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天使のお迎え

「あいつは解雇することにしたよ。この組織も抜けてもらったから。欲張ったせいで、もう二度とお前を抱くことも出来なくなったという訳だ───」 宗ちゃんの父親が、俺の腕に針を刺している光景が、二重にダブって見える。その人が俺に向かって話し続けているのは、多分あの運転手のおじさんの行く末だ。 ──あのおじさんの誘いに乗らなかったのは、おじさんの所に行くのが、ここにいるよりも嫌だったからではない。無理だと思ったからだ。宗ちゃんの父親から──『天城』から逃げることは、絶対に不可能だって………。 「目をつけた獲物は基本的に皆で共有する。それが我々の掟だ。お前は我々の手から離れた所で宗佑のものになったから、厳密にはもう我々のものではないけれど。ともかく、あいつは社会的に抹殺することにしたよ。俺を、天城家を裏切った罪は重いから───」 相変わらず分身して見えるその人が何やら沢山言っている声を、音を、点滴の水滴が結構な早さで落ちているのを眺めながら聞く。 ───もう治して欲しくない。身体中アルコールとか薬物に侵されて、朽ち果ててしまえばいい。不可抗力でそうなるのなら、土佐も許してくれるかもしれないから………。 「───食べろ」 肩を揺すられいつの間にか瞑っていた目を開けた。鼻先に置かれているのは、いつもと同じ硬いパンだ。 「最近痩せすぎて抱き心地が悪くなってきたと聞いている。点滴だけでは補いきれないんだから、ちゃんと食べなさい」 ───生きている限りはいい子でいないといけないのだ。土佐の為に───。 距離感がうまく掴めない中、漸く手にしたパンを、口元へ。 「う……ぇ……」 かじろうとしたけど、胃がひっくり返る程の吐き気に阻止されてしまう。 「酒を少し控えさせるか……。アルコール漬けの白痴にするのもいい考えだと思ったが、死なれては元も子もないからな」 えずきながらもパンを口に運ぼうとしていたら、宗ちゃんの父親からそれを取り上げられてしまう。 「今日はもういい。明日も食べられなかったら胃に管を通して食わせるからな」 胃にくだ……? 聞き慣れない言葉を警戒して、頭が少し冴える。 ───口の中や尻の中だけに飽きたらず、胃の中まで犯すと言っているのかな。異常な事ばかりするこの人たちなら、やりかねない。 「今日も二輪刺しされたそうじゃないか。痛かったか?それとも気持ちよかったか?」 黙っていたら、「酔っ払って覚えていないか?」と嘲笑う様に言われた。 ──覚えていないなら、忘れられるなら、どんなにいいか───。 「毎日10人以上に犯され尽くすのはどんな気分だ?」 「地下室は居心地がいいか?」 「精液の苦い味は、好きになったか?」 こんな時ばかり、言葉がただの音だけになってくれない。頭が冴えてしまって、意味が分かる。理解できてしまう。聞きたくない言葉ばかりなのに。 「今日はいい反応をする」 ひとつに重なってはっきりしてきた宗ちゃんの父親の口元がニヤリと笑っているのがはっきりと分かった。その顔はゾっとするほど冷酷で、嗜虐的で───。 「宗佑のところにいた頃は幸せだったな」 いつもの。お決まりの台詞。 いつも決まってだんまりだったのに、今日はボロボロと涙が溢れ落ちた。 ───限界だった。許容できる苦しみを優に超えていて、もう耐えられなかった。 「戻りたいか?宗佑に愛され、守られていたあの頃に」 俺に残された選択肢は二つだけ。 宗ちゃんのところに行くか、ここにいるか。 だって、どうしたって逃げられない。宗ちゃんからは。この人からは。天城からは───。 「宗佑を一生愛すると誓うか?」 俺は、気づけば泣きながら何度も頷いていた。 「もう二度と裏切るんじゃないぞ」 どっちかしかないのなら、宗ちゃんの所に戻りたい。もう本当に、死んでもいいから───。 いくら手を伸ばしても届かない星に、父に、どれだけ焦がれようと、幼い俺は死ぬのが怖かった。どんなに酷い目にあわされようと、意地汚く生きていたかった。───どこかで分かっていたんだ。死んだら星になるってのはただのおとぎ話で、死んだら人は無になるだけだってことを。星になりたくても、父の傍に行きたくても、どれだけ「死」に魅入られても、それがイコール「死にたい」に繋がるほど単純な話ではなかった。 それでも、「死」は、いつも俺の傍らにあった。それが輝けば輝く程、俺は生きることに執着した。ぼーっと生きた事なんて、一度もない。「死」といつも隣り合わせにいたからこそ、今日も生きていられること。それが俺にとって唯一の喜びだったのだから──。 ───けど、今は「死」が眩しい。清んだ冬の夜空に輝くシリウスの様にキラキラしていて、それは「生」への執着や、「大切な人」を裏切る辛さにも勝っていて────。 「愛由……」 徐に足を拡げられる。 宗ちゃんの父親は初日以降は俺の身体に触れてこなかったから、そういう警戒心は全く解いていた。だから、俺はまた何か治療の為に触っているのだろうと思った。思っていた。いきり立ったモノを、ズボンの中から取り出される直前まで。 「あ……、くっ……」 目の前で火花が散った。 拡げられた股の間を、凶器めいたグロテスクなもので一気に突き刺されて。 「宗佑とは親子だからな。好みは基本的に同じなんだよ。宗佑が愛人に選ばなければ、俺がそうしていたかもしれない」 激しく腰を使いながら、宗ちゃんの父親が言う。 「執着心が芽生えては困るからこれまで我慢してたんだ……」 「あ……や、ぁあっ、」 「だがいいか、覚えておけ。悪い事をしたら、またここに連れ戻す。そして、我々でまた一から躾け直してやるからな」 「ひ、やあぁ……っ」 「待っているぞ、愛由。次があれば俺も遠慮せず存分にお前を抱こう……」 激しく揺さぶられ、強制的に何度も昇り詰まされる。もう殆ど0に近かった体力を極限まで削られて、意識が途切れ途切れになって──………………。 * * * 「……ゆ……愛由……」 久し振りに聞く声……………。 「愛由、目を開けて。迎えに来たよ」 「ん……」 ───迎え……? うっすら目を開くと、いつも地下室で真っ暗な筈なのに、目映いばかりの光が目に入って痛いくらいに眩しい。 「愛由、こっち」 声のする方に目を向けると───。 「そう……ちゃん………」 その人は、発光するが如く白く輝いていた。まるで天使の様に、綺麗に──。 「俺を、ころすの……?」 そうに違いないと思った。お迎えだ。だからこんなにキラキラしてるんだ。 ──どうか、星になれますように。 無理だと分かっていても、この期に及んで祈ってみる。 「愛由……」 宗ちゃんは、暫く黙った後に絞り出す様に俺の名前を呼んで、俺の身体を抱き寄せた。 仰向けだった身体を持ち上げるようにきつく抱き締められて、俺は、瞑っていた目を開いた。 「俺が、愛由を殺す訳ないじゃない。こんなに好きなのに。こんなに愛してるのに。俺、愛由が死ぬとこだったって聞いて、凄く怖かったんだから。愛由を失なったらって思ったら、凄く、凄く怖くて、思わずお父様に助けを求めてしまうくらいに不安で、不安で……」 ぎゅーっと相変わらず力強く俺を抱き締める宗ちゃんは、泣いているのかなと思わせる程に声を詰まらせている。 「愛由、愛してるよ……。今度こそ本当に大事にするから、もう俺の元から逃げ出さないで……」 腕を緩めた宗ちゃんは、今度は俺の顔を正面からじっと見つめながらそう言うと、恭しくキスをした。ベロベロ舐め回されないキスをされるのは、凄く久し振りだった。 「好きだよ……」 宗ちゃんは、ちょっと顔を動かせばまた唇が触れ合うくらい近くでそう呟いて、またそっと口付けを落とした。 「愛してるよ、愛由……」 また、キスをされる。 宗ちゃんのキスは、ミントの爽やかな香りがして、不思議と全然嫌じゃなかった。 何度か繰り返されたキスが終わると、またぎゅっと抱き締められる。馴染みのある宗ちゃんの薫りは、清潔感があって仄かにムスクっぽい。それに包まれると、懐かしさすら感じてほっとした。 もう辛くて苦しくて汚くて臭い毎日は終わったんだって───。 「どうしたの?」 身を捩り始めた俺を、宗ちゃんが戸惑った顔で見ている。 「ごめんね、どこか痛かった……?」 「ちがう、そうちゃんが……」 「うん?」 「そうちゃんが、よごれちゃう……」 沢山のおじさん達にヤられてそう時間も経ってないし、ほんのついさっき宗ちゃんの父親にされたばかりだ。俺の身体はベトベトで本当に臭くて汚ない。それを思い出したら、途端に申し訳なくなった。宗ちゃんの真っ白なシャツを、綺麗な顔や身体を、汚してしまうんじゃないかって。 宗ちゃんも、それに気付いたら俺の事放り出すだろうと思ったのに──。 「愛由、よく頑張ったね……。辛かったよね、嫌だったよね。本当にごめんね……」 それなのに、宗ちゃんは俺をもっと強く抱き締めた。 「俺もずっと辛かったよ。苦しかったよ。早く迎えに来たくて、どうにかなりそうだったよ……」 ぎゅうっと汚くて臭い俺を抱き締めたまま、宗ちゃんはごめんねを繰り返した。

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