせられる。
「……見ないし、俺は及川を諦めない。少なくとも及川が幸せになれない相手には及川を渡すつもりはない!」
「……渡す?勘違いされちゃ困るな。君が何と言おうと愛由の恋人は俺だよ?随分思い上がってるみたいだけど、君はちょっと愛由に粉かけられたってだけの存在だからね?その辺ちゃんと弁えてくれないと困るんだよ」
まただ。また盛大に見下されてる。
及川が俺を騙してたなんてこと絶対にない。及川の浮気ごっこに付き合わされてたなんて、そんなのあり得ない。及川は本気で悩んでて、本気で天城から逃げたがってたって100%信じてるけど、その証拠は正直何もない。俺の主張の根拠は全部及川の証言と俺の直感だけで……。そもそも人の気持ちなんて目に見えないものなんだから、証拠なんてある方がおかしい。けど「付き合ってた」って既成事実は、今の気持ちは別としても及川も認めている覆しようがない事実だから……。
ガッと大きめの音がした。天城の引いた椅子がレンガを擦る音だ。
「あーあがっかりだよ。愛由がいなくて気持ちが塞いでたから、ちょっと気分転換のつもりで出てきたんだけど……相手が君ではやっぱり逆効果だったよ」
立ち上がった天城は、「帰ってくれ」と言いながら俺に背を向けた。
「まだ話は……!及川を、」
「しつこいなぁ!だから、君には何も話すつもりはないと言ってるだろ!」
「及川は、あんたの所に戻りたくないって言ったんだ!俺はその及川の言葉が嘘だなんて微塵も思ってねーから!せめて、及川と話をさせろ!俺を黙らせたいなら、何が真実なのか、はっきり解らせろよ!」
天城は、氷の様に冷たい目で俺を振り返った。そして、ふんと鼻を鳴らして、意趣返しなのだろう、「まるでストーカーだな」と言った。
「残念ながら今は俺ですら愛由に会えない。君の何倍も、恋人である俺は愛由に会いたいと願ってるのに、それでも……」
天城は眉を寄せて言葉を詰まらせた。嘘ばかりの天城の言葉の中で、唯一これは真実なんじゃないかと思わされるくらい、迫真の辛そうな表情だった。
「及川に治療なんて必要ないって、あんたが一番わかってるんじゃないのか?なのに、何で病院なんかに……」
「……愛由はいずれここに戻ってくる。可哀想に義理の親にも捨てられた様だから、愛由が帰る場所はここしかないんだから……」
天城は俺の質問には答えずそう言った。まるで、自分に言い聞かせるかの如く。
及川はきっとここに戻ってくる……いや、戻される。こいつの執念ならきっと、絶対に。
俺は───及川を天城に渡さない為に、天城から守る為にこんなに必死になってるっていうのに、少し安心してしまっていた。所在不明の及川の背中が見えた様な気になったのだ。一番は勿論、今すぐ傍に行ってやりたいけど、今いる所が病院なら最低限非人道的な扱いは受けていないだろうし……。
「これだけは約束してくれ。もう及川に手をあげないって」
天城は俺を一瞥してふん、と鼻を鳴らした。そして嗜虐的にニヤリと笑うと意外な提案を持ち掛けてきた。
「愛由が戻ったら、話をさせてやろう」
「え……話って、及川と……?」
目を丸くする俺に、天城が口元を歪めたまま頷いた。
「愛由の口から『真実』を聞くといい。その代わり、愛由が君に話した事が全部嘘だったとわかったら、愛由の事はきっぱりと諦めて貰うからな」
そういうことかよ。
全部嘘だったと……つまり、あの傷はSMプレイだっただの、及川は俺を誘惑しようとしてるだけだのっていうとんでも話が真実だと言いたいんだろうし、そう及川に無理矢理話させるつもりだ。間違いない。そんな話に誰が乗るか。そうも思ったけど───。
けど、及川の居場所を突き止める手掛かりはここ以外に今のところないし、こいつの口を割らせるのは一筋縄ではいかなそうだ。今この話を突っぱねてしまっては、及川に繋がるパイプを全て失う可能性もあると思った。何せ、及川は事件のせいで大学を退学させられる可能性もあって、頼みの綱の義理の親もあんな感じなら、本当に天城に一生監禁されてもおかしくない。
「……及川が戻ったらすぐに会わせてくれるのか?」
「ああ」
「必ず、すぐに、」
「ああ分かった。すぐにね」
天城は面倒臭そうに答えながら身を翻した。
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