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リコリスとアップルパイ 2

「ごめんなさい宗ちゃん。俺が全部悪いんだ。俺が、土佐を騙した」 一気に言い切って顔を上げると、俺と目を合わせた宗ちゃんが満足そうに笑った。 「やっぱりそうだったんだ。俺の事愛してないとか別れたいって言ったのも、土佐を誑かす為の嘘だったんだよね?」 「そう、全部、嘘だった。ごめんなさい。罰するなら、俺を」 「愛由は悪い子だね。俺という恋人がいながら他の男を誑し込もうとするなんて」 「ごめんなさい」 「エッチしなかった俺も悪かったけど、それでも浮気はご法度だよ」 「ごめんなさい」 「まあ愛由はお仕置きをたっぷり受けたし、こうして俺の元に戻って来たから赦すけど、もう浮気は絶対にだめだよ。次があればもっと酷くやるってお父様が。それに、少しの粗相でも躾けてやるって張り切っててね……。愛由、どうかいい子でいるんだよ。お父様に躾けを任せるのは嫌なんだ。けど、あんまり手に負えないくらい悪いことをされたら、そうするしかなくなるから……。大丈夫だよ、ちゃんと俺を愛して、俺の傍にいて、俺の言うことを聞いていれば、お父様に引き渡したりなんかしないから。愛由の事は、俺が守るからね」 「土佐は、」 ともかく第一に土佐に危害を加えない事を知りたくて、確かめたくて発した声は、途中で遮られた。黙れと言わんばかりに、宗ちゃんの指が一本俺の唇に添えられたから。 「愛由が愛してるのは誰?」 唇から指が離れていく。 「……宗ちゃん」 「愛由の恋人は?」 「宗ちゃん」 「愛由が初めてを捧げたのは?」 「宗ちゃん」 「愛由が抱かれたい相手は?」 「宗ちゃん」 「……土佐とはセックスしたの?」 少しの沈黙の後に発せられたその声は重く、じっとりと湿っていた。 「してない」 「嘘だ」 「本当だよ。してない。土佐とはそういう関係じゃないから」 「土佐は愛由の事が好きみたいだけど」 ──知られてたんだ……。 「……けど、そういう事はしてない」 「拒絶したの?」 「そうじゃなくて……」 「まさかあいつ、手出して来なかったの?」 頷くと、宗ちゃんはさっきまでの雰囲気とは一転して愉しそうに高笑いを始めた。 「あー可笑しい。だっさ。あいつ、何もできなかったんだ、だっさ。愛由を抱ける最後のチャンスだったってのに、そこまでノロマな間抜けだったなんて。嫉妬して悶々としてたのがバカみたいだ。あいつ本当は童貞なんじゃないの?好きな子に泣き付かれて何もしないなんて、度胸のない童貞かインポかのどっちかだよね。何がミスターだよ、笑わせてくれる」 ──違う。土佐は、俺の事を大事に思ってくれてたから……。 声を大にして言いたい。けど、言えない。 土佐をバカにされ貶されるのは自分がそうされるよりも何倍も辛かった。そして震えるほど悔しくて泣きそうなくらい。この感情も宗ちゃんにバレてはいけないから、必死に隠して誤魔化すしかないのも悔しい。 「あーよかった。じゃあお仕置きは別として、愛由の身体はまだ俺しか知らないんだね」 お仕置きは別、の意味が俺には全く分からない。あの「お仕置き」の間、俺の身体は何十人もに汚されたのに。 「忘れないで。これまでもこの先も、愛由は俺だけのものだからね」 逃げられない事は分かった。嫌と言う程にもう分かったから──。 「土佐は、その間抜けさに免じて処分保留ということにしてあげよう」 宗ちゃんはようやく俺の欲しかった言葉をくれた。保留というのが気になったけど、すぐに何かしでかすつもりはなさそうだ。きっと、俺がちゃんとしていれば無事な筈。あの薬物の件でもすぐに釈放されたと分かったし……よかった。本当によかった……。 ほっとした途端、ずっと握ったままだったカップがずんと重みを増した。それだけじゃない。全身から力が抜けて、強い脱力感と虚無感に襲われた。 どんなに会いたいと思っても、頼りたいと思っても、もう二度と土佐に甘える事はできない───。 「さっきの続きなんだけど」 宗ちゃんが、落としてしまいそうだったティーカップを俺から取り上げながら言った。ソーサーとカップが重なるカチャンという音がやけに耳に響いて、現実逃避したがる頭を引き戻す。 「俺が一番幸せだったのは、あの別荘で過ごした1か月だよ。そのあと中途半端に自由を与えたりしたから、愛由は気が散ってそのせいで俺は苛立って……。愛由が俺以外の事は全部忘れて俺だけを見て俺だけ愛してくれれば、お仕置きの必要はなくなるんだ。ほら、あの別荘で過ごした日々を思い出して。四六時中セックスして、俺も愛由もずっとお互いの事だけを見て考えてた。あの頃は幸せだったと思わない?理想的な状態だったよね。だからね、これからは何があっても愛由を一歩も外に出さないで、この部屋に閉じ込めることにした。愛由もそれでいいよね?」 まるで今夜の献立を確認するぐらいの軽さで、宗ちゃんは俺をここに監禁すると言った。 「けど大学は、」 「やめるしかないね」 言葉を被せる勢いで返ってきたのは「当然でしょ」とでも言いたそうな口振りで、気力をすっかり失っていた俺は最早何も言えなくなってしまった。 「それでいいでしょ、愛由?」 頷く以外の選択肢はなかった。だって拒否すれば、今は保留の土佐に罰を与えるって言うかもしれない。「お父様」の所に連れていかれるかもしれない。 「いい子だね」 宗ちゃんの手がまた頭に伸びる。土佐に撫でられたのとは違う、ねっとりとした手つき。それが、頬にまで下りてくる。 「セックスしよっか。仲直りえっち」 絶望する俺をよそに耳元で囁かれた宗ちゃんの声は弾んでいて、その内容も相俟って俺をゾッとさせる。 「でも俺、汚いから……」 「だからだよ。俺に清めて欲しいでしょ?」 なけなしの抵抗すら宗ちゃんを後押ししかしなかった。押し倒されて、殆ど裸同然だった身体はすぐに暴かれる。 「ああ、相変わらず綺麗だ……。愛してるよ、愛由。ねえ、愛由も言って?」 「俺も……」 「そうじゃなくて。ちゃんと聞かせて」 「……愛してるよ、宗ちゃん」 嘘をつくと、心がきりきり痛む。宗ちゃんは嬉しそうに笑って、俺にキスを落とした。あの別荘でされたのと同じミントの香りのキスだけど、俺の気持ちはあの時とは違った。嫌だ、抱かれたくないと、苦しいほど明確に思ったのだ。 「愛由、甘いもの好きでしょ?」 宗ちゃんが満足するまで何度もやられてもうへとへとで食欲もないけど、宗ちゃんはどうしても俺にアップルパイを食べさせたがった。口元までフォークを持ってこられたら拒絶することなんて到底できず、求められている通りに口を開けた。 「美味しい?」 後ろから俺の身体を抱えている宗ちゃんが、俺の表情を窺う様に首を伸ばした。こくんと頷くと、宗ちゃんは満面の笑みを見せた。 「あー嬉しい。嬉しいなぁ。あの時と一緒だ。分かるだろ?俺たちが初めてひとつになった時だよ。あの時に戻ってやり直そうね。大丈夫、俺たちは何度でもやり直せるさ。俺、愛由のこと大事にするからね。これまでよりももっともっと愛してあげるからね」 宗ちゃんが首輪の上や下の皮膚に強く吸い付いた。もう吸われてないとこなんてないってぐらい、マーキングされ尽くしてるのに。 首輪にテンションがかかる。宗ちゃんがマーキングしやすい様に俺の首を前に倒したせいだ。やっている最中は外されていたリードは、終わった途端にすぐに手錠に繋がれて、その短いリードがピンと張って首の前側を圧迫していた。ちょっと苦しい。けど、宗ちゃんは項に吸い付くのに夢中で気づいてくれない。 いつだってそうだった。 宗ちゃんは、俺の苦痛や痛みには気づいてくれない。気付いたとしても、それに配慮する優先順位は限りなく低い。宗ちゃんの望みを、欲求を遂げることがいつだって第一優先だった。今もそう。俺の痛みは、苦痛は、宗ちゃんの痛みにも苦痛にもなり得ないから。

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