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裏切りと混乱 4
敷地外に出ると、すぐに大きな門は勝手に閉まった。センサーかもしれないけど、何となく、天城は監視カメラか何かで俺が外に出るまでを見てたんじゃないかと思った。あいつはそういう奴だ。
「スイマセン」
閉ざされた門を見上げながら、これからどうしようかと考えていた時、少しいびつな発音で声を掛けられた。見ると、日本人じゃない若い女の子が、おどおどしながら俺を見上げていた。
「どうしたの?」
「……この、おやしきの、ごしゅじんさまの、トモダチですか?」
「え、友達、じゃないけど……」
「Then、オクサマの……?」
「奥様?」
何言ってるんだこの子?天城って結婚してたのか?いや、そんなはずないよな、及川とここに住んでいたんだから……。
「ごめんなさい、サヨナラ」
俺が訝しげな顔をしたからだろう。女の子はそう言ってそそくさと立ち去ろうとした。漸くピンときそうだった俺は、待ってと女の子の手を取る。
「奥様って、もしかして及川の事?」
「オイカワ……?」
女の子が首を傾げたから、俺は言い直す。
「愛由?」
「アイユ、そうです!オクサマ!」
終始びくびくしていた女の子の目が輝いた。やっぱりそうなんだ!この子、きっと何か知ってる!
*
家の前も天城にどこまで監視されているか分からないから、外国人の女の子──シャーリーンちゃんを連れて駅前のカフェまで移動した。
こういう店は初めてなのか、不安そうに戸惑っていたシャーリーンちゃんの分は、元カノ達がよく頼んでた甘そうなのを頼んだ。その生クリームの塊を前にしても、彼女は相変わらず不安そうだった。
「付き合ってくれてありがとうね」
声を掛けるとシャーリーンちゃんは、肩をビクつかせて上目遣いに俺を見上げた。
「これ、は当然ご馳走するし、他に食べたいものとかあれば遠慮なく言って」
シャーリーンちゃんは黙って首を横に振った。
席に着いてからも、彼女の緊張はなかなか解れない。この子を逃してはいけないとちょっと強引にここまで連れてきてしまったのが悪かったのだろうか。正直なところ、一刻も早く及川の話をしたいけど、この子に嫌われては元も子もない。
自分の分のホットコーヒーに口をつけて、あんまり急かさず構えていたら、シャーリーンちゃんもおずおずとグラスに手を伸ばした。
「飲めそう?」
一口飲んだシャーリーンちゃんは、ちょっとびっくりした様にグラスの中を眺めた後にようやく真っ直ぐ俺を見て、コクコク頷きながらまたすぐにストローを口を運んだ。
美味しいってのが口にしなくても顔と行動に出ている。その反応は、初めて及川をアイス屋に連れていた時を思い起こさせて、思わず微笑んでしまう。
「……アナタは、あまりこわくない……」
「怖い……?」
「……ニホンジンのおとこのひと、みんなコワイ、おもってました」
俺はこの言葉を聞いてはっとした。シャーリーンちゃんは、天城の家でメイドをしていたと聞いた。きっとシャーリーンちゃんが男を怖いと思い込んだのは、天城の……。
「それ、天城が……あの家の主人が暴力的だから?」
シャーリーンちゃんは俯いて少し黙ったあと、こくりと頷いて、堰を切った様に話した。
「オクサマ、かわいそう……。いつも、まいにち、ダンナサマにたたかれてました。どなられて、たたかれて、ほかにも、ひどいこと、たくさん……。オクサマ、ワルイことなにもしてない。なのに、ダンナサマはオクサマを……」
ああ、やっぱりそうだ。及川は嘘なんてついていなかった。彼女の訴え方からしても及川が望んで殴られていた様子は微塵もないし、それどころか、俺が想像していたよりももっと酷い環境に置かれていた様だ。何でもっと早く気づいてやれなかったんだって悔しくなるのは毎度のことで。けど、後悔はいつでもできる。時間は無駄にできないのだから、今は今しかできないことをしなければ。
「シャーリーンちゃん、今、愛由がどこにいるのか知ってる?」
「しらない。アナタわかりますか?キンヨウビからいなくなった。ダンナサマはものすごくおこってアバレテました。シバラク?こなくてイイいわれました……。オクサマはダンナサマからにげたんでしょうか?それならいいんです。サミシイけど……」
「ごめん、及川の居場所は俺にもわからなくて。月曜日までは一緒にいたんだけど、引き離されてしまって……。多分、近いうちにあの家に戻されるとは思うんだけど……」
「Oh, my……ソレはイケナイ。タイヘンなことになります。ダンナサマ、コワイひと。きっとオクサマをゆるさない。ダメです、ダメです」
「分かってる、俺も及川を助けたいんだけど、その方法が見つからなくて。けど、シャーリーンちゃんが協力してくれるなら、もしかしたら……」
「します、なんでもする!オクサマ、かわいい、ヤサシイひと。ホントは、メイド、オクサマとはなすのはダメ。けど、オクサマいつもやさしくて、はなしたい、おもってしまいました。ニホンゴいっぱいおぼえたの、オクサマのおかげです。オクサマのためです。オクサマは、ニホンでひとりだけ、ワタシのトモダチでした……」
シャーリーンちゃんは目元を赤くして今にも泣き出しそうだ。
母国を離れ遠い異国の地で働く少女にとって、及川の存在は心の支えになっていたみたいだ。けど、それはきっと……。
「シャーリーンちゃん、ありがとう。きっと、いや、間違いなく及川も、シャーリーンちゃんに救われてたよ」
酷い環境の中、及川は完全に一人ではなかった。それは、ほんの少しほっとできる部分で、今後俺にとっても大きな希望の光となるかもしれない。
「シャーリーンちゃんは、解雇……メイドを完全にを辞めさせられた訳じゃないんだよね?契約はまだ続いている?」
「シバラク?こなくてイイいわれただけ。クニにかえれはいわれてないです。シバラク、はどのくらいですか?」
それなら、及川が戻ったら仕事に戻すつもりなのかもしれない。……そうであってくれなきゃ困る。
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